01



ただ、家へと向かう道を進んでいるはずだった。
何を考えるでもなく、ぼんやりと。家への道のりは、思い出すまでもない。
すでに何百と通っている。どこをどう歩けば家へつくかなんて、身体が覚えている。
家の近くの道なんて知り尽くしているから、道を反れたところでどう進めば元の通りに出るかも知っている。
なのに、何故だ。
…ここは、何処だ。

「…道、間違えたか?」

ぽつりと呟いてみるも、まさかそんなわけはないと自分の中で否定する。
先ほどまでは確かに見知った道だったのだ。周りの風景もいつもどおり、何ら変わるわけもなく。
ほんの少し。たった数秒。
足元に視線を落として、視線を戻したら景色が違っていただなんて。
そんな三流映画のような、くだらない小説のような出来事が実際にあってたまるもんか。
は、と短く息を吐いて携帯電話を取り出す。
GPSを使えば現在地の把握は出来る。携帯電話を操作しながらふと見た左上のアイコン。電波状況をしめすそこにあった文字に、携帯電話を操作する指が止まる。


【圏外】


普段なら電波状況が表示されるであろうそこに表示されていたのは、その言葉だった。
いや待て。こんな平地で圏外だと?ありえない。ここ数年で携帯電話は爆発的に普及して、今や圏外になるような場所なんてよっぽどの山奥かトンネルの中などでなければありえないだろう。
携帯電話の電波圏外、となるとGPSも使えないのだろう。
ため息をひとつ零して、携帯電話をポケットに戻す。落としていた視線を上げれば、道路わきに立つ電柱が目に入った。電柱にはどこぞの個人病院などの簡易的な看板。
そして気付く。その下には、地名が入っている。その地名を見上げて、思考回路が一瞬停止した。

「…ど、ういうことじゃ」

見上げた先にあった地名は、間違いなく自分が住んでいるはずの地域の名だった。



 ***



自分が住んでいる地域のはずなのに、見慣れない風景。
つい数分前までは確かに見慣れた場所を歩いていたはずだ。
なのに、何故。ここは何処だというのだ。おかしいだろう。
軽いパニックに陥りそうになるのを、必死に押しとどめる。
落ち着け、パニックを起こしてもどうにもならない。そう自分に言い聞かせる。
深く息を吸い込んで、吐き出す。それだけでも多少なれど落ち着くことが出来る。
まず自分は何をすべきだろうか。考えろ、考えろ。ここで立ち止まっていたところでただ時間が経過するだけだ。まずは行動を起こせ。自分で自分に命令を出しながら、歩き出す。まず目指すべきは、自分の家があるべき場所だ。
幸いにも、自分の記憶にある道とあまり違いはなかったらしい。周囲の風景こそ違えど、新興住宅地でない限り道はそこまで変わりはしない。どこか古めかしい風景のなかに、自分の記憶と一致する家などがある。けれどやはりどこか違うのだ。自分の記憶にあるその家は古めいているのに、ここで見るその家は真新しいようなのだ。長年風雨に晒されて薄汚れていたはずの外壁は、まだ白く汚れなどないように見える。それにその傍に植えられた木。記憶の中では2階の屋根に迫るまで成長しているはずのその木は、自分の身長より少し高いくらいしかない。幹だってまだ細い。
そして行き着くのは、ある可能性。ありえないと思いながらも、自分の目の前にある事実はその可能性を指し示す。その可能性を否定したくて、家があるべき場所を目指す足が速まる。
そして、足を止めた。見上げる先には、一軒の家。塀にある表札。見慣れない苗字。けれど知っている。聞いたことがある。記憶を呼び起こす。数年前に聞いた苗字だ。確かあれは、

「そう、じゃ。越してくる前に、」

自分は引越しをして、そして今神奈川にいる。引越してくる前にその家に住んでいたという住人の苗字。それが今、目の前にある。この、表札に。
突き付けられた事実。ありえない出来事。途方にくれるしかない。ため息が零れた。

「どうしろっちゅーんじゃ…」

もう、間違いない。可能性は、可能性ではなくなってしまった。事実として重く肩に圧し掛かる。



過去に遡ってしまった、だなんて。







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