駆け上がる。握る手摺りは錆びていて、踊り場に一つだけ設置された電球は最後の力を振り絞るかのように不規則な瞬きを繰り返している。ぱちん、と音がして、灯りが消えた刹那に杏里の手は同じく錆びたドアノブを掴んでいた。赤茶の錆をぽろぽろ落としながら重い扉を押し開ける。風のない都会の夜は不安定な光でもってその最上に立つ青年を照らしていた。
「臨也さん」
屋上の縁に足を掛け遠くを見つめる彼の名を呼ぶ。全速力で走ってきた息は上がっていて、声は少し乱れてしまった。
「やあ、杏里ちゃん」
首だけ動かしてこちらを振り向いた彼の顔を薄暗い灯りが照らしている。穏やかな表情の彼に拳を強く握った。
揺れる髪にああ、と泣きたい気持ちになる。そうなのだ。自分たちはここから始まった。告白、という言葉もおこがましいのかもしれない彼からのプロポーズも初めてのデートの締め括りも初めてのキスもこの場所だった。微かな油の香りが過ぎる。杏里は差し出された彼の手に向けて歩を進めた。
まるで王子様に再会したシンデレラのように、てのひらを上にした彼の手にそっと自分の手を重ねる。腰を抱かれて手を引かれるその様子はまさしく脳裏に思い描いた童話のワンシーンと同じで、ぎゅっと瞳を閉じた。
彼と同じ位置に立つと強い風が真下から吹き付けてきて孤独感が全身を襲う。街を見下ろせば支配者のような気分になるけれど、支配者とは唯一無二の存在、則ち総じて孤独なものだ。
隣の彼は今、どんな思いでいるのだろうか。恐る恐るのように視線を向けると、その瞬間、節榑立った手に視界を塞がれた。
「臨也さ、」
言葉を紡がせる暇を与えず、黒に変わった世界で感じる、やわらかな感触。
唇に一つ小さな口付けを落とされ、視界が戻る直前、聞こえた臨也の声は恐ろしいほどいつも通りだった。
「バイバイ」
肩にほんの軽く添えられた手は一瞬のうちに離れる。
ぐらり、傾く彼。ふわりと夜の街にその身を踊らせる臨也はやはり、あの見慣れた笑顔だったから。
追うように地面を蹴り、手を伸ばして黒いコートを引き寄せた。
「杏、」
身体が風を切る音。
目を見開く臨也に今度こそ視線を合わせ、杏里は負けじと笑ってみせる。
「一人になんてさせません」
一緒に居ます、例え死んでも。
それは愛を歌う妖刀をその身に取り込んだ少女だからこその情念だったのだろうか。
珍しいほどのその笑顔に、彼は吹き出すように笑った。
背中に回される男の腕。あたたかい感覚に目を閉じながら、心中なんて今時流行らないよなあなんて場違いなことを考えた。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -