Short Dream



 触れたら少しは満たされるんだろうか。

 そんな他愛もないことを考えて泣いたことがある。だってその人は触れることも出来なければ目を合わせることも出来ないから。

 この恋は決しては叶わない。

 恋をした瞬間、恋をしていると気が付いた瞬間私はその事実に泣いた。絶対に叶わないと分かっていた。相応しくないとか、私なんかじゃ釣り合わないとか、そういうよくある理由じゃなくて、もっと違う根源的な理由のせいで、私は彼とは永遠に結ばれない。この恋は絶対に報われないのだ。そういう、運命なんだ。

 
 私を病に落としたその男の名前は日向ネジという。
 最初そう名乗られたときは金具かな?とちょっとびっくりした。でも、なんとなく彼らしい名前だと、そう思った。日向ネジはクールで、ポーカーフェイスで何を考えているのかよく分からない男だった。彼の思考や心情は知らないけれど、彼がどんな人かはよく知ってる。まず身なりはきちんとしていて部屋はこぎれいな状態を保たせるのが好き。甘いものは好かず食事は和風系統、薄味が好き。よく蕎麦を食べ、南瓜だけは冷蔵庫に残す。あ、あと人混みは大嫌い。イベント事も嫌い。出かける理由は大体運動か図書室で本を読むため。買い物をするときは無駄なものは買わない。彼のことなら大体、こんな感じでよく知ってる。まるでストーカー女みたいに。

 私が彼と話が出来るのはお風呂場とか、夢の中。
 お風呂場の理由は別に私がお風呂場の妖精だからとかじゃないし、彼が私の入浴を覗いているからというわけでもない。単純にそこが一番会話しやすい場所だからだ。夢の中も同じ理由。頭の中の奥底に行きやすいところは、よく彼と話が出来る。

 今日も私はベッドにもぐりこんだ状態で目を閉じながら暗闇を沈んでいた。深海のような空間を沈んでいく感覚に囚われながら、私は「いつもの場所」を探す。いつもの場所に行くには私は長い階段を降りなくてはいけない。暗い海の中に漂う白い階段。どこに続いているのか、果てが見えないようなそんな階段。それを探して下っていくうちに、気が付けば私は「あの場所」に着くのだ。いつもの場所。集会所みたいな心の中。
 今日も階段を恐る恐る私は降りていった。そのたびに体の意識が遠くなっていく。身体から私が抜け出ていく。はじめはその感覚がすごく怖かった。なんだか、そのまま死んでしまうような気がして。でも、あの人が、ネジくんがいるんだと思ったら怖くなくなった。もう慣れてしまったともいう。すうーっと全身の力が抜けていくのを遠くで感じながら、私は階段を下った。…。



 「おい、こんなところで寝てるんじゃない」

 はっと気が付いた時にはネジくんの声がしていた。起き上がると、脚立が立ち並ぶあの部屋に来ていた。暗い部屋。まっくらだけどものの形だけは鮮明に見える世界。果てが見えなくて、どこまでも脚立がなぜか並んでいる変な世界。そこに、黒髪長髪の肌が白い男が立っているのだ。私はこの人をネジくんと呼んでいる。今日もそのまま、ネジくん、と呼ぶと彼は「なんだ」と無表情で私を見下ろしてきた。相変わらずの仏頂面だ。
 
 「今日はどうしてまたここに来たんだ。普通に夢を見るだけでいいだろうに」
 「夢はいつでも見れるけどネジくんとだって話がしたくて」
 「風呂場でいつでもしてるだろう」
 「そうだけど、話の続きがあったから」
 「何でもない話だろうに」
 「でも、したかったんだよ」

 はあ、とネジくんがため息を吐く。
 ネジくんは私の中にいるもう一人の私だった。私は何でも、多重人格者らしい。もっと詳しく言うと、解離性同一性障害。ネジくんは私の身体を管理したり、私を保護してくれる人格らしい。人格。そう、つまり、ネジくんには身体がない。身体がないどころか、生きていることを世間から認められることもない。ネジくんは、私の中だけでしか生きられない人だった。
 それを知るまで私は、たまに私が怖くなるときが多かった。私は普通に散歩をしたり友だちと話をしていると思ったら、突然人が変わったように声が低くなって男らしくなる。知っているはずの友達の顔が分からなくなって、私らしくない行動をとったりする。たとえば本を読んだり、瞑想をしだしたり、飲めないはずのブラックコーヒーをぐびぐび飲み始めたり、とか。
 病気だということをお医者様から聞かされて、それからネジくんが私に話しかけてきてくれた。「オレはお前の味方だ」と、「怖いものじゃない」と教えてくれた彼は、あの日から私を守ってくれている。何かあれば変わって私のふりをしてやりすごしてくれたり、辛い時は慰めてくれる。もちろん厳しいことも言われるけれど、それでもそばにいてくれる。

 「ねえネジくん、ぎゅってして」
 「…またか」

 本当に触れあうことなんてない。わかっていながら私は心の中でそれを求めた。頭がおかしいなんてことは理解している。結局彼は私で、私は彼なのだ。自分で自分を愛している。究極の自己愛、そんなこと、知ってる。でも、やっぱりネジくんは私にとっては他人だ。だから求めてしまう。絶対的に私を反故してくれる人からの愛を欲しがってしまう。
 抱き寄せてもらいながら、「触れたい」と切実に思った。二人になりたい、とよく思う。二人になれたらいいのに。でも二人になったとして、ネジくんは今みたいに私を愛してくれただろうか。なんて妄想。

 「ずっと一緒にいてね。約束だよ」
 「お前は本当に心が弱いな」
 「弱いから、ネジくんがいるんでしょ」
 「…早く強くなれ。そして」
 「駄目、言わないで。一人になんてなりたくない」
 「…依存だ」
 
 分かってる。でもどうせ、あなただって離れられない。
 今夜も逢瀬は続く。夢の中だけの逢瀬が。
 私はあなた。あなたは私。
 虚無的な密月の日々は終わらない。



 Dissociative Identity Disorder



 寂しさのあまり自分の男人格に恋をしていた時期がありました。
 頭を撫でられているようで実際は撫でられていない。ありもしないといえるのか言えないのかもわからない世界。でもそんな日常で確かに生きてた。そういう時期がありました。今は依存をやめて距離を置いています。文章にしたらどうなるのか気になったのでネジで書いてみました。


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