続く未来へ
玄関のドアを開けて鍵を閉めて。
慣れないヒールの靴を脱いでいて気がついた。
「まさーー?居るの?」
玄関の隅に揃えられた大きな靴。
居るのであろう人の名を呼んでリビングを覗けば、ソファに座る見慣れた後姿。
背凭れに隠れて何をしているのかは分からない。
「ただいま、雅治」
「ん、おかえり」
後ろからひょいと覗き込めば、仁王の手元にあったのは一冊の本。
多分、リビングの棚に並べておいた本のうちの一冊だろう。
ぱらりとページを捲ってから、ちらりと視線をこちらに向ける。
「随分めかし込んどるのう。どこ行っちょったん?」
私の服装を見て、やっと気付いたらしい。
黒いちょっとしたドレスに、淡い色合いのストール。
滅多に着る事はないような服装をしているのに、少し驚いたのだろうか。
「言わなかったっけ。今日オネーサンの結婚式」
「オネーサン…ああ、あの3歳だか年上の」
オネーサンというのは、実の姉などではなくて。
以前住んでいた家のお向かいの、良くしてくれた仲の良いお姉さんのことだ。
彼氏が居るというのは大分前から知っていたけれど、それが結婚することになって。
そして今日が結婚式だったのだ。
その式にお呼ばれして、帰ってきたところ。
「どうじゃった?」
「綺麗、だったよ。凄く。幸せそうだった」
家族と、親戚と、友人達に祝福されて。
式の間中、ずっと幸せそうに微笑んでいた。
祝福されているその姿を見て、ああ私もいつか、なんて思ってしまった。
そんなのは、私のがらではないというのに。
「ブーケはね、残念ながら取れませんでした」
「…競い合う姿が脳裏に浮かぶのう」
ブーケトスの瞬間。あれはもうちょっとした戦いの場だ。
きゃあきゃあと押し合いながらブーケが落ちる方へと手を伸ばす綺麗な女の人たち。
私も一応その場に居はしたものの、彼女達の余りの凄さにその中に入っていくような度胸はなかった。
だから、仁王が苦笑しながら言うその気持ちが良く分かる。
「うん、凄かった。多分まさが考えてるのと同じことになってた」
「女は怖いからのう」
くつくつと笑って、ぱたんと本を閉じる。
女の怖さは一番良く知っているからこその言葉。
つられるように私も笑う。
女の怖さを思い知っているのは、何も彼だけではない。
私もその被害にあったことがあるから、知っている。
今となっては、思い出になってしまったけれど。
「…?何、何か変?」
ふと笑いを治めた仁王が、改めてこちらに向き直って私に視線を向ける。
上から下まで、じっくりと。
「いや、そうじゃのうて…。…ん、綺麗じゃ。似合うちょるよ」
改めてそういうことを言われると、どうも気恥ずかしくていけない。
妙に女の扱いに長けた彼は、恥ずかしげもなくそういうことをさらりと言ってのける。
私はそう言ったことに免疫がほとんどと言っていいくらいに無いから、恥ずかしくなるだろうことは分かりきっているだろうに。
赤くなった顔を冷まそうとそっぽを向いて手で仰ぐ私に、くつくつと小さく笑う声。
「赤くなって、そういうんは昔から変わらんのう。それより、いい加減座ったらどうじゃ」
笑いながら言う仁王に従いながらも、笑われたのが悔しくて少し睨んでみる。
ボフと仁王の隣に座れば、小さく笑いながらするすると髪を梳く。
骨張った白くて大きな手が髪に触れるのが気持ちよくて、思わず目を閉じれば。
額に触れた柔らかい熱。
それに少しだけ驚いて目を開けば、穏やかに笑う彼が居て。
左手を囚われて、空いた手で何かを促すように頬を撫でる。
そっと目を閉じれば、唇に落ちてきた仁王のそれ。
重なっては離れを繰り返す。
じわりじわりと体が酸素の欠乏を訴えて、熱に浮かされそうになるころ。
やっと開放された唇で、大きく酸素を取り込む。
呼吸が落ち着いたころに、未だ囚われたままの左手に視線を落として気付いた。
「…ま、さはる?」
左手の薬指に、控えめに輝く銀色。
シンプルなそれは、私の好みも考慮した上でのデザインなのだろう。
「俺達にはまだ、早いじゃろうけど。でも、言わせてくれんか」
静かな声に、顔を上げれば。
真っ直ぐに見据える視線に囚われる。
逸らせない強さでもって、射抜かれてしまう。
「俺と、結婚してくれんか。沙耶」
真剣な顔で。嘘も、偽りもない。
詐欺師と呼ばれた彼は今ここには居ない。
ここに居るのは、ただの『仁王雅治』という人。
胸の奥から、熱い何かが込み上げてくるようで。
直ぐには、言葉が出てこなかった。
「直ぐじゃなか。俺が、もっと…大人として、一人前の男として自立できたら」
嬉しくて、泣いてしまいそうで。
きっと、酷い顔をしているだろうから。
そんな顔は、見られたくない。
だから、すぐ傍にある仁王に抱き付いた。
こうすれば、顔が見られることはないから。
「沙耶、ちゃん?」
「馬鹿。まさの、ばかあああ」
自分でも馬鹿だなんて、酷いと思う。
でも、馬鹿と言ってやりたかった。
「いきなり、そんな、予想もしてなかったのに…!」
「え、」
背中に回された腕が、力を失う。
「びっくりした、もうヤダ、顔見せらんない。嬉し過ぎる…」
言っていることは支離滅裂。
なのに、仁王には私の言っていることが通じたらしい。
一度私をぎゅうと抱きしめてから、少し離れて額を合わせる。
「幸せになろーな」
少しだけ赤くなった顔で、柔らかく笑って。
それに合わせるように、私も笑う。
「二人で、ね」
二人でいれば、続く未来はきっと幸せだ。
続く未来へ
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比翼連理その後的な。ゲロ甘…。
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