ひとしきり泣いてしまって、落ち着いてから私が考えたことはまずネジに今の現状を納得させるための方法についてだった。どうしてネジかここに来たのかはわからない。けれど、ここはどこなのかを教えることはできる。…酷な話だけど、ネジという存在がこの世界ではどう認知されているのかも伝えないといけない。
(自分がこの世界では架空の人間だなんて、知ったらきっと悲しむかもしれないってわかっているんだけど…。でも、これを話さなきゃ私がさっき取り乱したことも説明できないし、説明できないことで変に疑われるかもしれない)
身勝手な話、疑われて信じてもらえないのは嫌だった。ずっと好きだった人にそんな風には思われたくない。傷つけてしまうのはわかってる。でも、多分話したほうがこの世界のことも、もとの世界に帰るまでのここでの生き方も受け入れてくれるかもしれないって思ったから。
だから聞かれたことも含めて事実は隠さずに話すことにした。ネジは私が思っていた通り聡明で、私が説明したことを戸惑いながらも受け入れてくれた。でもあまりにも達観しきっていた様子に見えたから、「本当に大丈夫か」と聞く。そうすると彼は伏し目がちになりながら(ちょっとその表情の加減がどことなくヒナタ様に似ていてやっぱり従兄妹だなぁと思ったりごにょごにょ)「そこで焦ったところで現状は変わらないだろう」と一言。やっぱり彼は私が思った通りの人物だ。でも、内心はかなり不安なんだろう。でもそれを解かっていても今の私に出来ることはせいぜいネジのために生活のサポートをすることくらいだろう。所詮私はネジを遠目から見ていただけの存在。どんなに私がネジのことを前から大切に思っていたとしてもそんなことはネジには関係ない。悲しみや困惑を取り除いであげられるような関係ではない。
「…あの、えっと、とりあえずまずお風呂貸しますから、使ってください。こっちです。起きられ、ますか?」
ああ、と小さく返事をしてネジが起き上がる。やっぱり見た目の通り外傷はないらしい。ただ結構疲労しているみたいで、立ち上がった瞬間彼がふらりとよろめく。慌てて手を伸ばして肩のほうを支えると、ずしりと体全体に鈍い衝撃がかかる。あれおかしいな、確か54キロだったよね?54キロってこんなに重かったっけ?がくりと折れそうな足を支えながら、やっぱりこれはお風呂はちょっと難しそうだと判断してベッドのほうにすわりなおさせることにする。ゆっくり、ゆっくりと腰をかがめさせて座らせるとネジは「すまない」と小さく頭を下げた。他の人にならいいんだけどなんだかネジに謝られるのはいたたまれない気持ちになる。ただでさえ心細いだろうに、皿に気を使わせるなんてことはしたくない。だから私は「大丈夫」と精いっぱいの笑みを見せた。少しでも気を許してもらいたかった。
「何か食べられそうですか?10分くらい待っていただけたら何か用意できるんですが…」
「…いいのか?」
「もちろん!ちょっと待っててください、すぐ支度しますね」
冷蔵庫のほうにかけよって、ええと、と中をのぞく。本当に私は運がいい。ちょうど冷蔵庫の中に明日食べる予定だったほっけが一枚入っていた。これはちょうどいいと思ってほっけを取りだす。大根おろしは残念ながら私は辛いのが苦手だからということで用意していないけれど、ほっけだったら和食だしきっと彼も食べられるだろう。炊飯器の保温のスイッチを入れて、グリルのなかにホッケを入れて火をつける。片面が焼けた頃にお味噌汁のほうも温めなおして、そうやっているうちにご飯の保温が終わって、食器なんかを準備している間にホッケも焼け終わる。その合間に慌てすぎてお皿をがちゃんとシンクに落としてしまったり、用意しようとしたお箸を床に落としてしまったりしてしまったけれどなんとかご飯は用意できた。
「すみません、ちょっとこんなのしか用意できなかったんですけど…」
こたつテーブルに並べながら苦笑い。ゆっくりとこたつのほうにネジがやってきて、私は座椅子のほうを勧めた。静かに腰を下ろしたネジが、ちらっと私のほうを見る。「本当にいいのか?」と言っているような気がしたので、「どうぞ」とまたさらに勧めるとネジは静かに手を合わせて神妙に礼をした。…そこまでしてしてもらえると逆に不味かったらどうしようか不安になってくるけれど、たまに友達が遊びに来た時に作ったりもしてるしまあ…そこまでまずくはないだろう。たぶん。
とりあえずネジがもそもそと食べている間にちょっと見の周りを整頓しようと腕をまくりなおす。ベッドのほうはネジがベッドの前でご飯を食べて居るからダメだ。後回しにしよう。ということでお風呂場へ。がらりと開けると当たり前だけど並んでいるのは女物のお風呂用品だ。男物とかそういうものはない。でも探せばちゃんと使っていないタオルが見つかる。黄色とか明るい色だけどそれでも私が使い倒したものを渡すよりましだろう。一先ずはこっちを使ってもらおうと思う。
軽く掃除をしたら次は着替えの服だ。私の身長は一般女子の平均位だと思う。当然172pの彼が着れるサイズの服は手持ちにはない。じゃあどうしようかと箪笥のほうをごそごそとあさる。ネジの後ろに箪笥が置かれているので、ネジはちらっとこっちを見て困ったような顔をした。…うん、可愛い。っ…じゃなくて、こっちだって着替えてもらわないと困るからこれでいいのだ。
ああ、逆トリップって本当に大変だ。現実的に考えると困ることが多い。なんか夢小説の逆とリップとかって大体、男の滅多に帰ってこない同居人がいてその人から服を借りるだとか、両親が二人とも死んでいて父親の形見の服を用意するだとかそういう設定が用意されていたりするはず。でも実際の私にはそんな設定はない。もちろんネジが来てくれたことはすごくうれしいよ!嬉しいんだけどこんな頼りない私じゃネジも不安になるんじゃないかなって!ごめんねもっとしっかりした設定が欲しかったね!
結局、美術の作品制作で汚したジャージだとか、なぜか持ってる坂本龍馬の写真がプリントされたTシャツとかそんな碌なものしか見つからなかったので、あらかた食べ終わったらしいネジに「あの」と声をかける。とりあえず買い物に行こう、という発想だ。徒歩圏内にプチプラの洋服屋さんがある。たぶんまだ、走れば買いに行けるはずだ。2年間入学直後からバイトをしている私ならいくら普段インドアでもそれなりの基礎体力が出来ているはず。走れる。
決意して「ちょっと買い物行ってきます」と声をかける。隣にある本棚のほうを指さして、「お暇でしたらそこの本とか好きに見てください」と言い、そして目の前にあるテレビのリモコンを手渡して、「ここのボタンを押すとそこのモニターに映像が流れます」とかそんなことを報告。それから最後に、「すぐ帰ってきますから待っててくださいね」と、暗にいなくならないでと伝えると、ネジは早口で言われて戸惑ったのか、少し悩んだようなそぶりを見せてから無言でうなずいた。大丈夫、ネジは律義な人だから間違っても私に黙ってこの家を出ていくとかそういう展開は起こさないだろう。今まで読んできたネジ逆トリップ小説のネジもだいたいそうしていたからたぶん大丈夫。先人のネジは偉大。
「行ってきます」と声をかけてから外に出た瞬間猛ダッシュで駆け出す。息が切れて歩きだすのは10秒後。早く戻らなきゃと笑う膝を抑えながらもう一度走り出すのはそれからさらに二分後のこと。
To Be Continued.
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