「ああ、槙?悪いけどちょっと頼まれてよ。キミの大事なお姫様、ずいぶんとまた荒れちゃってさ」

電話口で可笑しそうに言う羽鳥の声にため息が出た。

「羽鳥……いい加減名前をからかうのやめろって」

「ええ〜?そんなつもりないのに……ただ、キミ達はいつまで幼なじみごっこ続けるのかなって、興味はあるけど」

羽鳥はオレたちの関係を全部わかってて、なおもこうして面白がっているからタチが悪い。

「……すぐ行くから、変な気起こすなよ」

「わーコワイ」

最後まで楽しそうだった羽鳥との通話を強制的に終わらせて、ギアをドライブに入れる。

「ったく……なんで羽鳥んとこ行くんだよ」

小さく悪態をついて、六本木方面へとハンドルを切った。





「ああ、ずいぶん早かったね」

この辺りでは珍しい、クラシックの流れるバーに踏み入れると、カウンターに座る羽鳥がひらひらと手を振って見せた。

その隣でテーブルに突っ伏していている名前に目を向ける。背中が大きく開いたドレスからのぞく素肌が、うっすら赤みを帯びていた。

「名前、帰るぞ」

脱いだジャケットを彼女にかけて、無理やり席を立たせる。

「そんなに怒んないでよ。このドレスは不可抗力でしょ。それなら悪いのはオレじゃなくて神楽じゃない」

羽鳥の口から不意に出た亜貴の名前に、名前が小さく肩を揺らしたのがわかった。

「悪い羽鳥。こいつのこと、サンキューな」

「それは構わないけど……あのさ、槙」

ーーたまには自分に正直になってもいいんじゃない?

耳元で小さく囁かれたそれには、聞こえないフリをした。





「……慶ちゃんの車だ」

「ああ、起きた?」

名前が目を覚ましたのは、再び車を走らせて間もなくのことだった。

「わたし、羽鳥くんと飲んでて……また潰れたの?」

「まあな」

いつもごめんね、と小さく呟いた名前は下を向いた。

「……亜貴となんかあった?」

いささかストレートすぎたかもしれない。だけど、名前をこんな風にさせるのは、よくも悪くも亜貴しかいないのだ。

「……このドレス、見せようと思って、」

「うん」

「亜貴のアトリエに行ったの。そしたら、また来てた……マトリの子」

「うん」

俺たちがワケあってマトリに協力してることは名前も知っている。そして、亜貴がなんだかんだで泉に気を許していることも。

「好きなのかなぁ……」

素直じゃない亜貴は認めないだろうけど。たぶん、亜貴と泉との間には信頼関係以上のそれがある。

「ねぇ慶ちゃん、今夜泊まっていい?」

そして名前は自分をどうしようもなく傷つけたいときに限って、俺にこういうことを許すのだ。





寝室に入るやいなや、惜しげも無く晒された背中にくちづけた。

「これ、すごい似合ってるな」

「当たり前でしょ。亜貴のデザインだもん」

男が服を贈るのには下心があると聞いたことがある。でも今は、亜貴が贈ったドレスを俺が脱がしてるという背徳感に目眩がしそうだった。

落ち着いたブラウンのドレスが床に落ちて、それからガーターベルトにとめられたストッキングを片方ずつ脱がせて、レースがあしらわれた下着に手をかけようとしたとき、のびてきた腕が俺のシャツのボタンをひとつずつ外しはじめた。

「慶ちゃんも脱いでくれなきゃ、やだ」

控えめにつむがれた言葉に頭を抱える。

「頼むから、そうやって煽んな」

あとはただ、本能のままにキス。

ーー自分に正直になってもいいんじゃない?

羽鳥の言葉が、ふと脳内をよぎったきがしたのは気のせいに違いない。





目がさめると、名前が着ていたドレスが大切そうにハンガーにかけられていた。

そうしたであろう当人は、いまだベッドの中でスヤスヤ眠っている。

「……ったく、そんなに大事ならほかの男に脱がされてんなよな」

ため息とともにひとりごちたつもりが、意外にも返事が帰ってきた。

「ごめんね、」

一瞬ギクリとするも、名前はまた規則的な寝息をたて始める。

「……寝言かよ」

それが何に対しての謝罪なのかは、もう少しだけ気付かないフリをしようと決めた。

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