それは、ほんの些細なことだったのです。


"落ちたみたい"


ある昼休み、4年い組の綾部喜八郎は、いつものように穴を掘っていた。
師走が近づき、綾部の肌をさらさらと冷たい風がかすめる。
少し肌寒いなぁ、でも気持ちがいい。きっと掘り終ってそのまま帰ったら滝が怒るんだろうなぁ、『風呂に入れ!そんなに汗かいているのに、体冷やして風邪ひくぞ!』ってね。などと思いながらも、お風呂に拠ってから部屋に帰る気などさらさらない。穴の中は暖かいからもうそのままここで寝てしまおうか、とさえも思っていた。

ザク..ザク..ザク…ザク…。土を掘る音が何とも心地よい。鋤を通して感じる土の感触も程よく硬く程よく柔らかい。今日はとても綺麗な穴ができそうだ、と綾部はわくわくした。
「せっかくだから立花仙蔵先輩とか、潮江文次郎先輩とか、落ちないかなぁ」
優秀な6年生を落とすことが綾部の目標である。いつも落ちる6年生といえば、通称不運委員会の保健委員会委員長、善法寺伊作先輩ばかり。しかしいくら不運委員長とはいえど6年生、ならば他の6年生も落とせるのではないか。今日こそ落としてみせる、と鋤を握る手に力が入る。

「ふぅ・・・・こんなもんか・・・」
穴の1番底で、綾部は額の汗をぬぐった。我ながらいい出来である。名前はどうしようか、うんとかわいい名前を付けよう。
そんなことを考えながら一休みしているところだった。


「―うわぁああああああああっ」


ドシャアッ・・・と、綾部の上に人が降ってきた。穴の側面が崩れ砂のザラザラした感触が頬を撫でる。頭を勢いよく打ったためにズキズキ痛む。足が変に捻じってしまった。そして綾部よりも重い人が上に乗り腹部を圧迫され苦しい。この特徴ある髪を見ただけですぐ誰なのかがわかった。
綾部のイライラは最高潮であった。彼は6年生ではないし、何よりあと少しで完成した穴が崩れてしまったことに苛立ちを感じた。

「―まだ完成してなかったんですけど、尾浜先輩」
淡々と、しかし荒立った口調で言う。5年い組の尾浜勘衛門は、いたたた、と呻きながら顔をあげた。

「・・・わぁ、綾部!ごめん、怪我はない?」
あわあわと起き上がり、綾部の髪に手をのばし、砂を掃った。

「・・・大丈夫です・・・それより、どう責任とってくれるんですか。せっかく滅多にできないような穴が出来上がりそうだったと―」
「―綾部、足ねんざしてるんじゃないか?!」
尾浜は綾部のセリフを遮り、ひょいっと抱き上げた。

「ちょっ・・・何するんですか!」
「保健室だよ。俺のせいで綾部が怪我しちゃったらすごく申し訳ないから」
そう言って、タンッと一蹴りで穴を抜け出した。綾部は抱かれたままぽかんとしていた。
あんなに頑張って掘った穴なのに、一瞬で抜け出されてしまうとは・・・。
綾部はやはり上級生には勝てないのだと、思い知らされたのだ。
さらさらと風が肌を撫でる。さっきより酷く冷たくなっていた。


ガラガラ、と尾浜は保健室の戸を足で開けた。
「失礼します・・・って誰もいないじゃん」
あれー?と呟きながら綾部を降ろした。
「応急処置ぐらいなら俺できるから、やっちゃうね」
そう言って、おしぼりと氷水を取りに行った。
(放っといてくれたらいいのに・・・)
綾部はひたすら穴が掘りたい気分でいっぱいである。穴掘り小僧との異名をとる自分が、たかが1年上の人になんか負けていられない。
しかし立ち上がろうとしても足首がズキッと痛んだ。何とか立ち上がり、右足をひきずりながら外に出ようとした。

「―あ、綾部!ダメだよ。ちゃんと処置しないと、後々酷くなるよ」
調度帰ってきた尾浜は、またひょいっと綾部を持ち上げ、座らせた。綾部は自分が子供扱いされているようでムッとした表情をした。

尾浜はそっと綾部の足を持ち上げ、少し横に捻じった。左に捻じったときに綾部がウッと声をあげた。なるほどね、と尾浜は冷たくなったおしぼりを足首の外側にあてた。
「腫れてこなければいいけれど・・・・本当にごめんな」
あまりに必死で謝られるので、綾部もさっきまでの怒りは何だか覚めてしまった。
尾浜は冷やしながら綾部の患部が腫れてきていないかとときどき撫でる。綾部は妙にそれが気持ちよく感じ、穴掘り後の疲れもあるのかウトウトと眠くなってきた。

「先輩・・・何で落ちちゃったんですか?」
綾部はずっと閉じていた口を開いた。頭はボーッとしたままボーッと聞いた。

「あんなところに穴があるとは思わなくて・・・本当に気づかなくて落ちてしまったんだ」
上級生だっていうのに情けないよな、と尾浜は恥ずかしそうに笑った。

「今日のは・・・上出来だったんです・・・でも―」
「本当綺麗な穴だったよな。俺なんかが落ちちゃって申し訳ないぐらいだ」
綾部はビックリして尾浜を見た。自分が思っていることを言われてしまった。尾浜も綾部に気づき、ニコッとほほ笑む。
「あの穴だともしかしたら6年生でも落ちていたかもな。・・・あ、善法寺先輩以外のね」
善法寺先輩はどんな穴でも落ちるからな、と言う。まったくです、と綾部が答えた。

おしぼりを冷やしなおし、ふわっと足を撫でる尾浜を、綾部はじっと見る。
この心が穏やかになる空気はこの人から作られているのだろうか。
綾部は今までに感じたことのない感情に、ゆらゆらとあやされているようだった。


「―よし、まぁ今日は安静にしてね。恐らく酷くはならないと思う」
もし酷くなったらちゃんと保健委員に見てもらってね、と言い、尾浜は立ち上がった。痛みはもうひいたので綾部も立ち上がる。
「・・・ありがとう・・・ございました・・・」
綾部は目も合わせずにお礼を言った。いいよいいよ、と尾浜は言い、手を綾部の頭にポンポンと乗せた。

「無茶はしないようにね」
綾部は自分の頭を撫でるその暖かい手が心地よかった。



「ただいま、滝」
部屋に帰った綾部は、同室の滝夜叉丸に声をかける。机に向かっていた滝夜叉丸がくるっと振り返り、あー!と叫んだ。
「こら喜八郎!またお前は泥を落とさず帰ってきて!あと最近寒いから汗かいたあとは風呂に入れと何回言えばわかるんだ。この私がお前を心配してやってるのだぞ、少しは―」
と、ぐだぐだと続く説教などまるで聞かないように綾部はボーッとしている。途中で綾部の異変に気付いた滝夜叉丸は、説教を止めた。

「喜八郎・・・?」
綾部はボーッとしたまま口を開く。
「滝・・・私・・・―」




「落ちたみたい」






読んで下さりありがとうございます。
自分なりに綾部と勘ちゃんのなれ初め(?)を考えてみましたあばばば。
基本的綾→勘になる感じかなぁっていう。勘→綾ってあんまり..いやそれも美味しいかもしれませんが。
勘ちゃんは相手の心を開かせるのが上手そうなイメージあります。多分こんなもんじゃ綾部さんは開かないだろうと思いますがあんまり思いつきませんでしたごねんなさい。
本当お粗末様でした。ありがとうございました。