人はこれを『走馬灯のように駆け巡る』と言うのだろうか。
彼の名を、呼ばなければ―

忍術学園1年の善法寺伊作は、保健委員会の仕事で先輩たちと共に裏裏山へと薬草を取りに行っていた。
少し曇っていて涼しく、時間に余裕もあったので一同はいつもより奥のほうへと進んだ。
初夏の緑は美しく、セミなどの昆虫も盛んに活動していて、伊作は幼いながらに自然に対する感動を覚えていた。
そう、その束の間―ふと気づくと、先輩たちがいない。そして、一度も来たことのない場所へと来てしまっていた。
「せ・・先輩・・?」
伊作は小さな声で呼びかけてみたが、人の気配を感じない。ただ聞こえるのは木々が風で揺れる音。
少し日も傾いてきており、更には天気までもが先ほどより下ってきているようだ。数羽の鳥が羽ばたく音に、恐怖を感じる。
「せ・・せんぱーい!!」
今度は精一杯の大きな声で、山を駆け巡りながら叫んだ。しかし聞こえるのは自然の音だけだった。先ほどまで味方のように感じていた自然は今では敵のように感じた。
保健委員会、通称不運委員会の一員である伊作は、土のぬかるみや木の根っこで転ぶのはお約束、あっという間にどろどろになり怪我をしていた。
「せんぱ・・」
転んで起き上がり、もう一度声を張り上げようとした瞬間だった。伊作は誰かが仕掛けたまま放置されていたであろう落とし穴へヒュッと落ちて行った。
ズドン、と鈍い音がしてから伊作は自分が穴に落ちたことに気が付く。
「いたた・・」
どうやら伊作はねんざしてしまったようだ。起き上がろうにも足がズキッと痛み、立つことさえできない。
穴は案外深く、伊作の身長の二倍以上はあるように見える。
(空が遠いなぁ・・)
最早諦めかけている伊作は、座ったままボーッと空を眺めていた。ときどき鳥たちが飛んでいくのが見えたり、葉っぱが散っていくのが見えたりした。
そうしているうちに日は暮れ、天気は下り、雨が降ってきた。雨は穴の中にいる伊作にも届く。
(今が夏でよかった。凍死することはないよね。雨がたくさん降らなければいいけど。今日はもう助からないかな・・夜は獣が出るんだっけ。さすがに穴の中までは入ってこないと思うけど、万が一・・・・)
身動きが取れないまま思考を巡らせ、伊作は孤独と恐怖にうずくまる。
あぁ、こんなときに、彼の声が聞きたくなる。彼がいれば私は元気が出る。もし彼と一緒にここに落ちていたら、こんな私を励ましてくれるだろう。助かる希望がなくても明かりを灯してくれるだろう。
「伊作!」と彼が呼ぶのが頭の中で聞こえた。ただそれだけで、少し元気が出た気がする。
「伊作!」と彼は何度も呼ぶ。いつもの笑顔で、いつものように手を差し出してくれる彼を思い浮かべた。

「―伊作!」
上のほうでその声が聞こえたので、伊作は俯いていた顔をあげた。
「大丈夫か、伊作!」
人の影が見えた気がした。伊作にはそれが現実か夢かはよくわからなかった。幻聴かもしれない、幻覚かもしれない、それでも、確かに自分の心が晴れていくのを感じた。
「助けに・・来てくれたの・・?」
「あぁ、もう大丈夫だぞ。怪我はないか、伊作!」
何故か懐かしく感じるその声に、伊作は安心してふっと意識を失った。
次目が覚めたときには日が昇っており、穴の中ではなく保健室にいた。新野先生が何かをしているのが見え、伊作の隣には彼が眠っていた。起きているときは元気過ぎるぐらいなのに、寝顔はとても静かである。伊作はそんな彼の寝顔が好きだった。

―そんなこともあったね。いつだって助けに来てくれるのは君だった。
私の不運に巻き込まれて申し訳なくも思ったよ。それでも君は笑ってくれた。
もう君の名前を呼ばない。もう君に助けを求めたりしない。忍術学園を卒業したとき、そう私は心の中で誓った。
違う城へと務めることになり、休日にはこっそりと会ったりもしていたけど、どんどん君は城主の忠実な僕と化していって、話すことは城主の自慢話ばかりになったね。左目に酷い怪我をして視えなくなっていたけど、満足そうに城主を守った話を聞かせてくれたね。嬉しそうな君を見ると私も嬉しかった。でも、少し、何か違う気がしたんだよ。
終には私とは会ってくれなくなった。それが正しい判断であると、確かに納得した。もう君を忘れなければいけないのだと、はっきりと思った。
もう何年も、君の名前を口にしていなかったんだよ。

戦が始まった。伊作は味方の怪我を治療しながら、敵を何人も殺していった。
昔は怪我をしている人を敵味方関係なく治療していたが、殺すことが仕事となった今はそうもいかない。血まみれとなった手で人を癒す資格などあるのかと、前は躊躇していたが、もうとっくにそのような感情は麻痺をした。
無意識に、機械的にそれを行っていく途中、ハッと何か懐かしい感情が心に湧いた。
(あの体格、あの俊敏さ、あの左目―)
一瞬すれ違いに目が合い、彼であることに気付いた。戦場の砂埃に紛れても、それは確かであった。
しかし、今は敵同士である。伊作は感情を振り払い、人殺しを続けていく。黒い服が赤黒くなっていく。しかし無意識のうちに伊作は彼を傷つけるのを避けて、彼とは離れた場所で戦っていた。
だが、その遠くにいる彼と、再び目があった。まるで彼も気づいているようにも見えた。
「・・・っ」
そんなはずはない、と溢れてくる感情に押し流されないようにした、その時だった。動きが鈍くなった伊作に、数本の弓矢が勢いよく飛んできた。
伊作はそれに気づいたものの、少し遅かった。もう避けられない。
いろいろな後悔が瞬時に巡り、伊作は目を閉じた。

ドスドスドスドスッ、と矢が刺さる音。

―天国でなら、私が彼と共にいることを赦されるだろうか。
そんなことを思ったが、伊作はまだ生きていた。しかも痛みを感じないのだ。確かに刺さる音は聞こえたのに。
(・・・?)
目を開けると、人がいた。黒い装束で、短い髪を結った後姿。細身だがしっかりとした体格。そして―
「・・大丈夫か、伊作」
小さい声ながらも伊作の心に響くあの声。伊作は驚きのあまり目を見開く。早く、彼の名を呼ばなければ、遠い昔に仕舞い込んだ彼の名を。
「・・・留・・・三郎・・・・!」
伊作は詰まった喉から声を振り絞って彼を呼んだ。食満留三郎はやがてその場にドサッと倒れた。
弓を放った者らは、やってしまった、というような顔をしてその場から足早に去った。食満は城主のお気に入りだったのだ。誰も食満を討った罪をかぶりたくなかったらしく、近づいてこない。
「留三郎・・・留三郎・・・・!」
伊作は食満に駆け寄り、何度も彼の名前を呼んだ。何年も流していなかった涙が食満の手の上にポタポタと落ちる。何年もなかった感情がいっきに伊作の中で巡る。
「伊作・・・・無事でよかった・・・」
食満は笑顔を見せた。卒業以来見ていない類の笑顔。それは伊作に向けられた優しさである。
「留三郎、留三郎、今治療するからね、でもどうして、忘れたかと思っていたのに」
伊作は整理がつかない感情のまま、おもむろに治療道具を探す。しかし持っているのはほとんど武器と、少しだけの包帯のみであった。伊作は自分が人殺しであることにこのとき再び気づいた。大切な人を治せない、やはりもうその資格はないのだと。
「伊作・・・」
食満が声を振り絞りながら、言う。
「伊作・・・ごめんな・・・俺、この戦だけはやりたくなかったんだ。何とかして、お前の城と和解させたかったんだ・・・そしたら、わざわざ隠れて会う必要もないだろ・・・でも俺は所詮忍びでさ・・・・城主に気に入られて上手く操作できりゃいいなって思ってたんだけど・・・結局こうなっちまって・・・ごめんな・・・・」
それを聞いた伊作は、後悔の念にかられた。自分の勝手な想像で、彼を遠い昔に追いやってしまっていたのだ。彼は自分のことを一度たりとも忘れたことはなかったのだ。どうして言ってくれなかったんだ、言ってくれれば、と責めたくもなったが、それは違うのだとすぐわかった。むしろ6年以上も共にいたのに、どうして気付いてやれなかったのだと、伊作は自分を責める。
「どうして留三郎が謝るの・・・謝らなきゃいけないのは私のほうだよ・・・ごめんね、留三郎、本当に・・・・ごめんね・・・ごめんね・・・・」
伊作は食満の手をぎゅっと握った。涙は止まることを知らないかのようにずっと溢れ出てくる。後悔も多いが、嬉しくもある。しかし、もう全てが遅いのだ。
「なぁ・・・伊作・・・」
食満が笑う。
「天国でなら、俺がお前と共にいることを、赦されるだろうか・・・」
伊作は、言いたいことがたくさんあったが、もう時間がないのだとわかっていたのでぐっと堪えて言った。
「・・・あとで絶対、君を探しに行くから、待ってて、留三郎・・・」
伊作は笑う。後の幸せを願いながら。
そして食満は静かに息を引き取った。彼の寝顔は、1年生のときと変わらない。眠っているように静かだった。

―待っててね、留三郎。
君が守ってくれた命を終えたら、必ず会いに行くから。
そのときは名前を呼んで。いつものように。


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長いのに読んで下さりありがとうございます。
場面がコロコロ変わってわかりづらくて申し訳ないです..!
この話はずっと何か頭の中にあって、できれば動画とかにしてみたかったんですが何ていうか技量的にMU★RIでした。ちなみにイメージはRADのセツナレンサです。
うぅう幸せなお話が書きたいのにどうしてもこういう酷い話になります。これを読んでどんな感情になられるのかdkdk...最後はスッキリ★というのが私の中での目標なのですが、何かもやもやしちゃったらすみません(:D)←

では、ありがとうございました。