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 美しい文章を書くことができなくなった。
 突然のことだった。机に向かっても、少し外を散歩してみても変わらなかった。疲れてるのかと考え、よい香りのする入浴剤をたっぷり使ったお湯に浸かってゆっくり身体をあたためてから眠った。
 それでも、変わらなかった。
 私は頭を抱えた。どうしたらこの状況を打破することができるのだろうか。今まで呼吸をするのと同じ感覚で言葉を並べ、詩を紡いできたのだ。どうすれば元に戻るかなんて分からない。私にとっては“書ける”のが当たり前で、日常だったからだ。
 自覚してしまうといよいよ駄目になった。首を絞められたような錯覚に陥る。自分の身体を支えることができない。足元がふらつく。眩暈、めまいが、して、

「柳生?」

 近付いて声を掛けてくれた仁王君の姿を見つけた瞬間、張り詰めていた何かがぷつりと切れた。
 目の前の肩を捕まえてわんわん泣いて、泣きながら抱いた。無理矢理押し倒しても服を脱がせても、仁王君は優しい表情のまま、大丈夫、と頭を撫で続けてくれた。
 何度も身体を繋げて疲れ切った頃、ようやく私は落ち着くことができた。
 ずっと傍にいた仁王君は、私の目尻に残った涙を指で拭いクスリと笑う。どうした、と聞く彼の声はやっぱりあたたかかった。
 綺麗な言葉がなくなってしまったんですと言うと、彼はきょとんとしていた。
 今までできていた当然のこと。日記の切れ端に書くポエムの書き方を、物語の創り方を、あなたへの愛の囁き方を忘れてしまった。それらはすっかり私の生活に溶け込んでしまっていたから、取り上げられてしまうと生き方さえも分からなくなる。それで取り乱してしまったのだと告げると、仁王君はまた微笑んで、そして――美しく在る必要などないと言った。
 綺麗でないと意味がない、と、お前がそう思うのなら俺も取り戻す手伝いをするけれど、もし俺に聞かせることが目的だとしたら、そんなに悩まなくていい。だから辛いことは忘れて一緒に眠ろう。明日にはすっきりしているかもしれない。
 もし一生思い出せなかったとしても、

「綺麗なんかじゃなくたって、俺はお前の言葉が好きだよ」



 指先から、彼の冷たいぬくもりが伝わった。
 穏やかに流れる時間に身を任せて目を閉じると、おやすみ、と彼が額に口づけをくれる。
 ああ、私はこれを、この感覚を、忘れていたのかもしれない。








 ――朝が来たら。
 真っ先に伝えたい言葉がある。飾り気がなくて、まっすぐで、今までの私なら選ばない言葉だ。
 それでも伝えたいと思った。



「あいしてる」。










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世界でいちばん美しい言葉を。

2012.10.11.

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