Short Dream



 平成最後の夏、付き合っていた彼氏と別れた。

 

 「ほんっと腹立ってきた!!!」

 がやがやとにぎわう喧噪の中、私は持っていたグラスをテーブルにごんっとたたきつける。横に座っている男が「そのくらいにしておいたほうがいいんじゃないか」と私を怪訝な目で見た。構わず私は飲み放題のメニューに目を通す。赤玉パンチ旨かったなー次女子らしくカルアミルクでもいこうかしら、やだでもそれで酔えるかな。もう酔ってるってな。きゃはっ。

 「いいからネジも選んで。今日は付き合うって約束してくれたでしょ」
 「確かに付き合うとは言ったが7杯も飲むとは聞いていないぞ」
 「下戸じゃあるまいしいけるでしょ。もういい、飲まないなら私だけで飲む。店員さーん!」
 「はあ…メニュー貸せ、選ぶから」

 そう言って私からメニューを奪い取って涼しい顔で日本酒を選び出したのは、大学時代からの友人、日向ネジ。私と彼氏のことをそこそこ知っている男だ。今日はふられたということで久しぶりに呼びつけた。彼氏と付き合って以来一年、ネジとはまともに二人でなんて会ってなかった。彼氏に一応気を遣っていたのだ。でもその気遣いももう終わりだ。
 飲んでた赤玉パンチとネジの飲んでたジントニックが下げられ、カルアミルクと鍛高譚がやってくる。また一気にカルアミルクを半分まで飲むと、私ははあーと長い溜息を吐いた。

 「意味わかんなくない?人間嫌いだけど君のことは嫌いじゃないだの、君は何も悪くはないがよくもなかっただの、うるせぇ死ねって感じじゃない?」
 「死ねまで言うか」
 「言うわよ。だって実際何もしてないんだよ私。おとといまで嫁とか言われてたのにいきなり冷たくされてさ、発作的に人間嫌い発動されて別れ話って何?浮気とかのほうがまだかわいげあると思わない!?」
 「まあ確かに理不尽ではあるな」
 「でしょ!?わたしほんとなにかしましたかわたしはいいこにしてましたーー!!!!あーーー!!!」
 「歩、落ち着け。あまりうるさいと帰るぞ」
 「はい…」

 ネジになだめられてちょっと落ち着く。でもやっぱりイライラというかもやもやは収まらない。だって突然の別れ話だったんだ。あれを理解しようとなんて思えるだろうか。いや思えない。
 そもそも彼氏とは長い付き合いだった。幼稚園からの付き合いだ。大好きな大切な幼馴染だった。19年の片思いが1年前に実ったばかりなのだ。これから結婚して子供も作って老後まで一緒に過ごすことをいろいろあれこれ考えていたはずなのだ。なのになのに突然彼氏からの別れ話だ。ふざけんなお前が告白してきたんだろうがって感じしかない。
 
 「はあもうなにが『僕は結婚する気で付きあおうって言ったけど?』だ。なにが『君が好きだよ』だ。もうだまされない。もう男になんて騙されないぞ私は。ねーーー」
 「あ、すみません枝豆ください。…ほら枝豆頼んだぞ。肝臓に優しいから来たら食べろ」
 「やだまだ酔っぱらうんだ。もう私なんかぼろぼろになっちゃえばいい。でもねーでもねーこれが終わったら私ダイエット始めるんだー誰よりもきれいになってあの馬鹿男を悔しがらせるんだ。それでそれで…」

 ああ、涙出てきた。カルアミルクを飲み干す。甘さとしょっぱさがもうごちゃごちゃだ。

 「いい男すぐに見つけて、その人と誰よりも幸せになって、あんな男のことなんて忘れて生きるんだ…」

 絶対そんなことできないってわかってるくせにそう言った。いや、いつかはきっとそんな日が来るのかもしれないけれど、今はできないと思っているから涙がぼろぼろとあふれた。
 思い出す。LINEで彼氏に別れを切り出されたあの瞬間のこと。足元がぐらついてそのまますっぽり立つ瀬を失って崩れていったあの感覚。死にたいって率直に思った。世界が終わったと思った。もう生きていけないと思った。私はあなたがいないとダメだ!って本気で思った。
 でも実際は違った。おなかはすくしトイレにだって行きたくなるし汚いからお風呂にも行きたくなるし歯磨きも普通にできた。ただ眠ることだけは下手になったけれどそれ以外は普通にちゃんとできた。世界は変わらなくて仕事は次の日から普通に始まって、私はちゃんと働いてて、死にたいって思ってもやっぱり生きてた。私はあの人がいなくても生きていけた。それが現実だった。

 うーーと泣きながらとうとうテーブルに突っ伏す。ああ汚いなあもうごちゃごちゃだなあ今頃彼氏は平然とネトゲでもしてるんだろうなあ。くそ、こんな風に無残になってるのは私だけか。最悪だな。なんて考えてたら上から言葉が降ってきた。

 「こういう時は月並みな言葉しかかけられないというのは聞いていたが本当だな」
 「いいんだよ月並みな言葉で。慰めてよ。呆れながらでもいいから」
 「いや、実のところオレは歩を可哀想だなんて思っていない。むしろとうとう運が巡ってきたかと汚いながら喜んでいるくらいだ」
 「は?」
 
 この野郎何言ってんだと思い起き上がる。ネジはまっすぐ私を見ていた。

 「…オレじゃ、お前の未来の相手は務まらないだろうか」

 ネジはまっすぐ私を見ていた。本当にまっすぐだった。射貫かれるんじゃないかってくらい。矢で貫きます刺殺しますって感じで見てきた。でも殺意があるわけではない。むしろ暖かかった。
 「いやいやいや」と私は首を振る。「私たち友達だよね?」と確認をした。女子がよく使う言葉だなと思った。回っているはずの酒の感覚がない。

 「オレはお前のことを友だと思って見たことはなかった」
 「まじか。えーそれ言っちゃう…?今このタイミングで…?」
 「今このタイミングだから言った」

 ネジが鍛高譚をぐいっと飲み干す。さっきまでちびちび飲んでいたのに急にハイペースになった。それから、「オレと付き合うか」とぽそりと吐いた。そうだ、京都行こうみたいな、そんなノリで。

 「…私当分彼氏のこと忘れられないと思うけど」
 「知ってる」
 「私もう男なんて信用できるかモードに入ってるんだけど」
 「長い年月をかけて信用させてやろう。オレから言えるのはそれだけだ」
 「え…ほんとに付き合うの?冗談じゃなくてマジで?」
 「マジで」

 しばらく黙って見つめあう。いいか、と聞かれてやがて私はこくりとうなずいた。けして酔っぱらいのノリとか、そういうわけではなかった。


 平成最後の夏、二人目の彼氏はネジだった。




 End


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