漂う海月 | ナノ



 次の休日は水族館に行きたい、そう言い出したのは彼女だった。
 もう何度通ったか分からない学校近くのそこは、彼女のお気に入りの場所のひとつだ。青い空間に佇んでいるだけで心が穏やかになる。だから喜んでもらえる……と思っていたのに、朝から彼女は固い表情だった。乗り気でないのならそう言ってくれても構わなかったのに。
 声を掛けていいか悩むくらいに、今日の彼女には元気がなかった。

「……今日は帰りますか?」
「え? なんで」
「あなた、先程からぼんやりばっかり」
「え、あ……ごめん」

 彼女は俯いて、前髪をくるくるといじっていた。隠し事をしているとき、必ず彼女はそうするのだ。それを私は知っている。

「ねえ、何があったんですか?」

 何か、ではなく『何が』と確信を持って問うても、彼女は目を背けるだけだ。きっと口を開けば嘘を見抜かれると思っているのだろう。彼女は嘘がへたくそだから(切原君には「ありえねぇっすよ、あの人嘘のプロじゃないすか!」なんて言われたけれど)。
 彼女の考えていることは私にはすべてお見通しで、同様に、私も彼女に嘘は吐けなかった。
 己を取り繕えないというのは楽なことでもある。それを教えてくれたのが彼女という存在だった。
 そっと肩に手を置くと、観念したらしい彼女――仁王さんが大きく溜め息をついた。

「ウチらが一緒に出掛けることってさあ、おかしいことなんかな」
「……なぜそう思うのですか?」
「思ってない。言われた」
「誰に」
「クラスの女子」
「……はあ」

 今度は私が溜め息を吐く番だった。

 おかしいよ。変だよ。
 今まで何度かそういったことを言われてきた。
 何がおかしいのか、私は未だに理解することができない。しかし“一般的な中学生”にとっては常識的ではないらしいのだ。
 それが私達の行いのせいなのか、立場のせいなのか、私には判断がつかない。

 仁王さんと私は親友だ。
 なんでも話せる(というよりは“隠しごとができない”、だが)大切なひと。それが彼女だった。
 出逢った頃からとても気が合って、私達はすぐに仲良くなった。どれだけ会話を交わしても話し足りない。そう思ったのは初めてのことだった。それは彼女にとっても同じことだったらしい。そのうち、休日は二人で出掛けるようになった。
 周りの人間はそれを変だと言う。なんでも、恋人同士でもない男女が毎週二人で出掛けるのは普通ではないのだそうだ。
 普通じゃないと何度も言われて、『普通』を決めるのはあなたではないでしょうとそのたび思った。私にも決める権利なんてないけれど。

 仁王さんにそんなことを言ったのが誰であるのか、大体見当は付いていた。特に悪目立ちするわけではないが、女子特有の近寄りがたい空気を持った彼女のクラスメイトだろう。
 普段なら周囲の意見など物ともしない彼女の様子が目に見えておかしいのだ。よほどのことを言われたのかもしれない。
 彼女が心配だった。けれどこれ以上聞いていいものか、私には分からなかった。隠しごとができないというのは困ることもある。

「……あーごめん、考えすぎた。お前さんも元気出しんしゃい、ほれ」

 彼女が軽く背中を叩いてきて、私は我に返った。
 少し黙って考え事をしていたのだけれど、どうやら相当深刻な顔をしていたらしい。彼女の方が困っていた。

「ちょっとな、寂しかったんよ。お前にカノジョができたらどうしよう、って、勝手に想像して寂しがってただけ」
「彼女、って」
「だってカノジョができたら、こんな風に気軽には遊べんようになるじゃろ。だから寂しいなって。表向きには『おめでとう』って言うんじゃろうけど」
「あなたの嘘なんてすぐばれるのに」
「だから今ネタばらししたじゃろ」
「……ふふ、そうですね」

 けたけたと笑って、次に見る彼女は、いつもどおりの顔をしていた。

(――『カノジョができたら』、)

 仁王さんがあの人達に何を言われたのか、なんとなく分かった気がした。





 寂しい、と言った彼女の素直さが少し羨ましかった。
 私だって同じだ。仁王さんに素敵な恋人ができたら、きっと面白くない。けれど男の独占欲は醜いし、女性のそれと違って男の嫉妬は方向性がおかしくなってしまう。だから私はきっと言えないのだろうな、と、水中を漂う海月を眺めながら考えた。

(男女の友情は確かに成立する、けれど)
(いつかあの人は、私の元からいなくなるのかもしれない)
(誰かに恋をして、恋人ができて、私とこうして肩を並べることがなくなって)
(そのうち、会わなくなって)

(――嫌だな)



 ここ数ヶ月で彼女がえらく綺麗になった気がする私は、確かに彼女の“親友”である。










******
「あんたがずっと一緒にいるから、柳生君は彼女も作れないんだよ」。
そう言われた次の日のお話。
海月=jellyfish=『煮え切らない人』。

2012.11.6.

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