「いらっしゃいませ」
これでもかと言うほど人が押し寄せる。
それに半ばウンザリしつつも、嫌な顔はせずに対応する。
嫌な顔をしていないだけで、笑っているわけではない。
ひたすらに表情を消していると言うのに、女子はその何処がいいのだろうか。
ちらりと時計を確認すれば、あと10分ほどでこの場所から解放される。
それまでの我慢だと自分に言い聞かせてはみるものの、そろそろ限界も近かった。
いい加減疲れた。
テニスをするよりも疲れるかもしれない。
影でこっそりと溜め息をつく。
そういえば、みょうじの姿を見ていない。
俺のこの姿を見たいと言ったのは彼女だ。
それが、彼女にこの姿を見せないままで終わってしまう。
「…何ぼんやりしてんの、仁王」
不意に後ろから声をかけられて肩がピクリと揺れた。
この抑揚のない低めの声。
「…来たんか」
「見たいって言ったでしょ」
当然のように教室に設置されたテーブルにつく。
頬杖をついたその顔がニヤリとした笑みを浮かべた。
「で?」
「は?」
ニヤニヤと笑う彼女の言葉に、ワケがわからないと首を傾げた。
彼女の指先が、トントンとテーブルの上に広げられたメニューを叩く。
「…ああ。『ご注文はお決まりでしょうか?』」
マニュアルに書いてあった通りの台詞をそのまま言えば、可笑しそうにくつくつと笑い出す。
一体何をしにきたのだろうか、こいつは。
「笑いに来ただけなら帰りんしゃい」
「…っ、ごめ、っくく…。コーヒー、ホットで一つ」
笑いながら注文した彼女を見下ろしながら伝票に注文を殴り書きにする。
それすらも楽しそうに眺める彼女に、早く着替えたいと思った。
まさかみょうじに笑われようとは思ってもみなかった。
「どんな反応するかと思えばお前さんは…」
「ごめんごめん。だって余りにも普段と違いすぎるからさ。ギャップが面白くて」
それに接客してる姿が想像できなかったから、と付け足して。
やっと笑いが収まったらしく、大きく息を吐き出している。
そんな彼女の正面の椅子をガタリと引き出して腰掛ける。
「接客しなくていーの?」
「俺の今日の仕事終了じゃもん。あと何してようが文句は言わせんぜよ」
はあ、と大きく溜め息をついてテーブルに頬杖をつく。
解放されたことに喜ぶべきだが、どうにもここでは視線が気になって落ち着けない。
それに、向けられる視線は俺に対するものだけではない。
彼女に対する好奇の視線。嫉妬なんかも含まれているだろう。
そんな視線に何時までも彼女を晒したくはなかった。
「さっさとコーヒー飲みんしゃい。早いトコこっから出るぜよ」
「この熱いのを一気飲みしろと?」
「そうは言っとらんじゃろ」
いいから早く、と言って急かす。
彼女がコーヒーを飲み終えるまでに、ウエイターの服装から制服に着替える。
堅苦しい制服とはいえど、着慣れている分こちらのほうがまだ楽だ。
「着替えはっやいね」
「飲み終わったならさっさと金払ってココ出るナリ」
グイと手首を引いて会計用の机に伝票と小銭を放り出す。
クラスメイトがそれを確認するのを待たずにズンズンと廊下を歩く。
海原祭をしている校内は人に溢れている。
この調子じゃ、人目に付かない場所を探すのは一苦労だろう。
「仁王、手ぇ離して」
「ん?…あぁ、」
ずっとみょうじの手首を掴んだままだったのを忘れていた。
その手を離してから、初めてその手首の細さに気付いた。
男とは違う、女とはこんなに細かったのだろうか。
「色々回りたいとこだけど、そろそろ時間だし。じゃあね」
あっさりと俺の前から姿を消した彼女に、ふと気付く。
俺はいつの間にか、『クラウン』としてではなく。
『みょうじなまえ』という1人の人間に興味を持っていたのだと。
そして、それがいつの間にか特別なものに変わっていたのだと。
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