05
「あれ、谷口さん具合悪い?」
授業の合間の休憩時間。ふと隣を見てみたら、いつもより谷口さんの顔色が悪いような気がした。俺の言葉に谷口さんはこちらを見て少しきょとんとした顔をして、すぐに普段のような無表情に戻る。その目が少し潤んでいるような、
「気のせいじゃない?」
本当に何でもない様子で言う彼女の言葉に、首をかしげた。俺の気のせい、だろうか。そんなことを考えている間に本鈴が鳴って授業が始まる。なぜか彼女の様子が気になって授業に集中出来ない。ちらりと授業の最中に隣を窺ってみても、特に谷口さんが具合を悪そうにしている素振りは一切無い。結局集中出来ないままに授業は終わりを告げ、昼休み。幾分ゆっくりした動作で弁当を出した谷口さんが、一瞬動きを止めた後にため息をついた。
「幸村」
「あれ、弦一郎」
呼ぶ声に顔を上げると、そこにはチームメイトの真田弦一郎の姿。教室の前を通りがけ見えた俺の姿に、声を掛けにきたらしい。その手には弁当が入っているだろう大きな包み。
「どうした、今日は行かないのか?」
「いや、何でもない。今日はここで食べるよ。皆にも言っておいてくれるかな」
そうか。弦一郎は一つ頷いて教室を出て行った。隣を窺えば、ただ黙々と食事を続ける姿。なんて、谷口さんを見てばかりいないで自分も食べなければ。自分の弁当を広げてそれを食べ始めると、谷口さんは早くも弁当を片付け始めている。珍しい、彼女は食べるのが比較的遅いほうだったはず。こんなに早く食べ終えることはまずない。彼女の姿を横目にしながら食事を続ければ、机に伏せるのが視界の端に映る。寝不足だろうか。いつもであれば小説を広げて文字を追っている目は伏せられている。ぼんやりと普段の彼女と今日の彼女の行動の違いを思い浮かべながら食事を続ければ、いつのまにか弁当の中は空になっていた。それを片付けて立ち上がって。
「ちょっとごめんね」
隣の席でうつ伏せる谷口さんの額に手を当てた。手に感じた熱に、驚く。
「谷口さん?!熱、あるじゃないか!」
「…気のせい、じゃない?」
薄らと目をあけて俺を見上げた彼女はそれだけ言って、再び顔を伏せる。気のせいだとか、そんなレベルじゃない。明らかに熱があるというのに、何故彼女はこんなにも普通を装っているのか。具合が悪いなら悪いと、言えばいいのに。
「谷口さん、立って。保健室行くよ」
「ヘーキだってば」
パシ、と手を振り払われる。どうも彼女は保健室にいくつもりがないらしい。無理をしたところで良くなるものでもないだろう、逆に悪化して苦しい思いをするだけだ。
「文句なら後で聞くから。ごめんね?」
「、は?」
彼女の肩に手をかけて、一言。力ずくで彼女を起き上がらせて、抱き上げた。ガタン。椅子が倒れて派手な音を立てるけれど、そんなことを気にしている場合でもない。音のせいで教室にいるクラスメイトから視線を集めたが、それも無視。
「あ、ゴメン。椅子直しててもらっていいかな?あと、俺は次の授業遅くなるって言っててくれると嬉しいな」
谷口さんの前の席に座る子に頼んで、教室を後にする。ざわつく教室を背に歩けば、廊下にいる生徒からも視線を集める。
「ちょ、っと!幸村くん?」
「頼まれたって下ろさないからね?こうでもしないと、谷口さん保健室いかないだろ」
それより、しっかりつかまってないと落ちるよ?そう声をかければ、しぶしぶといった様子で俺の首に手を回す。慣れない視線に耐えられないのか、俯きがちな彼女の体をさらに引き寄せる。そのあまりにも近い距離に廊下に立つ女子がヒソヒソと話をするのがわかる。足早に歩を進めて階段を下り、その先にある保健室のドアを足で蹴り開けた。
「先生、ベッドお借りします」
保健室の主もどうやら休憩中だったらしい。白衣を着たまま椅子に腰掛け、組んだ足の上に雑誌を載せてパラパラ捲っていた。その口からは、飴を舐めているのだろう白い棒。
「先生がそんなんじゃ生徒に示しがつかないんじゃないですか?」
ベッドに歩み寄ってその上にそっと谷口さんを下ろしながら言い放つ。彼女の足から靴を脱がせると、後ろからうるせーよという台詞。女のクセに言葉が悪い。半ば呆れてため息をつく。
「んで、そっちの彼女はどーしたん」
「熱があるんです。体温計借りますよ」
テーブルの上から体温計を一本抜き取ってスイッチを押せば、小さな電子音。ベッドから足をぶらつかせる谷口さんにそれを手渡せば、ちらりと上目で視線を向けられて。するりとネクタイを解いてボタンに手をかけるその手つきに、心臓がドクリと脈打った。慌てて視線を逸らせば、逸らした先にいた保健医がにやりと笑う。
「どーした少年」
「不愉快なその笑み引っ込めてもらっていいですかね。胸糞悪いです。そしてサボってないで仕事したらいかがです?」
にっこり笑って言ってやる。そんな俺を見て肩を竦めた保健医はおーこわ、なんて言ってスリッパをぺたぺた言わせてベッドに向かう。その様子を尻目に俺は椅子に座って利用票を一枚引き寄せた。がさがさの紙の表面に印刷された空欄を埋めている間に聞こえた、小さな電子音。
「少年、38.6度って書いといて」
「え?」
利用票の欄の一つに数字を書きかけて、手が止まった。何度だって?
「…うわー」
「うわーじゃないからね、キミ。何でもっと早く保健室来なかったかな」
谷口さんが少し驚いたように言った言葉に保健医が冷静に返しながらぺたぺた歩いて、薬品棚から熱冷ましのシートを取り出して粘着部のビニールをべりべり剥がす。剥がしとったビニールはゴミ箱に捨てるでもなく、そのまま白衣のポケットへ。ガサガサ音がしたから、他にもゴミが入っているに違いない。保険医の癖に不衛生極まりない。どうなってるの、この学校の人事。
「症状出てたっしょ。頭痛いとか、ダルいとか」
「頭痛はありましたけど、薬飲んでたんで」
ぼそぼそと続けられる会話に、手に持ったペンを置いて立ち上がる。ベッドに座ったまま一向にベッドに横になろうとしない谷口さんの元に歩いていって、ベッドの掛け布団を剥ぎ取る。
「のんびり話すよりもまず横になろうか。具合悪いなら悪いって何で言わないの、もっと早く保健室に行こうとしないの君は。無理したって良くなるわけないだろ、寧ろ悪化するのが目に見えてるだろ?ああもう、先生早く谷口さんの親に連絡つけてくださいよ何ぼんやりしてんですか。谷口さんは今日はもう帰って大人しく寝てようか、分かった?!」
ぽかんとした表情の谷口さんの体をベッドに押し付けながら捲くし立てる。同じくぽかんとした表情の保健医を半ば睨み付けながら言ってやれば、我に返ったように動いて保健室の電話をとる。それを確認しながら彼女の体に布団をかけて、ため息。
「…本当、何で今日学校来たのさ…」
言ったところで、彼女は熱のせいか少しだけ赤い顔でただ黙り込むだけ。その辺は深く追求しないことにして、口を噤んでベッドに横になる谷口さんの前髪を梳く。もぞりと彼女が身動きをして布団を鼻が隠れるまで引き上げる。覗く目元がちらりとこちらを見て、
「ありがと。……あと、ごめん」
言った言葉が思いもよらぬもので、驚きに動きを止めた。それを見計らったかのように彼女は俺の手から逃げるようにすっぽりと布団を被ってしまった。
「……え?」
どれだけそのままで居た事だろう。いつの間にか布団を被った彼女は寝息をたてていて、保健医がニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。…うん、よし。とりあえず保健医は殴る…わけにはいかないので、頬を抓るに留めておこう。
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