Short Dream



 “大人になったら結婚しよう”

 「全部お前が言ったことだ」

 私は彼を大人だと思っていた。
 同い年で、幼なじみで、ずっと一緒だったけれど彼は私よりもはるかに遠いところをいつも見ていたし、理想や夢を追いかける私と違って彼はいつも現実を見ていた。
 だから私はいつか遠い昔の私の冗談を、君が覚えているなんて到底考えたこともなかったし、そもそも、君が私を好きになるわけがないと思っていた。だって、君は下らない、と私の恋を否定したじゃないか。だから私だって諦めた思いだったのに。

 「お前が約束をしてきたんだろう?」

 私の首から伸びる鎖を君はサディスティックに上に引き上げる。頭が急に揺さぶられて、パニックで既に詰まっていた呼吸がまた下手になっていった。ネジくん、ネジ、話を聞いて。言えたらよかったけれど、私の口は封じられているために言葉を出すことが出来ない。は、は、と短い息だけが、開いた口から断続的に漏れる。それだけだ。それだけしか、恐怖しか、私はもう伝えられない。
 結婚をすると言った。
 やっと君以外の人を好きになり、君以外の人を愛することが出来た。私は彼の望み通りの私に、彼のよき理解者、友人にやっとなれたんだと思っていた。だから、きっと喜んでくれると思っていたのに。呆然と真顔のまま表情を失って、「知らない」と少年のような声を出した君は、きっと私の知らない君だったのだろう。私は君に置いていかれているとずっと思っていた。思っていたけど、もしも本当に置いていかれていたのが君だったとしたなら、私は。

 「お前は、オレのものだと思っていた」

 ごめん、ごめんね、と口だけを動かしていたのが伝わったのか、それとも所詮は君も思っていたとおりに大人だったからか、君は私の両肩を支えに弱々しく声を震わせる。私たちはきっと話が必要だった。何か、言うべき言葉を伝えるべきだった。でも、短すぎる舌じゃあどんな言葉ももう出せない。私は私の顔を見なくなった彼の髪の毛に頬を擦り寄せる。もう仲直りは出来ない。それでも、大丈夫だよ、くらいは伝えたかった。

 (日向ネジ然りNARUTOの男たちは子供の頃の約束とかを真に受けてずっと根に持つタイプだと思っている)

**** 


 優しい君の夢を見た。
 今日は濃紺の浴衣を着てどこか知らない海辺の街を手を繋いで歩いた。君は私よりも手が大きくて、少しだけ硬い指先がそれでも優しく私の手を握っていた。恋人繋ぎではないところが君らしくて、でも率先して手を繋いでくれる君は、やっぱり私の日向ネジではなかった。

 「ネジ、川に金魚がいる」

 真昼の運河に揺蕩う赤い魚の群れを指さすと、訝しげに彼は目を細める。いくら淡水魚とはいえ川に金魚がいるなんて普通は考えられない光景に、彼も私も「妙だ」とは言わなかった。夢だと知っていたからかもしれない。こんなこともあるんだね、と私は揺らめく赤い尾を見つめながら左手にある彼の手を握り直した。夢だと気がついたら、あとは覚めるだけだった。それが恐ろしくて忘れたフリをしたかった。

 「お祭りだからかなぁ、あそこで金魚すくいなんてやっても誰もすくえなさそうだね」
 「リーやガイあたりは修行と称して熱中しそうだがな」
 「あ、それ有り得そう。ネジのいる班ってそんな感じだよね。でもなんだかんだいって、一番熱中するのはネジだったりして」
 「…そうでもないさ」
 「そんなことあるでしょ」

 揺らめく赤い尾が、水面の光が遠のいていく。急速に空が君の着ている服の色と同じ色に染まっていくような気がした。あの夕日に向かってなんとか、みたいな青春映画のセリフを思い出す。青春なんてごめんだ。叶うことなら、こんな夜にはこれ以上手を伸ばしたくない。遠くから流れてくるトロイメライと、光を背にして立つ君と、私の手は既に遠のいていた。

 「ネジ、ねぇ、私明日はりんご飴が食べたい」
 「……」
 「明日もデートしよう。明日も、また手をつなごう、ネジ」

 下らない我儘を私は口にする。彼は私が思った通りに「今から買えばいい」とも、「下らない」とも言わなかった。何にも言わない。言えない。君は優しいのだ。優しくて、どこか時折残酷だった。

 「歩、さよならだ」

 ネジってさ、どこか私に甘いよね。そんな話をしたのは、いったい何年前のことだっただろう。目の前に立つ黒髪の男は、確かに私の知っている日向ネジだった。透明にさえ思える白い瞳も、日に焼けると少しだけ赤く色付く白い肌も、少し線の細い顔の輪郭も、ぜんぶぜんぶ、私が覚えている日向ネジそのものだった。君は優しい。君が優しいことを私は知っている。だから、君は私に、「永遠」だけは与えてくれない。

 「一緒に連れて行ってよ」

 ちゃぷちゃぷと揺らめく水の音が、トロイメライをかき消していく。いつの間にか私とネジの間には、大きな川が流れていた。白い曼珠沙華がぽつぽつと立ち並ぶ誰そ彼時に、私はきみの顔を見失っていた。涙で歪んでいるのか、君が眩しくて、くらくて見えないのか、もうなんにも分かりなんてしなかった。

 分かるのは、君にもう会えないこと。それだけが全てだ。

 幻の彼はそれ以上は何も言わなかった。嘘でも偽物でも「構わない」と言ってくれればよかったのに。無言の視線は生きてほしいと私を呪う。思い出に嫌に忠実な君は、そうして私の背を此岸へ押した。
 目を開ける。今日も、君のいない朝が始まる。

 
 (久しぶりに夢に出てきたので死ネタに昇華してしまった闇のオタクは私です)


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