16
図書委員の仕事を終えたら、日はすっかり暮れていた。
人気の無くなった学校の中は、いつもとはちょっと違う感じがする。
電気こそついてはいるけれど、長い廊下の先に暗闇がぽっかり口を開けているような。
そんな、わけもない恐怖に似たものが走る。
下らない事を考えながら昇降口で靴を履き替えて視線を上げると、視線の先には黒いラケットバッグを担いだ白い背中。
外灯の明かりを受けた、銀色。
ゆらゆら揺れる銀色を追いかけるように昇降口を出て数歩。
「にお、」
「あれ、永塚さん?」
呼びかけた声が、別の声に遮られた。
教室でよく聞く柔らかい声。
声の聞こえてきたほうへ視線をめぐらせれば、緩くウェーブした髪を揺らして私に向かって歩いてくる。
「幸村君。今部活終わったの?」
「そんなところかな。一応一年生だからね、片付けとかもあるし」
ふわりと笑って、私の隣に立つ。
幸村君は首を傾げて、私を見下ろして。
「永塚さんは、なんでこんな遅くまで学校に?」
歩く私のスピードに合わせてか、幸村君が変わらぬスピードで私の隣を歩く。
問う言葉に、少しだけ答えるのが遅くなる。
別なことを、考えていた。
「あ、図書委員の仕事。当番回ってきて、ついでに司書の先生に頼まれごとしちゃって」
カウンター当番はそんなに遅くない時間に終わったのだけれど。
帰ろうと持参の本に栞を挟めて閉じた所で、声をかけられたのだ。
返却されてきた本を棚に戻すのは司書の先生の仕事なのだが、それが今日は追いつかないということで。
それを終わるまで手伝った結果が、これだ。
特に何か予定があったわけでもないのだけれど、何となく時間を損した気分になる。
「そういえば永塚さんて図書委員だったっけ。本、好きなんだ?」
「本は好きだなあ。一冊の本に、色んな世界が詰め込まれてて。それを垣間見ることが出来るって凄くない?」
本を読むということは、別世界に足を踏み入れることと同じだと思う。
自分では考えられないような思考、出来事。
それが本という媒体を通して知ることが出来るのだから。
文字を追って、想像するしかない。それが逆にその世界の先を想像させる。
「そういえば、俺も本はよく読むよ。最近はちょっと読む時間がとれてないんだけど」
言って、ちらりと笑う。
先入観でなんとなく幸村君は本好きそうだな、とは思っていたけれど。
それが外れていなかったことに、少し嬉しいようなほっとしたような気持ち。
「部活忙しいみたいだしね。いいんじゃないかな、本はいつでも読めるんだし」
部活は今しか出来ない。だからきっと、本を読むことは後回しでも大丈夫。
本は逃げたりしないから。いつでも、ちょっとした空き時間に読めばいい。
「そうだね。でも本屋に行ったりすると面白そうな本が多くて、どうしても読みたくなるんだよ」
参ったよ、と苦笑する幸村君に同意。
本屋に行ってオススメの本とか新作の本とかを見ていると、どうしても読みたいという気になる。
私は時間は十分にあるから、読む時間には困らないのだけれど。
欲しい本を買うとなると、どうしてもお金が足りない。
それだけ本が欲しくなってしまう。
「その気持ちは凄くわかる。でも欲しいと思った本を全部買ってたらキリがないんだよね、私の場合」
だから、学校の図書館に通う。
立海の図書館はなかなかに本の品揃えが良くて助かる。
話題になって中々手に入らないような本まで直ぐに入ってきたりするし。
「図書館で借りるのもいいけど、図書館の本って期限付きだろ?中々期限までに読めないんだよね」
幸村君のように忙しい人なら、それは仕方のないことかもしれない。
朝は早くから練習をしているし、放課後だってこんな遅い時間まで練習をして。
きっと彼の事だから、家に帰ってからも自主練習だってしているのだろう。
学校の宿題だってあるのだから、読む時間なんて本当にないんだろう。
「よかったら私の本貸そうか?趣味が合うかはわからないけど」
叔母の家に居候させてもらっている身だから、あまり本は持ってきていないのだけれど。
それでも、軽く200冊は超えている私の蔵書。
大体がミステリーだとか、推理モノだとか。
ごく稀に、有名なファンタジーやSFなんかもあったりする。
母が知人やら親戚から貰い受けてきたという本ばかり。
どうせだからと全て読んでいたら、わりと何でも読めるようになった。
流石に専門書なんかは読んでもさっぱりわからないけれど。
「本当?嬉しいな」
「今度持ってくるね。どんなジャンルが好き?」
幸村君は、どんなジャンルを読むのだろう。
色んなジャンルを読んでいそうな気がする。
「そうだな、永塚さんのオススメの本がいいな」
私に視線を向けて、綺麗に微笑む。
それは、どんなジャンルでもいいということだろうか。
咄嗟に家においてある本のタイトルを確認する。
有名な戯曲だとか、エッセイだとか。
詩集なんていいかもしれない。
「じゃあ簡単に読めそうなやつ持ってくるね」
一冊の本を思い浮かべる。薄っぺらな、文庫本。
でも、薄っぺらだからと馬鹿には出来ない一冊だと私は思う。
その後も本に関する話題は尽きることなく、私の家の前までそれは続いた。
遠慮したにも関わらず、幸村君は私を家の前まで送り届けてくれたから。
玄関のドアを開けたままで幸村君と少しやり取りをしたのが聞こえたらしい。
キッチンからひょっこりと顔を覗かせた叔母さんが、うふふと笑った。
「沙紀ちゃん、彼氏?」
慌てて否定する私に、叔母さんはいーわねえ青春よねえと言って聞く耳を持たない。
私が幸村君の彼女とか、恐れ多い。
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