Short Dream



 「オレにかまけている暇があるなら、新術の修行のひとつでもしたらどうだ」

 小さい頃からずっと一緒にいたその男が、こんな物言いをすることが苦しいと思っていた。
 明るく笑う彼を知っていたからだ。でも、こうなってしまってもう何年も経つんだから何もかもが今更のはずだった。こんな拒絶でいちいち胸を痛ませたってどうしようもない。私はいつもそうしていたように、自分だけは変わっていないことをアピールするしかないはずだった。それが、彼の救いになっていると信じたかった。
 でも私だって人間だった。私だって毎日明るく笑ってネジくん、ネジくんって擦り寄れるかといえばそうじゃない。いくら好きでも、いくら幼なじみでも、いくら信じたくても、それが繰り返されたら限界が来てしまう。それがたまたま、今日だったというだけで。

 「わかったよ。私が嫌いなら、もう近づかないよ。今までごめんね」

 私は多分、人並み以上に日向ネジという男がどんな男かを知っている。
 傲岸不遜でクールで、歯に衣着せぬ物言いで傷つけられた人間はそのうち星の数に上るだろう。でもその冷酷無比な態度が許されてもおかしくないほど出来がよくて、そのうえ顔もとっても良い。…顔に関しては一個下のうちはサスケ君には劣るかもしれないけど、それでも非の打ちどころというものがない。天は何物こいつに与えたら気が済むのだろうって誰もが妬みたくなるほどの、まさに「天才」。
 でも私はそれだけじゃないって知っている。こんな男にも嫌いなものがあって、甘い野菜は好きじゃない。好物は蕎麦なんだけども蕎麦の上でも用意するのに手間がかかるにしん蕎麦だなんてよくわからないこだわりもある。非の打ちどころがないとはいうけれど実は座学と幻術は私の方が得意で、何回かテストの点数で私に負けてひどく睨まれたことがある。つまりとっても負けず嫌い。でもそういう私の努力を別に卑下はしないし、そこで私を妬みはしない。ただ負けて悔しいから次は勝つ、なんて思考はわりと普通の少年のそれと多分同じだ。ただ、言い方はとっても大人ぶっているだけで。ああ、あと家庭的なことは多分私の方が得意だ。「やらないだけ」なんて顔をしているけれど多分出来ないに違いない。天才なんて言われているけれど、冷血だとか言われているけれど実はそんな男にも人間の血が通っている。
 天才か、って言ったら、多分そうでもない。私や周りの忍者を目指す子供がやる何倍もの時間を彼は自分のために当てていた。友達と休み時間の合間に遊ぶ時間もくだらない話で盛り上がる時間も、家族と今日のことを話しながら一日を終える静かな夜も、彼は全部自分のために捧げて生きた。そうして積み重ねた努力が根底にあるのを私は邪険にされた分だけ知っている。
 私は多分、日向ネジのことを知りすぎていた。いっそ知らなければよかったのに。昔の屈託なく笑う眉間に皺のない笑顔も、無邪気さも。「運命」なんてあまりに漠然とした概念に諦めた振りをしてそれでも諦めきれずに向き合おうとしているその姿も。何もかも、知らないでただの赤の他人で、遠い星の人みたいに思って過ごして行けたら良かった。そうしたら多分私はこの恋に身を焼かれることなく済んだだろう。

 「さよなら」

 最後に見たその男が、どんな顔をしていたのかを私は知らない。1歩足を踏み出したらきっと涙で顔をぐしゃぐしゃにしてしまうと分かっていた。私は何も知らないで背を向けて走って、そうして思いっきり敗れた恋に泣き喚いた。
 下忍になったばかりの、はじめての夏のことだった。



 「お疲れ」

 背後で扉が開く音がしたと思ったら、そんな普通の人みたいな挨拶が飛んできたから反応に遅れた。慣れたと思ったらこれだ。案の定向こうは怪訝な顔をしながら当たり前のように私の隣に座る。白い彼の袖がひらりと揺れたと同時に、僅かに彼の匂いがした。汗とはまた違う個人の独特の匂いに身が強ばる。なんでよりにもよって、私の隣に座るんだろう。心臓が落ち着かなくなるというのにそれでも向こうは「任務か?」と私の手元を白い瞳でじっと覗き込んで話を続けてくる。やめてほしい。おかげで何を書いていたか、さっぱり続きが飛んだ。

 「うん。…えっと、ネジくんも?」
 「ああ、今しがた戻ったばかりでな」
 「そうなんだ。…お疲れ様」
 「ああ、お前も」

 なんだろう、この空気。手に持っていた筆の先がばきりと折れたような気がした。気まずさに耐えかねて私は給湯ポットのほうへ手を伸ばす。ついでにと重なっている湯のみ二つにそそいで、一つを彼のほうへ置くと彼は「すまないな」といやに柔らかい口調でお礼をしてくれた。もうそれだけで、違和感がすごい。私はなぜか嫌味を言われていたあの時よりも、おかげ様で縮こまってしまう。

 あの別れから五年は経った。私はネジくんから逃げるようになり、なるべく顔を合わせないようにしていた。そうこうしている間に同じスリーマンセルを組んでいた班員の一人が、問題を起こして忍者を辞めた。当然私の班はそれと同時に解体され、私も巻き込まれるように忍者を続けることが難しくなった。それでも諦められずに細々と独自に幻術の才能を磨いていった結果、私の腕は上層部に買われたらしい。ほかの班に紛れて中忍試験を受けたりとコツコツ努力を続けるうちに、いつしか私は特別上忍の地位を戴くこととなった。本当に人生何があるかわかったものじゃない。今では暗号班でシホさんをリーダーに座学の知識を活かして里に貢献している貢献しているなんて、昔の自分に言ったらさぞ驚かれることだろう。
 でもまさかそういう自分の人生の歩みの果てに、まさかネジくんとこうして上忍待機室で鉢合わせるようになるなんて誰が予想しただろうか!
 私のことなんて鬱陶しくてしょうがなかったはずの男がなぜか私に話しかけてくるせいで空調が効いているはずなのに変な汗が背中に伝う。いや、でも知らないことはなかった。中忍試験の本戦も見に行っているし、なんならあのうちはサスケの奪還任務のあとで大けがをしたときは意識不明の間にお見舞いもした。ネジくんが中忍になる時の試験もそっちが見ていないときだけ私は実は、少しだけ見ていた。まるでストーカーみたいな所業をしていたと思う。
 別にもう好きとか嫌いとかそういう気持ちもないはずだ。終わった恋にまだ少し未練がある程度で、あとちょっとやっぱりその後心配だな、くらいで。心配する権利もないんだろうけど。…とにかく、私は距離を作っていた。ネジくんがそうしてほしいと思っているはずだし、私もそうしたほうが気持ちが楽だったから。
 だから、こんな風に話しかけられるようになると、ちょっとどうしたらいいのかわからなくなる。「小隊長だったんだな」なんて私をしみじみ眺めながら(もちろん任務内容に関しては見られるといけないし見て良いものではないから当然ネジくんはそこは見ていないようだ)呟く。私もネジくんの任務報告書の一番上に記された「A」の字をちらりと覗いて「ネジくんこそ」と切り返した。報告書を書くのは、隊長の務めだということは誰でも知っていることだ。曖昧に頷くネジくんにそれ以上何を言えばいいか分からず私は「あのさ」と声を変に上ずらせた。変だな、別に会話をやめたらいいのに、なんで私も話しかけちゃうんだろう。

 「さ、最近ネジくん変わったね!なんか、よく話すし…」
 「?…ああ、まあ、まさかお前がここに出入りすることになるとも思わなかったからな。変わったつもりはないが」
 「そう?か、変わったと思うよ。…ほら、なんか女の子たちからよく噂聞くし…」
 「噂?」

 知らないんだ、という言葉を飲み込んで笑ってごまかす。馬鹿だ、どうしてこんなことを言っちゃっただろう。口は災いの元とはまさにこのことだ。冷や汗でどんどん体温が下がっていっている気がする。おかしい、今は夏のはずなのに。
 ネジくんの噂とは、まあ、ミーハーな女の子たちからのよくある評価だ。最近やたらと目元が優しくなった、怖くなくなった、普通に話やすくなった、なんだかんだいっていい人、実は結構包容力がありそう、彼氏にしたい、…などなど。前は冷酷無比で取りつく島もない、あいつ絶対結婚できない、みたいな悪口が飛び交ってたはずなのに、上忍になったとたんにこれだ。手の平返しのすごさに私は苦笑いしかできなかった。私が知らないネジくんが、里にはもう居るんだと思った時は少し胸が痛んだけれど。

 「ネジくんがかっこいいって、優しい〜って話よく聞いて」
 「……」
 「…あの、なんか、私の後輩とかも助けてくれたみたいだし、その子すごいお姫様抱っこされてきゅんと来たって。とっさの判断なんだろうけどでも!って言ってて、えっと」
 「……」
 「…ごめ、なんの話してんだろう、忘れて」
 「――お前は?」
 
 反応のない相手のせいでどんどん言葉から語気が消えていく。なんでこんな話しちゃってんだろう。こんな話をして何がしたいって言うんだろう、私は。そう思ったからやめたのに急にネジくんから「お前は」なんて妙な切り返しをされたせいで間の抜けた声が出てしまう。なんで、なんでそんなに真剣に見てくるんだろう。これだから白眼使いは質が悪い。その透き通った目に見つめられて、一度目が合うともう逸らせなくなってしまう。

 「お前は、どう思ったんだ」
 
 こんなの上忍控室でする話じゃない。心臓がバクバクする。おかしくなんてなかった。今は確かに夏で間違いがない。だからこそ空調を付けているはずなのに、おかしいな、さっきまで寒々しかったはずなのに今はどうしてかモーター音が聞こえるのにひどく暑い。

 「…わかんない。ネジくん、どうしたいの」

 変わったと思う。優しくなった。昔は私の手を振り払ったはずなのに、今は何故か机に置かれている私の手を握りしめてくる。こんなネジくんは小さいころに見た気がするけれど、でもそんな、熱のこもったような目で見つめられたことなんてなかった。そんな、まるで「男」みたいなネジくんを私は知らない。こんなの、まるで嫌われていないみたいで。

 「そうだな、お前は昔も今も、何も分かっていないようだ。だからそうだな、どうしたいかと言うと、」


 私の表情から何を読み取ったか、ネジくんが瞬き一つの間にただでさえ近いところにあった顔をふっと近づける。少し視界が暗くなったと思いきや、唇に若干固いけれど柔らかい体温のあるそれが触れた。リップ音もなくただ重ねただけのそれに頭が真っ白になる。私の恋は、終わったはずだった。それは私の勘違いだったのだろうか。首筋にやたらと熱が上っていく。目の前の男は、ここは上忍控室だということを忘れているのかまるで敵前を前にしたような、いや敵前でもしないはずのやけに不敵な笑みで私を捉えていた。

 「こうしたいから、此処にいる」

 ねぇ、あなたは最後のあの日、どんな顔をして私を見ていたの。
 それを知るのは何十秒後の話。


 
 End.



 お久しぶりです。前作までのあとがきで私生活ぶちまけすぎてて若干気持ち悪いなと思いつつ舞い戻ってきました。このネタは一年前に思いついたものですが日向ネジを書かなさ過ぎてどう書けばいいか分からず放置し続けていました。やっと書いた。
 ネジ視点書く予定はないのでばらしますと彼は歩ちゃんの好意にあぐらかきつづけてきたけどいざ見放されてしょげてしまった奴です。「お前がいたから今のオレがいる(今のオレは人に優しくできるようになった)」みたいな台詞を入れたかったんですがどうしたらいいかわからなかった。またいつか何か思いついたら書きます。



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