黒髪の少女が顔を出したので部屋を間違えたのかと思った。はい、とか細くも鈴の音のような声を響かせて扉を開いた少女は、俺の姿を見て首を僅かに傾げている。恐らくは俺という人間に心当たりがないのだろうが、向こうが知らないのならばこちらもそうであるという可能性は非常に高い。そりゃあ俺は情報を扱う商売をしている身なのだけれど、そもそも一人暮らしだと認識していた部屋から知らない人間が顔を出したら驚きもする。知らないことはない情報屋とはいえ、会う人間全てを見知っているということなどできるはずもない。故に場所を間違えたのかと扉の脇の壁に取り付けられている名前札に目をやるけれど、そこには目的の名前が記されていた。「平和島」。そう、できれば一生縁のない存在でいたいというか存在そのものがこの社会から消え去ってしまえばいいと常々願っている人物の名である。
さて、ここでどうして俺がそんな犬猿の仲という例えも生易しい男の部屋を訪ねているのかという理由を説明すると、これが偶々だったりする。「さて」などと仰々しく切り出しておいて申し訳ないのだが、特にこれといった所用があるわけではない。先程一生関わりたくないとは言ったができるなら苦しめて嫌な思いをさせてやりたいとも思う程度には嫌悪しているということなので、偶然近くを通りかかったついでに嫌がらせの一つでもしてやろうかと思い立っただけなのだ。ただそれだけの理由で立ち寄った家から全く知らない少女が出てきたということでこの状態をどうしたものかと考えあぐねている現状なのだが、そうしている間にも少女は戸惑いの表情から僅かに警戒の色を乗せて俺を訝しんでいるようである。どうやら、危機管理は上々の性格のようだ。危機感が足りないなどと言われる今の若者にしては珍しいななどと少し脱線したことを考えていると、沈黙に耐えかねたのか、少女が話を切り出した。
「あの…、どちら様でしょうか…?」
どちら様と聞きたいのは俺も同じだったが、こちらは意図はどうであれ訪ねている身分なのでそれは憚られる。とりあえず、平和島静雄に用がある、と告げると少女は少しほっとした表情をした。
「静雄さ…兄なら、今は出掛けています。ご用件なら私が賜りますが…」
その言葉に僅かに目を見開いた。妹がいるという話は聞いたことがないという理由もあったのだが、最たる原因はこの少女の呼び方である。少女は今、「静雄さん」と言いかけて「兄」と呼んだ。普通の兄妹ならこの言い直しはおかしい。もしや恋人や知り合いの少女に偽装のために兄と呼ばせているのかと思ったが、そんな理由もないだろう。とすると、再婚した親の連れ子と同居し始めたなどという線が近いかというところに落ち着いたので、彼女に自分の身の上について聞いてみた。いつ頃そうなったのかはわからないが、少なくとも初めから血の繋がった兄妹でないとするなら彼女のことについて知らなくとも不思議ではないだろう。初対面の相手に自らのことを語るのは躊躇するだろうと思ったが、どうやらそう聞かれることは何回も経験済みらしく、彼女はさほど戸惑うことなく答えた。
曰く、彼女は数年前に平和島家に養子として迎えられ、少し前までその家で暮らしていたのだが、この春に来良学園に進学したのをきっかけに、通学圏内のアパートに一人暮らしをしている平和島静雄の部屋──つまりここ──に居候させてもらっているのだという。自己紹介の際知った杏里という名前を心中で反芻しつつ、互いが互いのことを知らないという状況は少しだけ改善されたが未だ俺が彼女にとって謎の男ということは変わりないので、どう自己紹介したものか迷っていた時。
そう、まさにその時だった。
「手前…杏里に何してやがる…!」
怒気という言葉では生温い、明確なる殺意が込められた言葉に振り向くと、そこには目的の人間が立っていた。口調に反して未だ標識や手摺などはその手中にはない。それは目の前のこの少女のためだろうかと考えていると、そいつ、平和島静雄は尚も強い目でこちらを睨んでくる。気配を感じなかったことに若干の忸怩たる思いを抱くが、状況は過去を悔やむよりも現状突破の策を練る方が明らかに適切である。武器こそないものの(そもそもこの男の手にかかれば素手でだって人を殺せることは可能だろうが)、俺の返答、行動次第ではすぐさま爆発しかねない様子に口を開いた。張り付けたような笑顔も忘れずに。
「やあ、久しぶりだねシズちゃん」
「うるせえ、こんな所で何をしてやがる。杏里から離れろ」
前言撤回。どうやらしかねないではなく、既に爆発しているようだ。言葉の通じなさそうな返答に(だからといってすぐに暴力に打って出ないというのはかなり成長したように思うが)、俺は諦めて撤退の意を固める。
「何をやってるってわけでもないよ。ただ仕事でたまたま通り掛かったから、かつての学友に挨拶でもと思っただけさ。こんなに可愛い妹さんと二人暮らしだとは予想外だったけどね」
そもそも現状が既に奴にとっては嫌がらせに近いはずだ。そう考えると少しは目的を果たせたような気分になり、そうとなればこの場に居続ける理由はなかったが、最後にしっかりと少女のことに触れておくというのが俺の皮肉っぷりを表しているような気がした。案の定、こめかみの血管が更に増える。爆発までのカウントダウンは近いだろう。俺は今度こそ、身を翻した。
「じゃあ、またね、杏里ちゃん!」
階段に足を踏み入れると同時に背後で何かが割れる音がした。一足飛びで駆け降りながら、ふと脳裏に浮かんだのはこのアパートの大家への同情心ではなく、杏里というあの少女への興味である。嫌悪する化け物への切り札が増えたことに密かに口の端を歪ませる。随分と久々に見た本気の激怒の表情を思い出しながら、「またね」、その言葉がさながら呪いのように纏わり付くことを祈った。







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杏里誕生日おめでとう!

にゃんこさんリクエストの「静杏兄妹パロで杏里が臨也に見つかっちゃう話」になります。
「静雄が岸谷家に杏里を連れていく話」という素晴らしいリクエストも提案してくださって、両方ともとてもおいしい設定だったのでどちらかものすごく迷ったのですが、こちらを選ばせていただきました。
素敵なリクエストをありがとうございました!



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