彼女の選択とその結末、さあお味はいかが?




緑間真太郎。

それがこの人間の国の王子の名前であり、私が以前助けた人の名前であり、想いを寄せている人の名前である。
もう、届かない人になるのであるけれど。届くはずであったのに。







「今帰ったのだよ」

ぎぃいと少し古びた蝶番が音を立てる。その音と共に開かれた扉から真太郎さんが入ってくる。外出していたらしい。どおりで屋敷中探してもいないはずである。散々探し回ってしまった。
おかえりなさい、と彼のもとへ行く。自分の足で、ではない。車椅子で。拾ってもらった当日のうちに、歩くたびに足が痛むことがバレてしまい用意してくれたのだ。そのため、部屋も何もかも1階に用意してくれた。優しい人、真太郎さん。優しい、人。

目線を合わせるように、しゃがみこみ私の手を取る。もともと少し冷たい私の手よりも冷たくなっているそれ。今日もまた砂浜を歩いてきたのだろう。最後に願いを込めて。


「紗茅、ただいまなのだよ」


目を細め、わかる人にしかわからない程度だけれど笑顔を向けてくれる。私は笑顔を向けてくれるだけでも嬉しいので、笑顔を向け返す。この笑顔が彼女に向いていないことを願って。声が出せない分、心の内にドロドロと醜いものが溜まっていく。妹のように可愛がってくれているけれど、可愛くはない。妹でもない。喋れない、文字もよくわからないので伝える術はない。紗茅は真太郎さんがつけてくれた名前だ。


「王子」
「……わかっているのだよ」


執事さんが声をかけるとうんざりした表情をして返事をする。話の内容はどうせ明日の結婚式の話なのでしょ。真太郎さんが望んだことではないため、乗り気ではないみたいで。命の恩人だ、と言う街の娘と。実際に助けたのは私なのに。またぐるぐると黒くなる。ドロドロが溜まって心の中にある容器が溢れそうになる。表情が陰る私に気づいたように真太郎さんは「紗茅が心配だから今日は任せるのだよ」と、後ろに回って車椅子を部屋へと押して行った。執事さんがわかりました、と言って頭を下げるが納得行っていない感じである。私はそれを押されながらに見ていた。なくなれば良いのに、なんて思いながら。




夜、船内の部屋で一人ぼんやりと窓の外を見る。綺麗に下弦の月が私を嗤うかのように輝いていた。もう、明日はこれを見ることはない。偽りの結婚式はもう明日だ。次、太陽を見たらもう月を見ることはない。見ることは出来ない。泡になる運命だから。
でも、素直に泡になんてなってやるものですか。抗って抗って抗って動かしてこその運命。別の道に運ぶことが出来るから運命と言う名称なのだ。









紗茅は小さな鏡台の引き出しを開ける。中には布に包んであるものがひとつだけ。彼女が海から持ってきた唯一の物。手に取り、布をめくる。ソレは、灯りに照らされて綺麗に光った。

翌日、あの日嵐に見舞われたというのに船上で結婚式は執り行われた。見舞われはしたものの、あの日がなければ今日もこの式もなかったであろうという考えのもとだった。





憎たらしい程、晴れ渡っている空の下。私の目の前。赤い絨毯の先。着飾った彼女。あそこに本来ならいるはずだった私は来賓客席の隣で車椅子に座ってそれを見ている。膝の上でソレをハンカチと憎しみでくるんで。


「新郎、貴方は――」


神父が誓約の言葉を連ねていく。此処からでははっきりと確認出来はしないが、きっと真太郎さんは曇っているはずである。最後の最後まで乗り気ではなかった。王も女王も執事も説得するということは半ば諦めていたように見えた。強行突破で既成事実のようなもの。


「――誓いますか?」
「…………誓います」
「では、新婦、貴方は――」


真太郎さんの言葉を聞いてから、私は立ち上がった。周りが、ざわっと困惑の色を見せる。それに気づき、前の3人はこちらを向く。全員何をしている!?と聞きたいはず。そんなことは気にしない。もう私は気にしない。最後、これが最後なのだから。
ゆっくり、ひた…ひた…と歩き出す。車椅子では歩けないと思っていた人間がほとんどなのでしょう、紗茅が歩いた!と声を立てる人が居るから。心の内で、勝手に歩けないと決めつけないでよとこぼす。しかし、一歩、また一歩と歩を進める度に刺されるような痛みが襲ってくる。痛い。痛い。けれど、この程度。真太郎さんと一緒になれないのなら。せめて。





「紗茅!」

紗茅が半分ほど3人に近づいた時、真太郎が紗茅に駆け寄り紗茅を支えるように抱き上げた。未だに優先順位は紗茅が上位のようだ。未だに、というよりももとから上位で変わっていないだけだろうが。痛む足で歩いたために、彼女は脂汗をかいている。それをそっと袖で拭うと彼は「一体、どうしたのだよ」と問うた。彼女はふるふると首を横に振り、彼の首に腕回して抱きついた。
抱きついた刹那、彼は目を見開いた。じわり。背後にいる二人も驚いた表情をする。にこり。紗茅だけは笑っていた。






「……な、何をしてるのよ!」


新婦が声を荒げる。その声を合図に真太郎さんの身体がぐらりと揺れ、私を抱えたままに倒れた。なんとか下敷きはしないようにと、意識を働かせてくれたのか無事下敷きになることはなかった。倒れたままの彼を横目に私は体を起こし、彼を見下ろす。背中には私が海から持ってきた少し古いデザインのナイフが刺さっている。私が刺して抜いていないのだから、刺さっていなければおかしい。
じわり。じわり。そこから、湧き出てくる赤いもの。私が、必要な、もの。手を伸ばし、ナイフを引き抜く。抜くと、栓の役割をしていたソレがなくなったために先ほどよりも勢いよく湧き出た。口を近づけ、湧き出るそれを含むとこくんと飲み込んだ。何とも言えない味が舌を刺激した。美味しいわけではなことは確かだ。


私が何か行動を起こす度に、彼女を含め驚きと拒否の反応を見せた。妹のように可愛がられていた娘が、可愛がってくれていた人間を刺し、その人間の血を飲む。当たり前のことだろう。
その後、真太郎さんの血を足に塗る。スカートと呼ばれる布がとてつもなく邪魔だった。手は血で真っ赤になり、スカートにも赤い模様が出来ていた。あぁ、汚してしまった、と思うこともなくそれをナイフで切り裂いた。中から出てくるものは、人間の最近見慣れ始めていた脚ではなく。尾。尾鰭。地上に上がるまで見続けたもの。人間から、人魚に、戻れた、証拠。人間が更にざわっと戸惑いを見せた。




尾を見つめ、魔女の言葉を思い出していた。声を差し出した後の。「まぁ、何。悲観なさんな。これもやろうじゃないか。」笑いながら魔女はナイフを差し出した。「このナイフで愛する人を刺し、その傷口から出てくる血を飲めば今みたいに悠長に喋れはしないだろうがカタコトの声を返してくれる。」愛する人。真太郎さん。瞳の閉じられた綺麗な顔がすぐに思い出される。「ついでに、脚に塗れば尾鰭も返してくれる。」愛する人で脚の対価を返してくれる。「泡になる前に、もうダメだと思えば刺して人魚に戻ってしまうと良い。」愛しても愛されないのであれば、脚なんて、要らないから。




「な、なんで、こんなとこに、人魚が…っ!」
「……サヨナラ。アリガトウ。」


紗茅は真太郎にお礼を述べ、腕だけで器用に手すりまで行き腰掛けた。そして、船上に居る人間にもう一度アリガトウ、サヨナラと声をかけると海に身を投げた。近くにいた人が手すりに急いで走り寄り、落ちていった先を見たが、そこには何もなく海がただ波を立てているだけだった。




カタコトだったが声を取り戻し尾も取り戻した彼女だったが、人の血を飲んでしまったことで人魚であるという理の域を超えてしまった。そのため、人でも人魚でもなくなった彼女は泡にこそならなかったが、その身は母なる海に拒絶されるように、入った瞬間肉体は朽ち果て、骨だけが静かに音も立てずに沈んでいった。誰にも知られずに、彼女の物語は終りを見せた。













「と、若干本来の話とは違い内容になってますので、皆さん練習しておいてくださいね!」


と、教卓の前にいる学級委員長が教室にいるクラスメイトに声をかける。声をかけられたクラスメイトは一人を除いて、はーいと返事を返した。除かれている一人は、主役の一人である王子役の緑間真太郎その人だった。緑間は


「死ぬなんて聞いていないのだよ」
「ラッキーアイテムが防刃ベストってことにして、出血の割に傷は浅くて一命を取り留めたっておまけがあるから大丈夫」
「人に血を飲ませるなんて、何をしているのだよ!」
「血糊はお手製の蜂蜜に食紅混ぜたやつだから!口に含んでも問題ない、安心設計!」
「そういう問題じゃないのだよ!!」


と反論を見せていた。その反論にちゃんと返す委員長も流石である。その後も、反論虚しく結局この話で劇をすることになるのだから大人しくしてろよ…と言う目をクラスメイトからいくつも向けられていることに気付かず、無駄な時間を続けていた。








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加筆修正済み/title by ユマ


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