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私が学校に着くのは、クラスメイトが来るにはちょっと早めの時間。
だから、教室にはまだ人影はない。
朝の全く人気のない教室で小説を読みながら過ごすのが習慣だ。
今日も私はカバンからブックカバーに包まれた小説を取り出して、お気に入りのブックマーカーの挟まったページを開く。
静かな教室で読むと、読むことに集中できてページが進むのが早い。
気がつけば、いつのまにかクラスメイトが来てたということがしょっちゅうだ。
ぽんと肩を叩かれて慌てて顔を上げれば、ちょっと呆れ顔のよっちゃんが立っていた。

「ほんっとうに本が好きよねえ、沙紀ってば。いーっつも本読んでる」
「おはよ、よっちゃん」

とりあえず挨拶をすれば、少しの沈黙の後におはようと挨拶を返してくれた。

「よっちゃんは本読まないの?」
「たまにね、気が向いたら読むけど。沙紀ほどは読まないなー。あんたの年間読破冊数何冊よ?」

問われて、去年の図書館の貸し出し冊数を思い出す。
去年は受験とかもあって、そんなに読む時間は無かったからあまり多くはなかった。

「去年図書館から借りた本は100超えてたかなあ。でもその他にも家の本とか読んでたし、正確な数は分かんない」
「100?!」

凄く驚いた声で数字を繰り返す。
というか、大きな声だったからクラスメイトがこちらを見てる。
そんなに驚くほどの数字じゃないと思うのだけれど。

「うん。でも私よりも本読んでる人なんてもっといたよ?他の友達とか、普通に200冊借りてたらしいし」
「…あんたの周りはそんな読書好きばっかだったの…?」

うわあ、と言いながら私を見下ろすけど。
別に友達全員が読書好きだったわけじゃない。
私の友達の一人が、凄く本を読む子だったっていうだけだ。
しかもジャンル問わず。だからか、随分と色んなことを知っていたような気がする。
美術館に展示してある作品を見て、どの神話をモチーフにしてるのか、なんて事を言っていたりしたから。
ちなみに私の知識量は彼女に到底及ばない。読破した冊数が違いすぎる。

「おはようさん」
「おはよ、仁王君」

信じられないという視線を向けてきたよっちゃんの隣をすり抜けて、私の前の席に座る仁王君に挨拶。

「ねえねえ仁王君!」
「…おはようさん、新浜」

挨拶もなしに話しかけたよっちゃんに、仁王君はちょっと顔を顰める。
仁王君が顔を顰めたのに気付いたよっちゃんが、あ、と声を漏らして挨拶の言葉。
思わず苦笑した私に、仁王君がちらりと視線を向けてきた。

「ねえ仁王君、沙紀ってば図書館から年間100冊とか本借りてんの!ちょっと多すぎとか思わない?」
「別に、そんくらい普通じゃろ。ちゅーか、そこらは個人差激しいと思うがの」

さらりと言った仁王君に、よっちゃんは不満そうだ。
何でそんなに読書量が気になるんだろう。
別に人がどれだけ本を読んでようと構わないんじゃなかろうか。

「えぇ〜」
「流石にウチの参謀の読書量はどうかと思うが、永塚くらいじゃったら可愛いもんじゃろ」

参謀、という言葉に首を傾げる。
誰を指す言葉なのだろうか。
それでもよっちゃんにはそれで通じたらしく、ああ…なんて納得の表情。

「あの人はね。ちょっと引くくらい読んでるもんね…。何なの、平均年間読書量600冊って」
「……え、600?」

ちょっと驚きの数字が聞こえてきた。
どれだけの冊数を読んでいるんだろうか。1日に1冊以上は読んでいる計算になる。

「…ところで、『参謀』って誰?」

首を傾げて二人に聞いたら、二人揃って私に視線を向けて。
一拍してから、気付いたようにああ、という声。
仁王君が『ウチ』と言うくらいだから、テニス部の人だろうか。

「『参謀』っていうのは、男子テニス部の柳蓮二ってヤツのことだよ。データに基づいて戦略を立てることから、立海ではそう呼ばれてる」

割って入った、静かな声。
視線を横にずらせば、テニスバッグを下ろしたばかりの幸村君の姿。
椅子に座って、おはよう、と挨拶をしてくる。

「あ、おはよう。…柳、蓮二?」
「その豊富な知識量から『歩く辞書』とまで言われてるくらいだもんねえ。あの人なら立海の生徒全員の情報把握してそうで怖いわ」

怖いといって大げさに体を震わせるよっちゃんに、幸村君が困ったように笑う。

「そこまでじゃないとは思うよ。……多分」
「多分って何よ、多分って」

溜め息をついたよっちゃんが諦めたように自分の席に座る。
椅子に横向きに座って、頬杖をついた仁王君が少しだけ苦笑い。

「永塚、お前さんのデータも把握されてると思っちょったほうがええじゃろうな」
「私のデータって、え?」

データって何。どんなデータ?
そもそもそんな個人のデータを集めてどうするというのだろうか。
私の言いたいことが分かったのだろう、仁王君が再び口を開く。

「身体的なデータは少なくとも把握済みじゃろ。下手すりゃ成績も知っちょるかもな」

使い道は知らんが、と付け足して。
隠すでもなく欠伸をして、背筋を丸くする。
その様子がネコを彷彿とさせて、少し微笑ましい。

「…うわあ」
「あ、永塚さんがちょっと引き気味」

隣から幸村君の声。それからくすくすと小さく笑う。
幸村君は笑うけど、そりゃあ引きもするだろう。
そもそも一般的に公開されていない情報をどうやって知りえるというんだ。
しかも身体的データとか。イコール、体重までバレてるってことじゃないか。
乙女の敵だ。

「まあ悪用するようなヤツじゃないし、安心していいよ」

安心していいと言われても、そう素直に安心は出来ない。
だからと言ってどうしようもないのだけれど。
ちょっと複雑な気分だ。
そんな事を思いながら自分の手元に視線を落として、思い出した。
カバンの中に忍ばせてきた、もう一冊の本。

「忘れてた、幸村君!」
「ん?」

カバンをごそごそする私に向けられる、幸村君の視線。
本を取り出した私に、幸村君も思い出したように小さく声をあげた。

「持ってきてくれたんだ?」
「うん。気に入るかは分からないけど」

ぺらぺらな薄い本。私の好きな作家の詩集。
写真に添えられた短い詩が、じわりと心を暖かくするような本。
読むたびに好きになる。そんな本だ。

「…詩集?」
「私の好きな作家さん。小説も面白いけど、詩も結構好きなんだー」

ぱらぱらと幸村君の手がページを捲る。
その手が、ぴたりと止まった。

「……うん、有り難う。遅くなるかもしれないけど、読ませてもらうね」

ふわりとした笑みを向けて言う幸村君に、私も笑みを返す。
私は幸村君のほうを見ていたから、気付かなかった。
仁王君が、私と幸村君のやり取りを見ていたということに。
その表情が、不機嫌そうなそれだということに。





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