恋ではなかった、と思う。
学校に届けを出しているわけではなく、活動日さえ決められていない歪な団体であるこのオカルト研究同好会において、はじめに実ったのは黒髪の少年と茶髪の少女との間の果実だった。別の言い方をすれば、学校一目立たない少年と、学校一人気者の少女。だから、よもやこの二人が、という感想は彼らを知る者ならば誰だって思い浮かべるだろう。
C太もその一人だった。淡い恋人達の片割れの少年の幼なじみである彼は、幼い頃からずっと、少年を見てきた。少年を観察し、不器用な彼が荒波に揉まれることなく社会を渡っていけるよう、陰日向に援助を続けてきた。その思いは、恋ではなかった、と今になってC太は思っている。不器用な彼を助けることで、己の自尊心を満たしたいがための、歪んだ儀式。だけれど、ずっと弟のように見守ってきた少年が自らの力だけで羽ばたいていく姿は、素直に寂しいものがあった。



「…やっぱり、ここにいたんだ」
旧校舎の痛んだ床をなるべく音を立てないように踏みしめ、一つの空き教室に少女の姿を見つけた。
椅子に腰かけている少女は、長い紫色の髪を揺らして振り返る。一輪の桔梗の花のような彼女は、C太の姿を認めても表情をあまり変えずに会釈する。
「C太さん。こんにちは」
歩み寄り、隣の椅子に座る。揃えられた指先を一瞥し、少女の視線の先を目で追った。
中庭を挟んで向かいの教室、そこに二つの人影がある。一つはC太の幼なじみであるA弥、そしてもう一つは、少女─D音の友人であるB子のものだった。
いつからか、D音は一人で旧校舎へと赴く際、必ずここからいつもの教室の様子を確認するようになった。その理由は、彼女と同じ目的でこの教室にやって来ているC太にはすぐに得心がいった。A弥とB子が、二人同じ場所にいるからである。恋人同士が二人きりでいる空間に、独り身のD音は入りづらいだろう。しかし理由はそれではない、とC太は机に頬杖をついた。
逸らされないその視線に息を一つつく。熱いとも取れる視線を元音楽室に向け続けるD音は、B子に恋をしていた。自分とは違って、彼女は本気でB子に恋愛感情を抱いているのである。自称親友の立場からでも胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感を隠し切れないというのに、愛する者が他の人間と幸せそうにしている姿を見るのがどれほど苦しいことなのか、C太には想像できない。
(…そういえば)
自分はどうやらそれなりに整った容姿をしているらしく昔から告白されることは頻繁にあったが、A弥の面倒を見るのにうつつを抜かしていたため、今まで恋愛というものをしたことがなかった。推測することはできるが、所詮未体験の感情など理解の範疇を越えている。だが、窓の向こうでぎこちない微笑みを浮かべるA弥や、そして眼前のD音は知っているのだ。仲間だなどと言ってはいたが、恋という青春につきもののイベントにおいてはC太は輪から外れているのである。そのことに言い知れぬ悔しさをほんのわずか心に灯しながら、ぼんやりと思考を巡らせていると、不意にD音が立ち上がった。
「…そろそろ、良いタイミングみたいです。行きましょうか」
見ると視線の先の二人は何だか気まずそうにそわそわと微妙な距離を保っている。付き合いたての二人である、そろそろ会話が尽きてきたのだろう。ここからでは何を言っているのかはもちろんわからないが、聞かずとも「二人とも遅い」などと話し合っているだろうことは容易に想像できた。背中を向け、扉へと向かおうとするD音の腕を、C太は掴んで引き寄せた。
「…C太さん?」
無表情に近かった瞳に、戸惑いの色が煌めく。こちらに向けられるスカイブルーの視線を受け止め、C太はへらりと笑う。
「もう少し、ここにいない?D音と二人きりなんて、あんまりないし。折角だからちょっと話そうよ」
慣れてしまった笑顔を貼り付けながら言うと、D音は怪訝そうに首をわずかに傾げ、それでも再び隣に座った。長い時間ではないが大好きなB子の傍に行くよりも自分といる方を選んでくれた彼女に何だか熱いものが喉元を掠め、その理由もわからぬまま、C太は口を開く。
だって、とても、寂しそうな顔をしていたのだ。二人の元へ向かおうとするD音、きっと彼女は馴染みの教室に足を踏み入れたあと、恋人同士の二人の前でいつもの笑顔を浮かべるのだろう。包み込むような、己の感情を隠すような。立ち上がった際の表情は、普段の彼女のそれではなかった。
羽を広げ始めているA弥を邪魔したくないとも思う。けれども今はただ、D音を独りにしたくなかった。その訳など仲間外れの自分にはまだ理解できないけれど、澄んだ空色の瞳を前に、他愛ない世間話で時間を少しでも遅らせたいとC太は今日起こった出来事を話し出す。
──そういえば、桔梗の花言葉は「変わらぬ愛」だっけ。
A弥のこと、体育の授業のこと、調理実習の時間にクラスメイトが爆発騒ぎを起こしたこと。普段から饒舌な性格でよかったと思いつつぽつぽつと会話を交わしながら、くすりと不意に花が落ちるように零れたD音の微笑みに、C太も笑い返した。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -