▼きいちさんから


 こどもの頃はよく見ていた。
 温かい両腕に抱かれ、頬を包むように撫でられ、鼻先にキスをしてくれる。
 甘えて抱きつくと髪を梳いてくれて、ふんわりと包み込まれる。
 そんな優しい優しい、ただの夢。
 ガキのオレはそんな夢を見ては、目を覚まして頬の冷たさに泣き、砂埃が舞う硬い岩肌の上で赤ん坊のようにぬくもりを探した。
 そんな夢をもう指で数えられないほど見たころには、自分が手さぐりで何を探していたのか、すっかり思い出せなくなっていた。



 バクラにとってその出会いは最悪だった。
 盗賊業を始めて数年、少年がおよそ12歳のとき、バクラは初めて憎しみの塊である王宮に忍び込んだ。油断されやすい子どもの容姿の間に、一度は入り込んでおきたかったからである。
 盗賊の腕に若干自信もついてきた頃だったが、初心は忘れないように慎重に事を運んだ。大物はあえて狙わず、あたりはずれはあるが隙も多い女物の装飾品などを狙い、結果成功を収められただろうという寸でのところで、兵士たちに見つかってしまった。
 しかし、かと言って黙って捕まるわけもなく、バクラはあらゆる手段を屈して逃げ回った。ちょこまかと逃げ回るネズミのような盗人に兵士たちは手を焼き、また類いまれなる美しい少年の容貌を見せつけられた侍女たちは目をくらつかせ、その間にバクラはまんまと逃げていく。
 そんなバクラがもうすぐ王宮の外壁に着くといあたりで、不意に迷い込んだのは小さな離宮であった。盗人騒動で騒がしい本宮とは異なり、中庭の池の蓮の花が水面でわずかに揺れるだけの静けさ。その日は美しい満月で、月光の差し込むそこはまるで異世界のように優美で、こんなところがあるのかとバクラは一瞬足を止めて見惚れてしまう。 
 ボロ布の服にまるで合わないぴかぴかの装飾品を、バクラはふと月にかざしてみた。名前も知らない藍色の玉が、月光を浴びて瑞々しい紺碧の輝きに満ちていく。あんな部屋に閉じ込めて女の指先や首元を飾るより、よっぽど美しく輝いた宝石にバクラは思わずほう、とため息を零す。今まで生きるために盗ってきただけのものが、初めて価値のあるものだと思えた瞬間だった。

「そこの、おまえ」

 そんなひとときは、束の間。
 バクラの背後で、人の気配と声が響く。
 油断していたわけじゃなかった。それでも思わずギクリと肩を揺らし、声がした宮殿のほうをじりじりと振り向く。暗闇の中で月明かりに照らされたその声の主を見れば、そこにいたのは自分と同じくらいの年端もいかないひとりの少年だった。
 とは、言え。その少年は、汚れひとつない高級な衣服をまとい、首や耳には様々な宝石の装飾を飾り、額には憎らしいあの印が刻まれた黄金の飾りをつけている。バクラは少し動揺した自分を叱咤し、殺気を込めて少年を睨みつけた。
 すると少年はその鋭い目に一瞬少しひるみ、ぐっと顎を引いて瞳をぱちぱちと瞬きさせる。しかし負けじとその目を受け止めるように見つめ、中庭へ下りる石階段にそっと足を差し出した。

「おまえ、今王宮で騒ぎを起こしている盗人だろう。人は呼ばぬ、はなしを聞いてくれないか」

 ぺたりぺたりと素足で階段を下り近づいてくるその少年からバクラは一定の距離を取る。月明かりの届かない場所は闇一色で、そこに身を潜めてバクラは少年の言葉に耳を澄ませた。

「おまえが奪ったその装飾品には、侍女たちや皆が大切にしているものが入っている。どうか盗っていってしまわないでくれ」

 そういうと少年は、自分が身に着けている耳飾りや首飾り、腕輪足輪さらには額の飾りまでを取り払い、すべてをその細い両腕に抱え、バクラの元へ悠然と歩み寄るとそれらをそっと差し出した。

「代わりにオレの持っているものをすべてやろう。だからそっちのものは返してくれないか」

 バクラは声が出なかった。気配を消すなり警戒するなり、あらゆることも全て忘れ、その少年のあくびが出るような行動に、瞳をまあるく開けたまま唖然として固まった。目の前に差し出された輝くばかりの装飾品は、誰がどう見ても今バクラの手の中にある装飾品よりも高価に違いなかった。当然だ。バクラは、「大物」はあえて狙わなかったのだから。
 そして沸々とバクラのなかに怒りが沸き上がった。心臓が軋むほど強く脈打ち、見開いた瞳が熱くなる。血がにじむほど唇を噛み締め、悪意のない慈悲に満ちたはきだめを、思い切り腕でなぎ払った。

「ッ!!!」

 バクラの腕に巻き付いた装飾品と、振り払った少年の装飾品が力任せにぶつかり合い、硬い金属はバクラの幼い柔肌をやすやすと突き破った。黄金に煌いた飾りとバクラの赤い鮮血が宙を舞う。
 突然のことに驚いた少年のその一瞬をつき、バクラは少年を押し倒して馬乗りになる。辺りに金品が飛び散り、少年が渡そうとした装飾品はあの蓮の花が咲く池の中にボチャボチャと音を立てて沼へと沈んだ。息を切らし、血が流れるのも厭わずバクラは腰につけた少し錆びついたナイフを取り出す。そして躊躇いもなく少年の首筋を突き刺そうと腕を振り上げた。

「・・・・・・ッ!!」

 殺すつもりでやった。躊躇なんてしなかった。思い切り振り上げ刺してやろうとしたナイフは、少年が瞬時に取り出した短剣によって寸でのところを阻止されていた。力を込めた刃先が擦れ震えている。地面に倒された少年も懸命に応戦し、強い眼光でバクラを見つめた。腕から滑り落ちていくバクラの血が、少年の絹のようなきめ細かい衣服に赤黒いしみを作っていく。バクラは変に可笑しくなって、歪んだ笑みを浮かべて笑った。

「ふはっ、やるじゃねぇか。テメェが、この国の次期王様か?」

 そう言われて、少年は一瞬驚いた顔をする。今まで合っていなかった視線が交じり、月明かりでバクラの顔が露呈する。自分と同じ紅い瞳を持ち、右目に縦の傷が入った同い年くらいの子ども。ひどい微笑みを浮かべ、いま本気で自分を殺そうとしている。気を抜いたらその瞬間、切れ味が悪そうなナイフで喉を切られるだろう。少年は、凛とした声でただバクラを真っ直ぐ見つめ問うた。

「そうだ。オレの名はアテム。なぜオレを殺そうとする?オレを殺すことが目的ではないのだろう!」

 その言葉に、バクラはほとほと呆れるばかりである。アテムと名乗った少年の艶めいた肌を見つめ、血のついた手のひらで徐にアテムの頬に触れる。傷一つない温かみのある肌だ。岩の上で眠る寒さも、寂しさも知らない顔をして、熱く見つめてくる瞳はバクラを理解したいと強く訴えてくる。正直反吐が出そうだった。嫌悪から手を離すと、滑らかなアテムの頬にバクラの薄汚れた血がべったりとついていた。それがどこか恍惚に感じ、そのままナイフを離すと吐き捨てるように言った。

「ばかな王子さま。大事に大事に育てられて、何一つ知りもしねえんだろ。テメェみたいなヤツに理解なんかできねえよ。このオレのことも、無論国民のこともなァ」

 そう言ってやると、その瞬間だけ、アテムは酷く反抗的な目でバクラを見た。何か言いたげに唇を震わせたが、離宮の外でザワザワと兵士たちがやってくる音がする。バクラは慌てず冷静に目の前に散乱した金品を適当に手に取ると、アテムに目もくれずその場を去っていった。



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ツイッターでお世話になっているきいちさんから、なんとなんと王盗を書いて頂きました。
王盗くださいください言ってたら書きあいしようぜ!みたいな話になりまして、私がグダグダやってる間にこれ、こんな、こんな素晴らしいものを頂きました…本当にありがとうございます。
少年王!少年盗賊!少年ですよ少年!!!王盗に少年がついたらもう怖いもんなしですよ…
きいちさんによると、まだプロローグの段階とのことなので…!!もう期待に胸が高鳴りすぎてビートフェスティバル状態です。

きいちさんの書かれる素敵な小説はpixiv、サイトで公開されております。
心理描写も背景描写もセンスも何もかもが丁寧でとても素晴らしいので、是非お読みになってください!



2013.08.21



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