《gallows bell - 前》


「・・・伊作くん・・・伊作くん!」

 私にしては、とても大きな声、とても私らしくない荒げた声をあげる。ひどい雨の日だった。

 彼、善法寺伊作くんは、薬草を取りにこの山に入ったらしい。運が悪かった。彼が不運であるということは百も承知であるが、それにしても今日は悪すぎた。

 今日は、とある忍軍が、その山で訓練を行っていた。人は滅多に入らない山だ。しかし、もし人の姿を見かけたら、それが女子供であれ、殺さなくてはならなかった。
 伊作くんは忍術学園の六年生だ。忍者としての技術も程々ある。しかし、プロの忍者が大人数でかかれば、彼を殺すことなどとても容易いことなのだ。

 私は昼過ぎに忍術学園の保健室へと行ったのだが、伊作くんの姿がなく、数馬くんに聞くと、その山へ薬草を取りに行ったと教えてくれた。急いで来たのだが、遅かった。

 まだ日は暮れていないはずなのに、辺りはすでに薄暗かった。ボロボロになり山道に倒れていた伊作くんを、人気のない森の中へそっと移した。流れる血が雨水と混ざって山道を下って行く。
 
 私は彼の傍らに座り、意識が戻るのを待った。戻るかどうかも、わからないのだが。
 ザアアアと雨に打たれ鳴く木々が、妙にうるさく感じた。



 「・・・うっ・・・ゴホッ・・・え・・・・雑渡・・・こなもん・・・さん・・・?」
 しばらくしないうちに、彼は咳をし、血を吐き、うっすらと目を開けた。

 「昆奈門だよ、伊作くん。君、いつもに増して酷いねぇ」
 私は冷静を装い、静かに語りかける。
 「・・・・・すみま・・・せん・・・また・・・ご迷惑・・・を・・・」
 息がし辛いのか、途切れ途切れに言葉を出す。

 ハッキリ言って、彼はもう死んでいてもおかしくない、生きていることが奇跡である。
 血が足りないのは確実だ。雨で流れても流れても、止まることを知らない。骨は数本折れているだろう。だから下手に動かしすぎてはいけない。血を吐いたということは、骨が内臓にささっている可能性がある。左目は血が流れて開けることができていない。武器が目を直撃したのだろう。恐らくもう失明している。

 「・・・薬はあるかね」
 私は彼から目をそらし地面を見た。
 薬など、何の役にも立たない。もう助からない、ということは、長年死んでいく人間を見てきた経験上、すぐわかっていたことだ。

 それなのに私は、一体何をしているのだろう。

 血と雨水は溶け合い、流れ、そして土に染み込まれていく。
 「・・・・・・いい・・・・え・・・」
 彼の血まみれの顔は、雨でどれだけ洗われたとしても、綺麗にはならない。

 いつものように、見捨ててしまえばいい。死にゆく人間は無意味な存在、気に掛ける必要などないのだ。道に棄てておけば、後に誰かが気づくだろう。それか、獣が消し去ってくれるだろう。

 「そうか」
 それなのに、私は・・・。
 「・・・雑渡・・・・さん・・・・・」
 彼を諦めたくないのだ・・・。


 「・・・私・・・を・・・・殺し・・・て・・・・くだ・・・・・さい・・・」

 
 私は落としていた視線を彼の目に向ける。彼の右目はしっかりとこっちを見ていた。
 「こんなときに・・・何の冗談だね、伊作くん。君はまだ・・・」
 できる限り冷静を装い、意味のない言葉を紡ごうとした。
 「死にます・・・・死ぬ・・・・・私は・・・・・もう・・・助かり・・ま・・・・・せん・・・」
 こう、ストレートに言い聞かされると、言葉を失ってしまった。ただ、茫然と彼を見る。しばらく見つめ合った後、彼は次の言葉を繋ぐ。

 「・・・・最期・・・・は・・・・・貴方・・・・の・・・・手で・・・・・終わら・・・せて・・・ください・・・・」

 彼はしっかりと私を見、訴えかけてくる。
 「何を・・・」
 私は、止めようと思ったが、考え直した。彼が助からないことには同意するしかないからだ。だとすれば、最期の望みぐらい、叶えてあげる方が彼のためなのではないか・・・。

 「伊作くん・・・私は・・・・」
 重く感じる体を起こし、彼に体重をかけないように跨り膝をつき、首を絞める体勢になった。膝をついた地面はやわらかく感じた。
 「私は・・・・っ」
 彼が真っ直ぐ、私の目を見ている。真っ直ぐ、目が合う。
 「・・・一生このことを悔やんで生きていくのだと思う・・・。」

 いろんな後悔が心を巡る。
 もう少し到着が早ければ、もう少し早く忍術学園を訪れていれば、訓練が行われることを事前に伝えていれば、君の傍を離れなければ・・・・・そもそも、出会わなければ・・・この薬草は火傷に効くものだ・・・・伊作くんは・・・・この火傷を・・・・・。

 それなのに私は、微かにまだその目に灯された火を、この手で消してしまうのか。


 「雑渡・・・さん・・・」
 ゴホッ、と咳をし、血を吐いた。咽せながらも、彼は続けた。

 「雑渡さん・・・。泣かない・・・で・・・くださ・・・い・・・・・。」

 彼は震えながらも、もう動けないはずの右腕を上げ、そっと私の頬を撫でた。

 「私・・・が・・・・こうされ・・・たいと・・・望ん・・・だんです・・・・。悔やま・・・ないで・・・・・。また・・・すぐ・・・・会えます・・・よ・・」

 彼が笑った。その瞬間のことだった。
 ゴーン、ゴーン、と鐘の鳴る音が聞こえる。ゴーン、ゴーン、といつまでも響いた。