鳴かぬ蛍


見上げる俺の視線の先。
俺を睨みつけるその目には、透明な涙。
泣かせるようなこと、言っただろうか。
ハテナマークで一杯になる俺を尻目に、彼女は握りこぶしを震わせて一言。

「ブンちゃんなんて、もう知らない!」

衝撃的な言葉を吐き出して。
あっという間に、教室を飛び出していった。

「俺、なんかしたかよい」

呆然として呟けば、教室のあちこちから溜め息混じりのあーあ、という声が聞こえてくる。
見回してみれば、呆れたような視線を向けられる。
なんでそんな風に見られるのか、理由もわからない。

「丸井、今回の件については誰もが槙原の味方につくと思うぜよ。お前さんが悪いナリ」

机に頬杖をついた仁王が、呆れたような視線を俺に向けて言い放つ。
俺が悪い?何でだ。
何かあいつの気に障るようなことを言った覚えは、ない。



 ***



俺と沙耶がケンカをしたというのはあっという間に噂となり学校中に広まった。
そりゃそうだろう。今までケンカらしいケンカなんて一度もしたことがない。
仲良しカップルで通っていたから。
だから、他のクラスの見知らぬヤツまでケンカの原因を聞いてくる始末。
面倒臭くていちいち相手になんてしてられないけれど。
沙耶はといえば、あれからいっぺんも顔を見せない。
同じクラスだというのに、だ。
教室にすら戻ってきていないということは、どこかでサボっているのだろう。
あいつは真面目だから、きっとサボりなんて初めてなのだろう。
良心に苛まれながらも膝を抱えてふてくされているに違いない。
そうこうしている間に、あっという間に放課後になって。
部室へと足を運べば、部室にいたチームメイトが一様にこちらを見つめてくる。

「ブン太、お前槙原とケンカしたってマジかよ」

ダブルスのパートナーであるジャッカルが心配そうに聞いてくる。

「知らね。喧嘩っつーか、あっちが一方的にキレた」
「何だ、それ。お前、槙原に何言ったんだよ…」

ジャッカルに事の次第を一通り話せば、ため息ひとつ。
何でため息つくんだコイツは。

「お前そりゃあ…槙原だってキレるだろ」
「何で」

ジャッカルとか仁王は納得してた。
仁王はさらに、誰もが沙耶の味方につくだなんてことを言っていた。
何で、こいつらは分かってて俺は分からないのだろう。
それがなんだか、腹が立つ。

「これは俺が言っていいことじゃないだろうしなあ」

困ったようにジャッカルが視線を彷徨わせる。
多分、誰かに教えてもらうようなものじゃないと思うぜ。
ぽつりと。
小さな声で、ジャッカルがつぶやいた。



 ***



何となく気まずくて、メールも電話もしないまま夜が明けた。
一言謝ればいいだけなのだろうか。
どうにも、それだけで済むような話でもなさそうだ。
寧ろ、逆にキレたり。
沙耶に限って、それはない…とも言えない。
何しろ理由が全くもって分からないのだから。
下手に謝れば、きっと悪い方向に行くに違いない。
そこまで考えたところで、ため息。
何で俺がこんな事でグダグダ考えねーといけねぇんだか。
ガシガシと頭を掻いたら、幸村君が笑った。

「随分とお悩みのようだね、ブン太?」
「え?あ、な、何でもねえよ大丈夫!」

ふふふと笑う幸村君に、背筋がぞっとする。
そういえば今は朝練の真っ最中。
そんな中考え事をすれば幸村君から咎められるに決まってる。
ちらり、視線を向ければ幸村君から少し離れたコートサイドで真田がこちらを見ながら腕を組んで仁王立ち。
真田のカミナリが落ちる前に、練習に集中しておこう。
そう思いはしたものの。
やはり理由は気になるし。
いつもフェンスの外で朝練を見ているはずの沙耶の姿がないから、どうにも落ち着かない。
結局集中出来ず仕舞いだった俺を見てか、真田は朝練が終わるまでずっとイライラしている様子だった。
カミナリが落ちる前にさっさと教室に行くとするか。
部室でさっさと着替えを済ませて、逃げるように教室に向かった。



 ***



教室に入れば、嫌でも目に入ってしまう沙耶の存在。
自分では大して気にしているつもりはないのだけれど、目で追ってしまうのはきっと無意識。
いつもなら隣に立って教室に入ってくるはずなのに、今日は既に教室の中で友人とお喋りに興じている。
しかも俺の存在に気付いていないのか、ちらりとも視線を向けることはない。
向けられない視線に苛立って、だからといって声をかけることすらできない現実に更に苛立つ。
どうしていいのか分からず半ば混乱しかけてそのまま立ち竦んでいたら、後から来た仁王に肩を叩かれた。

「なーにボーっと突っ立っちょるんじゃ。邪魔んなっちょるぜよ」
「あー、悪ィ」

ふらりと移動して自分の席に座って机に伏せる。
そのままぼんやりとしていたら、がらりと教室の扉が開く音。

「槙原ーーーー、ちょっといいか」
「あれ、高坂。どしたの、久し振りだねえ」

沙耶を呼ぶ男の声。思わずピクリと肩が反応してしまう。
視界にかかる髪の隙間から声を視線でたどれば、そこに居たのは隣のクラスの高坂という男。
確かバスケ部で、そこそこに人気のあるヤツだったような。

「わりィ、英語の辞書忘れてよ。貸してくんねえ?」
「…高坂、英語の辞書使うんだ…?」

ビックリ、とでもいった声色。
俺が知らなかっただけで、それなりに仲の良いヤツなのだということが察せられた。
そのことに気付くと同時に渦巻くのは、どす黒い感情。
グルグル胸の中を駆け回って、気持ちが悪い。

「おま、それ俺に失礼!」
「あっは、ごめんごめん。ちょっと待ってて、今持ってくる」

くすくす笑いながら、廊下にあるロッカーまで辞書を取りに行ったのだろう。
笑い声が遠ざかる。それを追うように、高坂という男の声も。
先ほどまではっきりと聞き取れていた言葉たちは、単語の端々しか掴めない。
何で、何で。
何でそんな風に、他の男と普通に、仲良く喋る事ができるんだ。
がたん。自分が立ち上がったときに立てた小さいはずの音は、思いの外大きく聞こえて。
ため息一つ零しながら、教室を後にする。
俺の背中に向けられる視線は、どこか責める様な、でも同情する様な。
朝練の時から噛んでいたガムの味がとうにしなくなっていることに気付いたのは、屋上で本鈴が鳴るのを聞いた後だった。



 ***



屋上の日陰でぼんやりしていたら、いつの間にか昼休みに突入していたらしい。
学校の中がざわめいている。
自分としたことが、まさか昼休みになったことに気付かないだなんて。
けれどなぜか空腹感はほとんどなくて。
動くことすら面倒くさくて、ごろりとその場に横になる。
ムカつく。イライラする。
何に対してそんな風に思うのか。
脳裏を掠めていくのは、今朝の沙耶とヤローのやり取り。

「教室に居ないと思ったらこんなとこに居たのかよ、ブン太」
「…ジャッカル」

視界一杯に広がっていた青空に割り込んできたのは、色黒なチームメイト。
その手には、ビニール袋。

「お前、昼飯は?」
「…まだ」

聞かれて答えれば苦笑しながらペットボトルを差し出す。
いつもは学食で食べているジャッカルがパンやら何やらを持ってきているのは珍しい。
ペットボトルのふたを開けて、お茶を飲みながらそんな事を考えれば。
ジャッカルは自分もパンを食いながら、俺に差し出してくる。

「いらねえ」
「そんなんじゃ放課後ぶっ倒れるぞ?」

言われてしぶしぶ受け取って、パンをほお張る。
いつもなら美味いはずのメロンパンの味が、全くしない。
それでも半分ほどを食べたけれど、あとはもう食べる気がしない。

「今から言うのは俺の独り言だから、聞き流してくれるか?」

不意に、ジャッカルがそんな事を言い出した。
訳が分からない。それが思い切り表情に出ていたんだろう。
ジャッカルが少し困ったように笑う。
ぽつりぽつりと話し出すジャッカルの言葉を聞いて。
あることに気付いて、思わず立ち上がる。

「ジャッカル。俺、」
「パン、俺じゃあこんなに食い切れねえからブン太にやるよ」

どうにも言葉に出来なくて、ジャッカルを見下ろせば。
言って来いといわんばかりに手を振られて。
いてもたっても居られずに、屋上を後にした。



 ***



「沙耶っ!」

ばたばたと廊下を走れば、教室の近くに立って友人と何やら話をしている沙耶の姿。
思わず大声で叫べば、周りに居た生徒までもが立ち止まって俺に視線を向ける。

「…沙耶、」

すぐそばまで歩み寄るけれど、彼女の視線は俺に向けられない。
ただ、足元に落とされていた。
ぐいと華奢な両肩を引き寄せて、その肩に自分の額を乗せた。

「悪ィ。俺、お前の気持ちとかそういうの、全然考えてなかった…」

ジャッカルに言われて気がついた。
沙耶が怒った、理由。
怒っても仕方のないことを、俺は言ってしまっていた。

「…ずっと、」

震える声で、彼女が言う。
一日聞かなかっただけのはずなのに、随分と長い間聞いていなかったような気がする。

「ずっと、我慢してたんだからね。でもそんな事でブンちゃんに、嫌われたくないし…」
「おう」

控えめに背中に回された手が、きゅっと制服を掴む。

「なのに、ブンちゃんあんなこと言うし…!」
「うん」

気付かなかった。いつだって、笑顔だったから。
影で辛そうな顔をしてたなんて、知らなかった。
気付かされた。沙耶の気持ちも、今なら理解できる。

「本当、悪い。もうあんなこと言わねえ」





鳴かぬ






「ブンちゃんの馬鹿」

くぐもった声で、そう言ってから。
小さな小さな声で。

「だけど好き」

言われた言葉が嬉しくて、思わずぎゅうと抱きしめた。








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