Paraphilia


 どうしてこうなった。
 
 その一言が頭の中に浮かんだ。「回ることに何の意味があるんだー!」と回転するベッドの上で大の字になって寝そべっている女を横目にため息を吐いた。部屋の窓から見える景色は暴風雨で滅茶苦茶でロマンスの欠片もない。
 こんなところに来てしまったきっかけは天気予報をお互い見ていなかったことが原因だった。朝に起きたときも、待ち合わせ時間の9時に駅で落ち合ったときも、空は青に染まっていた。そのせいでいつもは混んでいると聞く定食屋も電車の中も心なしか空いているということを「運がいい」程度で済ましてしまっていたのだ。
 誰がこの空を見て疑うだろう。このあと暴風雨で電車が止まり朝まで動かなくなるなど。
 当然傘など持ち合わせていなかった。どこでもいいから逃げる場所、と慌てふためくがカラオケ、ネットカフェはすべて満室。雨でぐしゃぐしゃになりながら菜々が指さしたホテルに適当に駆け込んだはいいが、そこはただのホテルではなかった。
 菜々は「来たことなかったんだけどすごいね!」とテレビをつけてわざとアダルト動画が流れているところを眺め「まじでこういうのあるんだ!」とけたけたと笑ったりベッドを回転させたりと見たことのないものにはしゃいでいるが、オレは正直それどころではない。

 彼女自身がどう思っているかは知らない。しかし少なくとも、オレは彼女が好きだからという理由でこうした休日の外出に乗っていた。
 だから、こういうところにいるというのはその気がなくてもその気になってしまいそうで恐ろしい。
 そう危惧しているのだが、この女は

 「あ、見て見てネジ!すごいよこれ!ゼリー入浴剤だって!入れたらゼリーみたいになるってすごくない!?これ入ってきていい?さっきシャワー浴びてきてあれだけど」
 「…好きにしろ」
 「ありがとー!」

 無邪気に笑ってぱたぱたと風呂場に向かっていく。さっきシャワーを交代で浴びた時もだが、遠くから響く水の音、衣擦れの音が気になって仕方ない。干してある着ていた服に気を紛らわすためにドライヤーを当てる。騒音が遠くの音を掻き消してくれる。しかし、乾けばそれまでだった。遠くの方で下らない独り言(明日の晩ごはん何にしようだとかスイーツバイキングに行きたいだとかなんとか)が聞こえる。どうやらまだ堪能しているらしい。戯れに近くにあったタブレットでも見てみようかと思ったが、あまり興味を持てる内容のものはない。
 瞑想でもして心を無にしていたほうが有益だと結論し、椅子から立ち上がる。ごん、という鈍い音が風呂場の方から響いたのはちょうどその時だ。思わず菜々、と大きく声をあげた。何も考えずに風呂場のほうに直行する。「大丈夫か」と声をかけてドアを開けた時、見えたのは頭を抱え込みながら液体に塗れてしゃがみこんでいる菜々の姿だった。艶めかしい肌色にこんな状況にもかかわらず心拍が上がる。しかし先決すべきは今の状況をどうにかすることだった。

 「逆上せたのか…」
 「…立てない、助けて」
 
 ちらりと視界に脱衣所に立てかけてあるナイロン製の人二人程度なら簡単に横たわれそうなマットが目に入り、それをとりあえずはと近くに敷く。そのままぐらぐらとしゃがんでいるにもかかわらず崩れ落ちそうに見える菜々の手を引き、そのマットに横たわらせる。…仰向けになられたせいでいろいろと見えてはいけないものが見えてしまっている。目を逸らしながら、「そのまま休んでいろ」と吐く。
 それはただほんの一つの些細な動作だった。袖を掴んで、熱で逆上せた潤んだ瞳でじっと見つめられる。潤った赤い唇が小さく動いた。それは当の本人には大したことのない普段と変わらない動作の一つだったのだろう。出された要求は「水を飲みたい」ただそれだけのことだった。

 「――菜々」
 「…えっ?」

 なぜ価値観というものはこうもぴったりと一致しないものなのかと内心疑問に思う。何年菜々とは一緒にいただろうか。一年二年で済んでいたらまだこの価値観や考えていることにずれがあることにも納得がいくが、中学からの仲であることを考えるといいかげん少しは一致していいのではないかと思う。価値観はもちろん、考えていることとか、互いに向ける感情とか諸々。
 組み敷いてしまった菜々の鎖骨に吸い付いてしまったことは半ば衝動によるものだった。や、とか、だめとかと下でつぶやくような小さい声で抵抗する菜々の唇を唇で塞ぐ。合間に、「もう遅い」と吐いて。空いている右腕を胸元に滑らせると、ちょうどいいところをずるりと滑らかに掠めたようで、小さな声しか出せなかったはずの菜々が「ひゃっ」と高い声を上げた。聞いたことのない甘い声が下腹部にさらに熱をもたらす。頬、首筋、鎖骨、胸、肩、指先と、視界に映るすべてに唇を落とす。自分にしては執念深い行動。はっきりと、確かにこの状況とそこにいる彼女に欲情してしまっていた。
 首筋に口づけながらほのかな甘い果実の香りを嗅ぐ。きっともっと鳴くのだろう、その期待に胸を高鳴らせながら臍からゆっくりと太腿のほうに左手を這わせる。「待って」と菜々が耳を甘く噛んだのはその時だった。甘い吐息交じりの声が、ぞくりと背筋を泡立たせる。目を合わせた先にいる菜々の頬は、心なしか先ほどよりも紅潮しているように見えた。あの、えっとと菜々にしてはやけにしどろもどろとしていて言葉の先が読めない。目を合わせては逸らしを繰り返される。なんとなく、何を言おうとしているのかが読めて、それなら先にと口を開いた。好きだ、と。
 菜々が目を見開いて、それからオレの首に両腕を回す。「それは先に言うべきことでしょ」と。左耳を甘く噛みながら彼女が囁いた言葉はやはりオレが予想していたとおりの言葉だった。

 なんとこういう状況のことを喩えたらよいのだろうか。据え膳を食った結果棚から牡丹餅が落ちてきたような。やはり今日は「運がいい」日だったのかもしれない。
 


 雨がもたらした幸運




 一生に一度でいいからラブホテルに行ってみたいお年頃。

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