11
その後の時間は、何事もなくただ過ぎていく。
日が暮れ、夕食の準備。彼女に手順を教えながら料理を作り、その料理を平らげて後片付けをする。テレビをつけてくだらない事を話しながら夜の時間を過ごし、それぞれ部屋に移動して就寝。
けれど自分は眠らずに布団の上に胡坐をかいてその膝に頬杖をついていた。
午後の彼女とのやり取り。それが気になって仕方なかった。
そして浮かんできたのは、一つの可能性。
ありえないと頭で否定しながらもどこかではそれを否定しきれずにいるのだ。情報が殆どと言っていい位ないから真偽の程を確認することは出来ない。
だが、確立などではない。自分の中の何かがその可能性を指し示す。
「こんなことなら辛い顔させてでも聞いとくべきだったかのう」
父親に、母親のことを。少しでも情報があればよかったのに。そうしていれば、今頃はこの疑問の答えはすでに見つかっていたに違いないと言うのに。
頭の中にぐるぐるとその事だけが駆け巡ってどうにも寝付くのは難しそうだ。
ため息一つ零して、荷物の中からルーズリーフとペンケースを取り出す。部屋の片隅に避けられた座卓にそれらを広げて、ルーズリーフにペンを走らせた。
暫くペンを走らせていれば、階段を下りてくる足音。
「…あれ、ニオーくん?起きてるの?」
襖の外から声を掛けられて低く一つ声を返せば、控えめに襖が開かれる。
ひょっこりと彼女が顔を覗かせるから、反射的にルーズリーフを裏返す。別に隠しているわけではないけれど、思わず、だ。
「紗江ちゃんはどうしたんじゃ。もう大分遅いじゃろうに」
「んー、何かわかんないけど寝付けなくてさ。ニオーくん、ホットミルク飲む?」
思いもよらない有り難い申し出に頷く。
小さな頃、眠れないときは父親がよくホットミルクを作ってくれたことを思い出す。父親が作ってくれたそのホットミルクを飲んだあとは何故かとろりとした心地好い眠気に襲われ、布団に潜り込めば直ぐに眠れたものだ。
牛乳の他に砂糖か何かを入れているのであろう、ほんのりとした甘さがあった。
彼女が作るホットミルクはどうだろうか。
「じゃあちょっと待ってて」
へらりと笑って襖を締める。ぱたぱたという足音が遠退いて、台所の方からは食器が触れ合う微かな音。
その音を聞きながら、元に戻したルーズリーフに再びペンを走らせる。
ちょうどルーズリーフの片面が文字で埋められた頃、再びぱたぱたという足音。襖の前で足音は止まったが、襖が開く気配はない。
再びルーズリーフを裏返し、苦笑しながら身体を伸ばして襖に手をかける。
「開けられんのなら声かけりゃええじゃろうに」
言いながら開いた先には、苦笑いを浮かべて両手にマグカップを持った彼女の姿。
こんなことだろうと思った。
即座にしゃがみ込んだ彼女の手からマグカップを受け取って両手で包み込む。冷えかけていた手がマグカップの熱でじわりと温まるのが分かる。
視線を上げれば、彼女も座りこんでホットミルクに息を吹きかけているところだった。
「んじゃ頂くぜよ」
一言ぽつりと言って、まだ熱いホットミルクをひと口啜る。
……熱い。熱いけれど、美味い。父親が昔作ってくれたものと同じで、僅かな甘み。その甘さの加減が、幼い頃の記憶とぴたりと一致するのは何故だろうか。
「これ、すこーし甘いんじゃけど何入れちょるんじゃ?」
幼い時は聞こうとも思わなかった。
思いもよらないところで昔と重なる味に出会ったからだろうか。何が入っているのだろうか、やけに気になった。
「蜂蜜をね、ティースプーンに一杯だけ入れてるんだー。これにレモン汁とか入れてもおいしーよ。冬はショウガ汁入れてもいいしね」
「…料理はせんのに、こーゆーのは普通に作るんじゃな」
そう言って、再び口をつける。
蜂蜜だけで、この味を出せるのか。今度自分で作って見る事にしよう。彼女が教えてくれたようにレモン汁、冬はショウガ汁を入れて。
彼女は曖昧に笑ってからまたホットミルクに息を吹きかけている。
「…そいえばニオーくんさ、親と喧嘩したって言ってたけど連絡とかしなくていーの?」
そういえばそんな事も言ったんだった。自分で言っておいて忘れていた。
彼女に視線を向けてから、ホットミルクをず、とひと口。
連絡を取ろうと思ったところで、どうやったってここから自分の親に連絡を取る事は出来ないのだ。そもそも居る時代が違うのに、どうやって連絡をとれるというのだろうか。
「……心配、してると思うよ」
自分の沈黙を、ただ言いたくないだけなのだと思ったのだろう。眉を下げた情けない表情をしてこちらに視線を向けてくる。
心配は、…するかもしれん。連絡の取りようがないからどうしようもないが。
「何で喧嘩したとか、聞いてもいい?」
「………よくありがちな事じゃよ」
そう前置きして、ホットミルクの水面に視線を落とした。
ホットミルクの表面には、薄らと膜が張っていた。それを見ながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
本当に、よくありがちな事なのだ。
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