踏み出さない一歩 | ナノ
目の前の男は首を傾げた。
何か難しいことを考える時、首をかたむけて溜め息を吐くのが奴の“くせ”だ。その姿を見るのは今日だけでももう四度目で、いい加減こちらもうんざりしていた。せっかくのフライドポテトが美味しくなくなるからやめてほしい。
目の前の男は綺麗だ。アイスティーをストローで飲むしぐささえも上品だ。嫌味なほどに完璧だと思う。外面は。
性格だって決して悪くない。悪くないけれど、ひどくいい加減だ、と思うことがある。主に今みたいな状況の時だ。
「『もったいない』って、思うんですよね」
奴はいたって真剣だが、こんな話を持ち掛けてくるのは初めてではなかった。
「一歩踏み出してみようかな、といつも考えるんですよ。丸井さんとお話するのは楽しいし気も合います。こんな方がガールフレンドなら素敵だなと思いますし」
「ふうん」
「だって私とあなたですよ? 絶対に上手くいくに決まっています」
「へー」
「……聞いてます?」
「聞いてないけど。聞かなくても分かるし」
「……ひどい」
さすがに週に三、四度以上聞かされればそりゃあ耳にタコもできる。そこまで何度も言う暇があったなら、その間になんとかできただろと正直思う。
彼――柳生比呂士は、いつも「あなたとお付き合いできたら幸せでしょうね」と自分の願望ばかりを並べ立てる。
それにどう答えていいか、あたしには分からない。だって奴は「お付き合いしてみたい」と言うだけだ。告白してきた訳ではない。ましてや好きだと言われたわけでもない。妙な返事をしてしまうのも違う気がして、結局「はいはいありがとうね」と適当に返している。
結局奴はどうするつもりもないのかもしれないなと最近ようやく考えられるようになった。なんだかんだ言いながら、きっと奴はぬるま湯に浸かっているこの関係が落ち着くんだと思う。あたし達は彼氏彼女ではないし、だからといって普通の異性の友達とも言えなかった。
「何かきっかけがあればきっと前に進めると思うんですけど」
「きっかけって例えば?」
「そうですね、告白されるとか」
「……誰が? 誰に?」
「私が、あなたに」
「……常々思ってたけど、比呂士って意外と馬鹿だよね」
それはきっかけと言えるのか。
だいたいそれをあたしに求めるあたりで紳士的とは言えない。男ならそういうのは自分から言うべきだろ。
まあ、結局奴はどうするつもりも、以下同文。
「いい加減に現実見なよ。いつまで経ってもそんなんだから『素敵なガールフレンド』もできないんじゃん」
「あなたが恋人になってくれればこんなに悩まないんですよ」
「じゃあ何なの、あんたあたしのこと好きなの?」
「……」
「ほら黙るじゃん」
「……好きになれたらいい、と、そう思うからお付き合いしたいんじゃないですか」
やっぱり比呂士は馬鹿野郎だ。好きになりたい。そんな気持ちで始まるほど恋は単純なものじゃない。第一そんなに単純なら今頃あたしの隣には優しくて、頭が良くて、いい加減ではなく眼鏡でもないカッコイイ彼氏がいるはずだ。いつまでも馬鹿比呂士の相手なんてしていない。
――理想と現実はどこまでも違う。
だって一致しているなら、あたしはこんなアホのことを好きになんてなっていなかった。
好きになりたくなんてなかった。
比呂士と同じように、この中途半端さが愛おしかったから。
きっかけがあれば進めるのかもしれない。でも自分から告白なんて絶対にしてやらない。彼はあたしのような彼女が欲しいだけで、あたしを愛してはくれない。そんなの不公平だ。
だからいっそ、きっかけ以上のものが欲しい。
(躓いた拍子に事故ってちゅーとか、そういうことでもあったら、奴は意識してくれるのかな)
大事件でも大問題でもいい。早くあたしのことを好きになって、薄っぺらくない本音をあたしにぶつけてこい。
受け入れる準備はできているんだから。
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友達以上恋人未満。
2012.7.29.