10
食器棚から勝手に拝借したマグカップに、これまた勝手に出したインスタントコーヒーを淹れて一口啜る。
自分の荷物から取り出したルーズリーフに、同じく自分のシャーペンを滑らせる。
座卓に向かってペンを走らせる自分の向かい側には暇そうに頬杖をついてぼんやりと自分の姿を眺める彼女の姿。日当たりの良い場所にいるせいか眠たげな目をしている。
「ちょっと聞いてよか?」
「んー?」
ガリガリとペンを走らせながら正面に座る彼女に声をかける。
ぴしり。微かな音を立ててシャーペンの芯が折れる。カチカチとペンの頭をノックして芯を出しながら、ちらりと彼女の方に視線を向けた。
「紗江ちゃんて誰にでもそんなんなんか?」
「ん?」
言ってから、これではなんのことだか分からないということに気づく。どんなだ。不思議そうに首を傾げた彼女に、唸りを上げながら補足の言葉を続ける。
「じゃけ、誰にでも優しいんかって」
「…優しいって、誰が?私?」
彼女を置いてほかに誰がいるというのだろうか。この場にいるのは自分と彼女しかいないというのに。
自分で自分のことを指差す彼女は、優しいと言われたことに多少なりと驚いているらしい。言われたこと、ないのだろうか。
「初めて優しいとか言われた。どの辺優しいって思ったのか聞きたいところなんだけど、え、何で?」
再びルーズリーフに走らせていたペンを止めて指先でくるりと回す。
どの辺を優しいと思ったか、だって?まさかの自覚なしに、どう答えたものか少しばかり考える。すぐに出てこないわけではない。ただ、少し。自分で聞いておいて何だが、気恥しいのだ。
「………会ってそんなに経っとらんのに、俺んこと泊めてくれたじゃろ」
親が不在だから、料理を作れないから。
そんな理由だけで、会って1時間もしない相手を家に泊めようだなんて思わないだろう。自分が彼女だとしたら、きっと断っているに違いないだろう。
自分じゃなくてもきっとそうだ。よほど親しくない限り、家に泊めようだなんて思わない。なのに彼女は自分を泊めてくれたのだ。
「だから言ったよ?家に家族居ないし、私料理出来な、」
「それだけじゃ普通会って間もない奴泊めようとはせんじゃろ」
彼女の言葉を遮って、言う。
ペンを回していた手を止めて、視線を彼女に向ける。困ったような顔で自分に視線を返す。
「そんなこと言われても、なあ。…何となく、としか言いようがないんだけど。何となく、ニオーくんなら泊めてもいーのかなー、って。不思議なんだけどさ、ニオーくんて赤の他人って感じしないんだよね」
少し、驚く。
彼女が言った事は、少なからず自分も感じていた事だ。どちらか一方がそう感じるならば偶然で片付くだろう。しかし、双方ともがそう感じるということはまずないのではないのだろうか。
もしこれが偶然でないとしたら。
そこまで考えて、気付く。偶然でないとしたら何だというのだ。まさか、本当に他人ではないとでも?…まさか。そんなことがあるわけが無い。
ふと我に返って彼女に視線を向ければ、自分が驚いていたのが表情に出ていたのか小首を傾げていた。
「偶然にしては、出来すぎ…じゃのう」
彼女に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。が、それはしっかり彼女の耳に届いていたらしい。
「偶然にしては、ってどういうこと?」
「俺も紗江ちゃんと同じ。赤の他人って気がせんちゅーことじゃ」
自分のその言葉を聞いて彼女はもしかして遠い親戚かもねー、なんて笑うけれど。自分からすると笑い事なんかではないのだ。
もし彼女と自分に遠かろうが血の繋がりがあるとしても、父方の親類は殆どがここよりも西の方に住んでいるから父方の親戚だという線はまずない。そうなれば必然と母方の親類という線が濃くなる。しかし、偶然会っただけの人間が実は血縁関係にある確立は限りなく低いだろう。
普段であればありえないとそんな考えは振り払っているだろう。けれどその考えを振り払うことが出来ずにいる自分がいる。
彼女には適当に相槌を打って、再びルーズリーフにペンを走らせた。視線だけを動かして彼女を見れば、俺の手元に視線を落としながら指先にくるりと髪を巻き付けているところだった。もう一つ見つけた、彼女の癖。
かりかりとペンを走らせる音と、鳥の囀り、どこかで子供が遊ぶ笑い声。静かな空間にふたりきり。気まずさなんて一切感じられない、逆に心地好いとすら思っている自分にかすかに眉根を寄せた。
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