ネクタイ


ネクタイテーマの短編集


  幸村精市
  柳蓮二
  仁王雅治
  柳生比呂士














 * 幸村精市


するり。
衣擦れの音がして、長く骨ばった指が器用に動く。
その手の動きを追っていた私の視線に気付いたのか、目の前の彼が首を傾げた。

「どうかした?」
「んー…器用だなあって」

彼の首元には、きちんと結ばれたネクタイ。
私のそれは、ただ首にかけてあるだけ。
いつも何故か上手く結べなくて、誰かに結んでもらっているのだ。

「そうかな?沙耶は…結べないの?」
「綺麗に結べた記憶がないね。どーすんの?」

教えてと乞えば、手招き。
素直に近くまで行けば、手が伸びて私の襟に伸びる。
立てられた襟の周りを、ネクタイが締め付けた。

「教えてやんない」
「え、ケチ」

クスクスと笑いながら、私の首元で白い手が動く。
視線をそちらに向けても、動きが早くて何をしているのかすらわからない。

「沙耶は結べなくていいよ」
「よくないから教えてって言ってんのに」

口を尖らせると、怒らないでと言って頭をフワフワ撫でられる。

「沙耶のネクタイは俺が結んでやるから、覚えなくていい」

だから、毎日俺のところにおいで。
そして頭を撫でていたはずの手はいつの間にか後頭部に回っていて。
抱き寄せられて、額に唇を落とされる。

「…ん。ねえ、精市。ネクタイ緩めてい?」

キツめに結ばれたネクタイが苦しくて緩めようとした手が囚われた。

「緩めるのは沙耶の勝手だけど、緩めると見えるよ?」

意地悪な声で言われて、首を傾げながらネクタイを緩めてみる。
鏡に映った自分を見て一瞬、動きが止まる。

「ちょ、馬鹿!最悪…」
「だから、見えるって言っただろ?」

緩めたネクタイの直ぐ下に見えたのは、赤い印。
悪戯に笑う彼に、思わず溜め息をついた。





















 * 柳蓮二


容赦なく照りつける日差しに、げんなりする。
プールから上がったあとは、拭いきれなかった水分がじっとりと体に纏わりつくようでさらに蒸し暑いように思う。
そんな中ネクタイを結ぶ気にもなれない。
さらに第二ボタンまでを外して襟元から空気を入れる。

「…も、ほんっと暑い…」

首筋は少し涼しいような気はするけれど。
乾ききっていない髪からジワリと滲む水分が首筋をぬらしているから。
纏めてアップにした髪の先端からは、時折ぽたりと雫が落ちる。

「槙原」
「あ、柳」

待ち人の姿を見つけて、歩み寄れば。
思いっ切り険しい顔。

「沙耶、ネクタイはどうしたんだ?」
「ネクタイ?暑くてそんなのやってらんないよ」

手で扇ぎながら返すと、ため息をつくのが聞こえた。

「持ってるだろう?」

よこせ、といわんばかりに手を差し出される。
その手に、しわにならないように丁寧にくるりと巻いたネクタイを載せる。
骨張った大きな手が伸びて、私の襟を立てる。

「頼むから、ネクタイくらいはしてくれ」
「えー」

私と柳の身長差ではネクタイは結びにくいのだろう。
柳が前かがみになって、首周りにネクタイをまわす。
体勢のせいか、柳との距離が近い。

「…ほら、これでいい」

シュ、と衣擦れの音をさせて柳の手がネクタイから離れた。
お礼を言おうと顔を上げると、柳とのその距離に驚いた。
思わず目を瞑れば、額に触れる柔らかい熱。

「や、なぎ!」
「少しは恥らってくれないか。ボタンだって外しているだろう?」

余計に暑くなった顔を手で扇いで冷ましながら、何のことだろうとくるりと視線をめぐらせる。
分かっていないのが、柳にも通じたのだろう。再度ため息。

「シャツが濡れてる上に第二ボタンまで外してるから際どいぞ?」

柳のその言葉に、何を言っているのかやっと理解。
暑いからって、ネクタイを結ばなかったから。
下着が、見えそうになっていたと。
そういうことらしい。

「……今ここに誰もいなくて良かった…」
「いたところで沙耶が心配することはない」

言って、うっすらと笑う。
え、何か怖いのは気のせいでしょうか?



















 * 仁王雅治


ぐい、と自分の視線よりも下にあるネクタイを引っ張った。

「ちょお沙耶、お前さん何すんじゃ」

いつも緩く結ばれたネクタイが、私が引っ張ったことできつくなった。
仁王の手が直ぐにネクタイに伸びて首元を緩めようとするけど、その手を払い落とす。

「いつもネクタイ緩すぎだってば」
「首元苦しーの、ヤダ」

そう言って口を尖らせて、再び首元に手を伸ばしてきた。
程好く筋肉のついた手首を握って、ネクタイを緩めようとするのを阻止して。

「ヤダじゃなーい」

私の言葉に不満そうな表情になった仁王に苦笑い。
コート上の詐欺師なんて呼ばれてるけど、今の仁王の姿には詐欺師なんて言葉は似合わないように感じる。

「そんな不満そうにしないのー」

それでも相変わらず不満そうな仁王の姿に溜め息。
グイッと強くネクタイを引っ張って、仁王を屈ませて。

「!…沙耶?」

仁王の口元のホクロに口付けた。
至近距離にある琥珀色の目が、驚いたように見開かれた。

「これで機嫌直して、ネクタイちゃんとする!」
「……了解ナリ」

パッと手を離すと、仁王がふいと視線を逸らした。
銀色の髪の隙間から見える耳が、赤い。
私も、人のこと言えないのだろけれど。
顔が熱くて、仕方ない。





(風紀委員な彼女)



























 * 柳生比呂士


「おはようございます、沙耶さん」

靴を履き替えて顔を上げたそこには、風紀委員の腕章をつけた真面目そうな男子生徒。
手に持ったボードとペン。

「比呂士さんおはようございます。風紀の仕事、ご苦労様です」

ぺこりとお辞儀して挨拶を返す。
そういえば、そうだ。
彼は今週は風紀委員の仕事で朝が早いのだと、この間言っていたではないか。

「沙耶さん、ネクタイをしていらっしゃいませんが…どうかしたのですか?」
「え、ああ」

言われて、自分の首元に視線を落とす。
普段ならきっちりと締めているネクタイがないのが気になったのだろう。

「ネクタイ、解けちゃって。私ネクタイって上手く結べないんですよ」

苦笑しながら、素直に理由を告げる。
けして不器用なわけではないのだけれど、何故かネクタイだけはきちんと結べたことがない。
いつもなら結んでもらったのをただ緩めたりしているだけなのだけれど、昨日はそれを間違って解いてしまって。
今朝結ぼうとしてみたけれどその苦労は無駄に終わり、家族に頼もうかと思ったけれど時間がなくて。
持ってきたものの、ネクタイは結ばれないまま。

「…仕方ないですね。貸していただけますか?僭越ながら私が結んで差し上げますよ」
「わ、ありがとうございます」

差し出された手にネクタイを乗せて、代わりにボードを受け取る。
大きな手が伸びて、私の襟を立てた。

「今まではどうなさっていたんですか?」
「親に結んでもらったのを、解かないで使ってたんです。緩めたり出来るじゃないですか」

シュッという音がして、私に掛かっていた影が消える。
胸元に視線を落とせば、綺麗に結ばれたネクタイ。

「わ、綺麗。ありがとうございました」
「お礼を言われるほどのことではありません」

お礼を言ってボードを手渡すと、それを受け取りながらメガネをクイと押し上げる仕草。

「今度また解けたようなら、いつでもお声をかけてくださって構いませんよ」
「本当ですか?じゃあ、また今度お願いすることにします」

笑って、じゃあ後でと教室に足を向ける。
そのやり取りを見ていたのだろう友人が、ニヤリと笑いながら声を掛けてきた。

「見たわよぉ、沙耶。何だか柳生君と良い雰囲気じゃなーい?」
「そんなことないと思うけど。柳生君、誰にでも優しいじゃない」

そう返せば、一瞬キョトンとして。
次の瞬間、友人が笑い出した。

「あっは、柳生が、優しい?まあ紳士だから誰にでも優しいっていうのはあるけど、あんたに対しては優し過ぎって位に優しいの。気付いてなかった?」
「…え?」

友人の言葉に今度は私がキョトンとする番だ。
クツクツと肩を震わせて笑う友人が目尻に溜まった涙を拭う。

「傍目から見てて、どこの恋人だよって思うくらいだね」

友人の言葉にさらに驚いた私の顔が真っ赤になったのは、言うでもない。



(友人以上恋人未満な関係)













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