30
「あれ?おっはよ沙紀。珍しいねー、こんな時間に来るなんてさ」
大分席の埋まった教室に入れば、少し驚いた顔のよっちゃんが出迎えてくれた。
小さく笑って挨拶をして、まあねと答える。
「今日早く学校着きすぎちゃって。暇だったから、テニス部見に行ってた」
「…ふーん。後ろの二人はだからあんたの後ろにいるわけだ」
よっちゃんが目を少し細めて私の後ろに視線を向けた。
彼女の言葉に私は首を傾げてから、ちらりと後ろを振り向く。
何だかすごーく剣呑な空気を纏う仁王君と幸村君の姿。
「え?居たの?え、いつから!」
「鈍すぎにも程があるじゃろ」
呆れたように言った仁王君は、どかりと椅子に座る。
一方の幸村君は眉尻を下げて小さく笑う。
「まさか本当に気付いてないとは思わなかったよ」
「え、え。そんなに?」
わたわたする私を横目に、幸村君がかたんと小さな音をたてて椅子に座る。
幸村君はいちいち動作が綺麗すぎる。
まだ立ったままの私を幸村君が見上げる。
「うん。昇降口のあたりで追いついてたんだよ?」
ということは、窓の外をぼんやり眺めながら歩いていたのも階段で躓いたのも見られたということか。
恥ずかしいにも程がある。
しかも仁王君と幸村君の二人とか。
穴があったら入りたい。
「まあまあ、沙紀はこーゆーのが可愛いんじゃないのよ!」
楽しそうに笑って、よっちゃんが抱きついてきた。
その慰めが嬉しくて、私もよっちゃんに手を回す。
「うわあ、よっちゃん大好きー!」
「あたしもよ!相思相愛ね!」
教室の隅でとはいえ、こんなことをしていてはへんな目で見られるだけだ。
事実、前の席に座っている仁王君は呆れたような視線を向けてくる。
幸村君は顔こそいつものような微笑みだけれど、向ける視線は明らかに呆れたような困ったようなそれだ。
「なーにしとるんだか」
「うっさいわね、仁王君は。あたしと沙紀がラブラブで羨ましーでしょ」
至近距離でよっちゃんがにたりと笑う。
視線は仁王君に落とされている。
「勝手に言っちょれ」
「あら図星」
くすくすと楽しげに笑うよっちゃん。
え、どういう会話だろう。
私から離れたよっちゃんは自分の席につくとにっこり笑顔を私に向ける。
「いーわねえ、沙紀ってば」
「何の話?」
本気で何の話をしているのか分からない。
聞いたところでよっちゃんは答えてくれなそうだ。
椅子に座りながら助けを求めるように仁王君に視線を向けても、仁王君も同じく。
「幸村君、わかる?」
穏やかな顔をしていた幸村君にヘルプを求めれば、困ったような顔。
小さく首を傾げると、緩くウエーブのかかった髪が揺れる。
彼も、教えてくれる気はないらしい。
もういいやと諦めて、カバンからノートやペンケースを取り出す。
「あ、そういえば雅治」
カバンの中に伸ばした手が触れたものを掴んで、自分の机の上にそれを乗せる。
一冊の小説。
昨日私が読んでいた小説のシリーズ、その第一作目だ。
「昨日言ってた本。持ってきたよー」
何かを貸す約束をしたら、直ぐにでも持ってくるようにしている。
私はこれで結構忘れっぽいから、約束したことも忘れてしまうことがあるからだ。
「おー、じゃあ早速読ましてもらうとするかのう。沙紀、これが面白かったら続き貸してくれるんじゃろ?」
「雅治が読みたいっていうならね」
私と仁王君のやりとりをニヤニヤしながら見ているよっちゃんの視線。
そして、幸村君からはピリピリした空気を感じるのは気のせいだろうか。
ちらりと横目で窺ってみても、顔はいつもの穏やかさを保っているのに。
「じゃあ借りるぜよ」
「うん」
仁王君の手が私の机の上に置いた小説を持ってパラパラと捲る。
私の手で持ったその本はちょうどいい大きさのように思えるけれど、仁王君の手に収まったそれは随分と小さく見える。
それだけ手の大きさが違うということか。
ぱらぱらとページを捲っていた手が止まって、仁王君が視線を上げた。
「幸村」
仁王君の低い声。
最近はなかった、あの透明な視線で幸村君を射るように見据える。
対する幸村君も、いつものあの穏やかな顔ではなく。
表情の打ち消された、静かな顔をしていた。
「あの話、俺は承諾しとらんぜよ」
「じゃあ俺と勝負するってわけだ」
静かなやり取り。
二人の顔に表情こそないけれど、その目にある光は同じもの。
ゆらりと揺らめく炎。
話の内容は全然わからない。何か勝負でもするのだろうか。
「…見てて楽しいわねえ、あんたらって」
頬杖をついてこちらを見て言ったよっちゃんに、私は首を傾げるだけだった。
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