夢か現か



自分の部屋の床に座って、マンガを捲る。
背中合わせで座った仁王は、私の部屋に持ち込んだテニス雑誌を捲っている。
室内で掛けている音楽は、仁王に影響された私が購入したジャズのCD。
音の波の心地よさは、何かを読むのにちょうどいい。
そんなことを思いながら、顔を上げる。
コンポの隣に積み上げられたCDには、仁王が置いていったものや借りてコピーしたものが多々混ざっている。
その隣においてある本棚にはテニス関係の本やら、要らないからと仁王に貰った本や漫画がちらほら。
随分とこの世界に馴染んだものだ、と心の中で笑う。
社会人として働き始めて数年、ありふれた生活を送っていたはずの自分はいつのまにかテニスの王子様の世界にトリップしてしまっていた。
しかも、仁王雅治の幼馴染というおまけ付きで。
最初こそ辛い、元の世界に戻りたいと嘆いていたものの、人とは慣れる生き物だ。
トリップしてから早2年。今では二度目の学生ライフを満喫してしまっているし、仁王雅治とも幼馴染として普通に接することが出来ている。
むしろ普通を通り越しているくらいに仲が良いのではなかろうか。
そうでもなければ、あの仁王がこんな風に人に背中を預けて雑誌を読むだろうか。
そんなことを考えていたら、私の背中の支えが急に失われた。

「う、わ!」

自分の体重を支えていたものが失われたことで、必然的に仰向けに倒れることに。
ゴツ、と後頭部が鈍い音をたてた。
地味な痛みに目を閉じて耐えていると、自分の上に影がかかるのが分かった。
そろりと目を開けば、逆さまに視界に入る幼馴染の仁王雅治。
高校生なった彼は、トリップ当時に比べて随分と色気を増したような気がする。
それでも精神的には私のほうが遥かに年上であるから、特になんとも思いはしないが。

「どしたの」
「…緊張感のきの字もないのう」

ああ、これは少し呆れが入っている。
表情に動きは全然ないものの、声のトーンなんかで気分を判断する。
それが出来てしまうほどの付き合いになったということ。

「幼馴染に対してどうして緊張しないといけないのよ」

気心の知れた仲なのに、緊張するというのもおかしな話だろう。
私は何も間違ったことは言っていない。うん。

「幼馴染じゃけど。…じゃが、俺かて男ナリ」
「男だけど幼馴染でしょ。今更意識してどうすんの」

まるで男として意識しろと言わんばかり。
それは無理というものだろう。何度も言うが、私は彼よりも中身が遥かに年上なのだ。
弟のような感覚で付き合ってきていたのに、どうして男として意識できようか。

「…どうしたもんかのう」

ため息混じりにそう言って、私に逆さまに覆いかぶさるようにしていた身体を起こす。
それにあわせて、私も足で勢いをつけて起き上がる。
ぱらぱらと、手から離れてしまったためにページが分からなくなったマンガを捲る。
仁王はそんな私を横目でちらりと見て、再びため息。

「俺よりもマンガかい」
「いやだってこのマンガ面白いし」

そう言い返して、マンガに視線を落とす。
ぱらりぱらりとページを捲り、読み進めていけば。
視界の両端を掠めた影。
そして間髪居れずに後ろ髪をクイとひっぱられて顔を上げれば。

「マンガよりも俺んこと見て」
「…雅治?」

真剣な顔で言われて、首をかしげた。
どうしたというのだろう。今日の彼は、随分と私に絡んでくる。
と、いうか。

「近い近い顔近いよねえ雅治!」

あまりに仁王の顔が近くにあったものだから思わず焦る。
そりゃ焦るだろう。だって多分30センチと離れていない。
しかもあの綺麗な顔だ。見慣れているとはいえ、ここまで至近距離となると話は別。
そして何故か彼は腕を伸ばして私の頭を抱き寄せるような体勢だ。

「近いから少し離れようか」
「嫌じゃ」

即答。
仁王ってこんな性格じゃなかったと思うのだけれど。
本当に今日はどうしたというのだろうか。

「沙耶の事が好きじゃけ、嫌じゃ」
「ハイハイ、冗談はそこまでにして離してくれる」

仁王の口から出てきた「好き」という言葉に少しだけ驚きつつも流す。
彼が好きという言葉を口にすることはまずないのだ。
幼馴染として付き合ってきた2年間、その言葉を聞いた回数は片手で足りるだろう。
仁王が私に対して本気で好きになるとは思えないから、性質の悪い冗談だろうと判断しての事だ。
それなのに、仁王は。

「……冗談じゃ、なか」
「え、」

低い声で、そう呟いて。
私と仁王の距離が一気に近付いた。
鼻と鼻がぶつかりそうなほど近くに、仁王がいる。

「沙耶ん事がずっと好きじゃった。ずっとじゃ」
「まさ、」

目の前にある仁王の顔が、くしゃりと歪む。

「それなのにお前さんは気付きもせん。俺に見向きもせん。ずっと、幼馴染のまんまじゃ」
「…でも、雅治。彼女、いたじゃない。今だって、付き合ってる彼女いるでしょ」

そう。仁王には彼女が居た。そして、今だって付き合っている彼女がいるというのに。
それは中学の時からだ。女遊びが激しいわけではない。
半年近く付き合って別れて、を繰り返している。
直ぐに別れるわけではないから、きっと好きで付き合っているのだろうと。
そう、思っていたのに。

「好きなわけじゃなか。好きだから付き合ってたわけじゃないんじゃよ。…沙耶が好きじゃけ、付き合っとった」

ワケが分からない。私が好きなのに、何故他の子と付き合うのだろうか。
好きじゃなくても付き合う、というのは分からないでもないけれど。

「沙耶が好きじゃけ、他の女と付き合ってその子を好きになれれば沙耶を諦められる、思うとったんじゃ」

琥珀色の仁王の目が、揺らぐ。
辛いといわんばかりに眉根を寄せるその表情を見て、本当の事を言っているのだと気付く。
仁王は、私に対して嘘を言うことはあまりない。
けれど、本当のことを言うわけでもない。すべてをぼかして、曖昧な言葉で伝えてくる。
こんなにも真っ直ぐに言葉にして伝えることは、殆どなかった。

「…でも、もう無理じゃ。やっぱり俺は沙耶がええ。他の女と付き合っちょっても、沙耶と比べてしまうんじゃ」

片方の手が、私の頬をするりと撫でる。
とても。とても、優しい手つきで。
まるで壊れ物に触れるように。

「のう、じゃけ俺と付き合って。本当に、沙耶が好きなんじゃ。幼馴染の関係じゃ、もう満足できんのじゃ」

首の後ろにまわされた片腕に力が込められて、頭を抱き寄せられる。
仁王は、私の肩口に顔を埋める。

「…ちょ、っと待って。いきなりそんな、」
「いきなりじゃなか。俺が何年沙耶の事想うてきたと思っちょるん?」

直ぐ傍で響く低音に、柄にもなく焦る。
本当に、ちょっと待ってくれ。
今までただの、本当にただの幼馴染だとしか思っていなかったのに。
ていうか、私は本当の意味での幼馴染ですらないのに。
この世界とは違う、別の世界からトリップしてきたただの社会人で、中身は彼よりもずっと年上なのに。

「彼女は、どうすんのよ」
「昨日別れた」

頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じた。
何で、別れる必要があったのだろう。
昨日の午前中まで普通に仲が良さそうに過ごしていたというのに、急にどうして。

「……雅治の事は、好きだよ。だけど、ずっと幼馴染としてみてきたから急にそういう風には見れない」
「…………じゃあ、」

少し眺めの沈黙の後に、仁王が声を発した。
その声を聞いて反射的に仁王と距離をとろうとしたもののすでに抱き寄せられている上に、仁王は声を発すると同時に腕に力を込めていたためにそれは叶わなかった。

「じゃあ、俺と付き合うても問題ないっちゅーことじゃな」

首に回された腕に込められた力はそれほど強くはない。
けれど、知らぬ間に背中に回されたもう片方の腕に籠められた力はギリギリと私を締め上げる。

「ちょ、雅治…苦しい」
「俺と付き合うじゃろ?」

ギリギリギリ。地味に締め上げられる痛みを訴えれば、ちらりと顔を上げてニヤリと笑う仁王が視界に入る。

「だ…っから、」
「つーきーあーうーじゃーろー?」

体が締め上げられて最早声も出やしない。
だからと言って頷くわけにもいかない。
そうなると、仁王から逃げ出す方法は…ない。

「幼馴染としてじゃなく、男として俺と付き合って。そしたら、俺んこと好きにさせちゃる。沙耶が俺んこと好きでたまらんって思えるようにしちゃるけぇ」

自信ありげにそう言うから。
力強く私を抱きしめる腕の強さも手伝って、私は思わず首を縦に振った。
そして緩んだ腕に、距離をとろうと身じろぎ。
顔を上げたその瞬間を狙い済ましたかのように額に触れた熱に、思わず固まった。

「絶対、好きにさせちゃる。手放してなんて、やらんぜよ」

至近距離でそう言った仁王の笑みに思わずときめいた、とか。
そんなん言えるわけが無い。

「……頑張って私を惚れさせてみてよ、雅治」

負けじとそう言い返してはみたけれど。
年上としての余裕なんて、ありはしない。
トリップしたというだけでも驚きなのに、仁王雅治の幼馴染というオプションまでついていて。
更には恋人にまでなるだなんて。
どれだけ都合の良い夢物語なのだろう。
けれどこれはきっと、覚めることはないだろう。









TOP

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -