とろけるような甘いカスタードクリームの乗ったフルーツタルトを一口運び入れながら、杏里はタルト越しに自分と同じくフォークを動かしている静雄に視線を向ける。目が合う前に逸らしたその視線はしかし、動物じみた感覚を持つ静雄には看破されてしまったようで、サングラスの奥の瞳が僅かに細められた。その動きに口から心臓が飛び出してしまいそうなほど心拍が急加速しながらも、なんとか抑え込んで杏里は今度は逸らさず視線を向けた。へたくそな微笑みを浮かべた自分に返すように、静雄は思わず頬が熱くなってしまうような優しい笑顔になる。
「どうかしたか?」
どきりとして杏里は息を止める。静雄の問いはただ単純に、視線が絡まったことで口下手な杏里が何か言いたいことがあるのではないかと察してのものだろう。けれど杏里にとってはそれだけの問題ではなく、急速に回転を始める脳に上手い言い訳を弾き出してくれるようまるで他人事のごとく祈った。あなたに見惚れていましたなんて、間違っても言えるわけがない。
「何でもないです、すみません……」
結局、言葉になったのはそんな無難な割には何の説明にもなっていないものだった。俯く杏里に静雄は「いや、謝る必要はねえけどよ」とショートケーキを口に入れつつ答える。
「ここ、初めて入ったけど旨いな」
静雄は話題を変えるように自分たちのテーブルの周りを眺めながら言う。このあたりのさりげない気遣いが子どもの自分にとっては眩しくさえ感じ、杏里はこくこくと頷いた。
「そうですね、静雄さんさえ良ければまた来たいです」
それは平常の杏里からすればかなり大胆なお誘いの言葉だったのだが、静雄は快活に笑った。
「ああ、俺は大丈夫だ。一人じゃちょっと来にくいしな」
だから、誘って貰ってありがたいんだよ。と静雄は笑うが、それは杏里からしたら鼓動をさらに速める魔法の言葉だった。自分の存在によって嬉しいと感じてくれるのは、全てを額縁の向こうに押しやり傍観者に徹してきた杏里にとって、震えるほど幸福なことだ。彼にはその自覚はないのだろうが、見破られぬよう俯いてこっそりと息を吐いた。こういう時、上手い言葉を紡げない自分が悔しくて堪らない。先程の静雄のように、思わず嬉しくなるような気持ちを告げたいのに。けれど静雄は変わらずにいてくれた。杏里もタルトに視線を落とす。二人で静かに美味しいデザートを食べるこの空間が、とても幸せだと、慣れないことを思った。

割り勘を主張したのだが、学生に払わせるわけにはいかないと静雄がほぼ払ってくれた。申し訳なくもそうして考えてくれることに喉の奥が熱くなる。ぺこぺこと頭を下げる杏里に、気にすんなと静雄は片手を揺らした。連れたって店を出ると、秋になり始めの爽やかな風が吹き抜ける。僅かに瞼を伏せ、杏里は意を決して斜め上を見上げた。
「…あの、今日は、本当にありがとうございました。一緒に来てくださって、嬉しかったです」
「いや、こっちも久々にケーキなんか食ったからよ、すげえ満足した。ありがとうな」
再度お辞儀をすると、ぽんと、大きな頭が頭頂部に添えられた。そのまま軽く撫でられ、少し恥ずかしかったが胸がじんわりと疼くように温かくなる。言ってみようか、と思ったが、やはり勇気が出ずに引っ込めた。また会ってくれますか、なんて、自分は一体彼に何を求めているのだろう。額縁は随分と小さくなり、杏里と外界を隔てるものはもはや頑強な壁ではない。すぐ傍にいて、こうして笑ってくれる静雄の存在を、確かに大切だと思っているのだ。彼もそうだったらとても幸せなことなのだろうが、そこまでは望まない。過ぎたことだと思ったし、ただ、こうしてほんの少し笑える時間があるだけで杏里には充分だった。決して口には出せないけれど。
帰路は途中まで同じだった。お互い元から饒舌な方ではないので、並んで歩いたまま、会話はない。けれど横断歩道で止まった時、静雄が不意に声を漏らした。
「あのよ」
瞼を上げると目の前に何かが現れた。紙のようであるそれが映画のチケットだと認識し、瞬く杏里の頭上でさらに低音が紡がれる。
「知り合いから貰ったんだけどよ、今流行ってるやつなんだそうだ。俺は詳しくねえからよく分からねえんだけどな。丁度2枚あるから、次の土曜、よかったら行かねえか?」
言葉を飲み込むのに時間が掛かってしまった。幸いまだ信号は赤のままだが、しばし呆然としてしまっていて、慌てて見上げると静雄のトレードマークとも言うべき鮮やかな金髪から覗く耳が僅かに赤くなっている。そこで杏里はようやく、自分が誘われているのだと気付いた。何故か震え始めてしまう喉を抑えながら、見上げたまま尋ねる。動揺がなるべく表に出ないよう、けれど思いを伝えたくて、静かに声を上げた。
「私で、いいんですか?」
自惚れだろうか。静雄も、自分と共に過ごすことを憎からず思ってくれていると取っていいのだろうか。静雄は、一度瞬きをしたあと、緩やかに目を細めた。何度見ても鼓動が跳ねてしまう、あの穏やかな笑みだった。
「俺は、お前がいいんだ」
信号が青になり、並んで一歩を踏み出す。杏里の手に握られているのは一枚のチケットであり、静雄の耳に宿った赤みは未だほんのりと跡を残していた。冷たいはずの紙切れがどうしようもなく温かく感じて、歩きながらそっと胸に押し当てる。忙しく動く心臓の煩さを、もう嫌には感じなかった。この気持ちを上手に噛み砕くことはまだできないけれど、杏里は素直に笑うことができた。眩しく感じる静雄の笑みには遠いかもしれないけれど。それは杏里の感じる、正直な思いだった。


Thanks:約30の嘘



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