Short Dream



「ネジ、のど渇いたよ」

お水頂戴、とわざとらしく、可愛げに首を横に垂れる。
だけどネジは言うことを聞いてくれない。黙って、じっと私を見ている。それから、あたしの頬をゆるりと撫でて、うすく笑う。

「歩」
「うん、なぁに?ネジ」

にこりと笑い返すと、ネジが「なんでもない」と笑って、あたしをぎゅうと抱きしめる。ネジの大きな身体のなかに、すっぽりと納まるあたし。お父さんの胸の中みたいだねと言うと、「オレはお前の父親になった心算はないぞ」と生真面目な答え。全く、ネジってば冗談を分かってくれないんだから。

思わず笑いがこぼれる。と、同時にのどの渇きを思い出す。のどの奥がかゆいような、からからして、のどの壁と壁がぴったりとくっついてしまっているような、そんな、とにかく、違和感。

「ねぇ、ネジ。のど渇いたよ」

もう一度おねだりをする。でもネジは答えてくれない。また、笑って「歩」と呼んで、あたしをぎゅうぎゅうともっともっと力強く抱きしめてくる。
それはとても嬉しいし、幸せなんだけど、でもネジ、のど渇いたよ。もうずっとお水も何も飲んでないよ。

あれ、でも「ずっと」ってどのくらいずっとなんだろう。
時計を探してみるけれど、いつもネジの部屋で聞こえていた音が聞こえない。外を見ようと思ったけれど、ネジがあたしを抱きしめているから、カーテンが掛かった其処に行けない。
あれ、あれ、おかしいな。

「ねぇ、ネジ。今何時?」
「歩、これからもずっと一緒だ」
「うん。ずっと一緒」

大きな手があたしを撫でるから、あたしもうん、と頷いて笑う。変なネジだなぁ。ずっと一緒に決まってるのに。これからも、ずっとずっと一緒。今までずっと一緒にいたのに、どうして今更離れる必要があるんだろう。変なネジ。
あ、でもそうだ。高校は学力の差で離れちゃったんだった。あたしは馬鹿だから、ネジみたいに頭の良いところに行けなかったんだ。だから、高校だけは離れ離れになったんだった。
あれ、でもそういえば学校行ってない。いつから行ってないんだろう、もう学校に行かなきゃいけないのに。ネジだって、あたしだって、学生さんだから勉強しなくちゃいけないのに。

「ねぇ、ネジ。学校は?」
「歩、目を逸らすな」
「あ、うん。ごめん」

さっきからきょろきょろしていたあたしに対してネジが怒る。抱きしめてる最中に、腕の中の人にきょろきょろされるのは嫌らしい。
せっかく恋人になれたのだから、とネジが拗ねた感じで言ってくるものだから、「かわいいね」と言ってあげた。こんなネジを見れるのはあたしだけだ。

ああ、でもネジ、あたしは目を逸らしているけれど、話は逸らされてばかりだよ。
のどが渇いたし、どれくらいずっとこんな状態なのか分からないし、時計の音は聞こえないし、なんでカーテンが掛かっているのかも分からないし、学校もどうしたらいいか分からないよ。

「ねぇ、お水飲まないと、しんじゃうよ」

そういえば、ネジも水を飲んでいない気がする。
なんだか、お互いずっとこんな調子だった気がする。
いつから?どこから?わからない。
とりあえずネジの束縛からよいしょよいしょと抜け出したあたしは、いつも使わせてもらっていた台所に向かって歩いていく。
水道の前に立って、蛇口をひねって、水が出ない。

水が、出ない。

いくらひねってもひねっても。
あれ?と思って、逆方向にひねってみても、水が出ない。
「ネジ、もしかして水道料金滞納した?」

学生の癖に独り暮らしをしているネジだ。忙しくて忙しくて、ついつい振込みを忘れてしまったのかもしれない。
「電話しなきゃ駄目だよ」と、受話器の前に向かう。この人は昔から電話という物が苦手だった。相手の顔が見えない中での会話、という物が苦手で、できる物は昔からあたしが変わりに電話をしていた。
ネジは「オレはお前の父親になった心算はない」とさっき言っていたけれど、正直あたしのほうがネジのお母さんらしいことをしているのかもしれない。どっちもどっち、ということだ。

「…あれ?」

電話ケーブルが、切れている。
ぶっつりと、はさみで意図的に切ったみたいに、不自然に切れている。
ねずみががりがりかじったような物ではない。本当に、意図的に。

「ネジ、変だよ。この家、おかしいよ」

人の家に対して失礼かもしれないけれどそう言ってからあたしは、早くこの家を出ようとネジの右腕を引っ張る。ネジはおとなしくて、不気味なくらい、何も反応がない。それがまた恐ろしかった。

なんだかずいぶん久しぶりに玄関が目の前にある廊下に出た。そういえば私は、いつからこの部屋に居たんだろう。それすらも思い出せなくて、背筋がぞっとする。
不意に廊下においてある鏡が視界に入る。そこにいるのは、何処を見ているのか良く分からないネジの顔と、誰かに引っ張られているような、右腕。右腕を掴んでいるはずの、あたしの腕はない。

「どうして、」

わけがわからなくなる。鏡のそばに立っているはずなのに、其処にはネジしか映らない。
おかしい、おかしい、どうして、あたしは、

「歩、」
「あ、ああ、あ…」

ネジがあたしを抱きしめる。あたしは自分の腕を、見る。長袖の制服。長袖をまくった先には、点々とシミのようについた、青い痣。
そうだ、あたしは、もう耐えられなかったから。ネジすらも信じられなくて、そんな生ぬるい場所はもう要らないって、でもやっぱりほしくて、でも迷惑はもうかけたくなかったからって、最後もう一度ネジに会って、それからあたしは、

「歩」

ネジがあたしを抱きしめる。
よく見たらその手は、確かに昔から白くておおきくてごつごつと骨ばっていたけれど、今はもっと白くて、骨ばっていて、細くて、まるで。

「大丈夫、だから。オレも、もうすぐお前のところに」

ぽつり、と涙が落ちる。
それはあたしを通過して、茶色のフローリングの床に落ちた。


助けてください
この世界が残酷すぎて、愚かな道しか選べません。


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「助けてくれない」の続編でした。


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