夢にもならない



私の昼休みといえば、静かなもんである。1人で黙々とお弁当を平らげ、空になった弁当箱を机から片すとカバンから小説を取り出して広げる。
そうやって昼休みの時間を教室の隅でひっそりと過ごすのである。
教室が騒がしかろうが、自分には一切関係ないのだ。

「君が、槙原沙耶さん?」

昼休みの間、クラスメイトは私に話しかけることは滅多に無い。
そして、聞き覚えの無い声。…いや、どこかで数回ほど聞いたことがあるような気もするが。まあとにかくそうしょっちゅう聞くことの無い声であるから、クラスメイトではないだろう。
小説に栞を挟んでページを閉じる。
ゆっくりと視線を上げれば、ゆるくウェーブのかかった髪の美形。一瞬女子だろうかとも思ったけれど、男子の制服を着ているからそうではないのだろう。

「……」
「槙原さん、男子テニス部のマネージャーやらない?」

返事をするでもなく視線を返していたら、目の前に立つ美形さんは名乗るでもなく用件を切り出す。
にこやかな表情は見てて不快に思うことはないが、私はただ冷たい視線を送ることに徹する。
ぶっちゃけ言おう。不愉快だ。

「槙原さん?」
「不愉快ですね目障りです目の前から消えてください礼儀知らずめが」

言い放って、再び小説を手にとって栞を挟んだページを開く。先ほど目を通した文章から少しだけ遡ったところの活字を追う。
小説を読むのにたいした支障はないものの、相変わらず向けられる視線がうざったい。動く気配が微塵も無いのは何故だろう。

「…へえ。うん、やっぱり君がいいな」

私の真正面に立った男子が、ぽつりと呟くのが聞こえた。だからと言って、反応してやるつもりは一切ないが。

「槙原さん、もう一度言うよ。テニス部のマネージャーになってくれるかな」
「礼儀知らずと話をするつもりはありません」

私が何を言いたいのか、こいつは分かっていないのだろうか。本当、礼儀を知らないにも程があるだろう。馬鹿じゃないのか。
舌打ちをしてしまいそうになるのをぐっと堪える。

「俺に向かってそう言えるのなんて、真田とか柳ぐらいなのにね。もしかして怖いもの知らず?」
「アンタ頭たりないんじゃない?初対面の人間に対して自己紹介も挨拶もなしにいきなり本題切り出すような礼儀知らずとは口利きたくないって言ってんだよ馬鹿か」

言いたいことを言ってしまえば、少々驚いたような表情。
人に対して怖いもの知らずとか、お前は何様だどれだけ偉いんだ。人を見下すようなそんなヤツとはかかわりなんて持ちたくない。
さてここまで言ってやれば流石に退散するだろうと視線を落とした傍から聞こえる笑い声。

「…っく、あはははは!うん、その通りだね。まさかそんな風に言われるなんて思わなかったよ。ゴメンね。俺はC組の幸村精市。男子テニス部の部長をしてるんだ」
「………で、その男子テニス部の部長さんがなんで私なんかにいきなりマネージャーを頼むわけ」

笑いながらではあるものの一応謝ったことだし、自己紹介もしたからまあ許してやるとしよう。
本題をこちらから切り替えしてやれば、口元を隠して咳払いを一つ。

「今の男子テニス部にはマネージャーが居なくてね。大会もあるし練習に打ち込みたいからマネージャーが欲しいんだ。でも、中々マネージャーを任せられるような人材が回りに居なくて。で、誰か良い人が居ないか周りに聞いてみたところ、君が推薦されたってわけなんだ」
「…私が推薦された理由がわかりません」

ていうか、そもそも誰だよ私を推薦しやがったやつは。

「真面目に仕事をしてくれそうで、誰かに色目を使うなんてことがなさそうな子っていうのがこっちで出した希望。君、真面目そうだし色目使うなんてことしないだろ?」
「まあ否定はしません。が、お断りします」

テニス部のマネージャーなんてそんなハードそうなことやるものか。面倒くさい。
クラスメイトなら誰でも知っているだろうが、私は極度の面倒臭がりだ。やらなくてもいいことはやらない、やりたくない。二言目に出てくる言葉といえば、「面倒臭い」である。

「君はそういうだろうと予想はしてたけどね。でもこっちも困ってるんだ。何がなんでもやってもらうよ」
「知るか」

無理矢理やらせるつもりだろうか。
というか、この幸村精市とかいうやつは何処まで上から目線でものを言うのだろうか。誰かコイツの性格を矯正してください。

「ていうかもう授業始まるんですけど。さっさと教室に帰れ」

そう言い放つと、彼は気付いたように教室の時計を見上げて一つ頷く。

「本当だ。じゃあ俺は教室に戻るよ。また放課後になったら来るから。マネージャーの件、それまでに考えておいてね」

にこりと笑ってそう言うと颯爽と教室を後にした彼。とりあえず放課後までの平安は得られた。
…が、放課後には再びここへ来るということ。何だってこんなことになったんだ。私を推薦したヤツを見つけたら縛り上げてやる事にしよう。決定。
盛大にため息をひとつ。

「めんどくさっ」

本当、面倒臭い。



 ***



そしてやってきた放課後。特にする事もないので図書館に寄って本を借りたらさっさと家に帰る事にしよう。そう決めて必要なものを鞄に詰め込む。

「槙原さん、考えてくれたかな?」

上から降り注いだ声に視線を上げれば、昼休みにも見た顔。遠目に見るだけなら美人だと思う程度だが、関わると面倒な人。
無意識のうちに顔が歪んでしまったらしい。彼が困ったように笑う。

「…そんなに嫌な顔しないでよ」
「そりゃ失礼。また私の所に来たところで無駄足ですけどね。私の意見は変わりません。マネージャーなんてやらない」

一刀両断。分かりやすく言ってやったつもりなのに、彼は相変わらず笑うだけ。

「困ったな。君にしか頼めないんだけど」
「テニス部が勝とうが負けようが私には関係ないし、マネージャーをしなきゃいけないような義理もない。はい、話は終わり。さようなら」

荷物を詰め込んだ鞄を手に立ち上がって教室を後にしようとドアに手をかける。と同時に後ろからかけられた声。

「じゃあさ、槙原さん。俺達テニス部と勝負しよう。鬼ごっこ。今から5分後、俺達は君を追いかける。槙原さんが逃げ切れば槙原さんの勝ち。槙原さんが俺達のうちの誰かに捕まれば俺達の勝ち。どうかな?」
「…やらないって言ってるの。聞こえてる?それとも、言葉を理解する頭がないのかな君は。じゃあね」

我ながら大分酷い物言いをしているという自覚はある。自覚はあるが、それを悪い事とは思わない。人の話を聞こうとしない彼が悪いのだから。
彼の提案を無視して、私は図書館に向かった。



 ***



「返却お願いします」

図書館の司書さんに借りていた本を手渡して、返却処理をお願いする。返却処理が終わったところで荷物を机の一角に置いて、書架の間を進む。目ぼしい本はあるだろうか。書架に並ぶ背表紙を視線でなぞっていく。なんとなく気になったタイトルの本を抜き取って、ぱらぱらと数ページに目を通す。今日はこの本にしようか。
その本を片手に、今度は貸出処理を司書さんにお願いする。処理を終えた本を鞄に仕舞い込んでから図書館を出る。運動部の掛け声やら吹奏楽部の楽器の音が聞こえてくる廊下をひとり歩く。
階段を下りて昇降口に向かう途中聞こえてきたのはバタバタと走る音。

「槙原発見!!」
「あれ、丸井」

走る音が直ぐ傍まで来たかと思えば、廊下の反対側から姿を見せた赤い髪。去年クラスメイトだった丸井ブン太だ。

「いえーい、俺の勝ち!ちょっと槙原逃げんなよお前」

私の片手を掴んで、そのまま空いたもう片手で携帯電話を操作して誰かに電話を掛けているらしい。ぼそぼそと何かを話している。

「逃げんなって何それ。ていうか私帰りたいんだけど。離せよ」
「ちょっと待ってろっての。もーすぐ…お、来た来た」

通話を終えたのを見計らって声をかければ、逃がさないと言わんばかりに手に力が籠められた。何だって言うのだろうか。クラスが変わってからというもの、全然話なんてしていなかったのにいきなり。

「槙原さん、俺達の勝ちだね?」
「……げ、」

にこりと笑った彼が、言った。思わず「げ」などと声を上げてしまったが、仕方ないことだろう。ていうか、まだ諦めてなかったのか。本当、人の話を聞かない奴だ。

「言ったよね?俺達が勝ったら、君にマネージャーになってもらうって」

呆れて本当言葉も出ない。出るのはため息ばかりなり、ってか。

「…丸井、手ぇ離してもらおうか」
「え、ヤダ」
「ヤダじゃねぇよ手ぇ離せって言ってんのが分かんないのある事ない事言いふらしてやろうか」

ぎろりと睨みつけて低い声でそういえば、丸井の顔がヒクリと引き攣る。丸井は私が怒ると怖いと言う事を知っている。事実、それで酷い目を見た事があるのだ。手首を掴む手の力が緩んだのを見計らって振りほどく。

「幸村って言ったっけ。あんた、本当馬鹿でしょ。アンタの言った鬼ごっこ。これ、両者の合意の元でやらないと効力を発揮しないって分かってる?」

少し考えれば分かることだ。合意の元でこの鬼ごっこをしたのなら、捕まった私はマネージャーにならなければいけないだろう。合意したからには、その責任は負わなければいけないだろうから。いわば契約が成立していると言う事になる。しかし、私はこの鬼ごっこに合意をしてなどいない。イコール、契約は不成立。この鬼ごっこの効力は、私には及ばない。合意をしていないから責任も何もありはしない。
それを分かりもせず、一方的に取り付けて行使したところで私には無意味だ。逃げる必要もないし、捕まったところでマネージャーをしなければいけないという理由もない。仮に無理矢理マネージャーをさせられたところで私にやる気がないのだ。マネージャーの仕事なんてするわけがないだろう。

「そういうわけで、サヨウナラ」
「………」

一瞥をくれてやってから、昇降口で靴を履き替えて校門へと向かう。もう、本当面倒臭い。二度と幸村とかって人とは関わりたくない。そんな事を思いながら。

「……丸井、槙原さんって手ごわいんだね…」
「俺、そーいや槙原に口で勝った奴って見た事ないわ」

ため息混じりに2人がそんな会話をしていたなんて、私は知るはずもなかった。




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本当、夢にもなりゃしません(笑)

2012.08.09





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