会長のはなし
 ひどくつめたい温度で横たわる絶望が、まれにやわらかく笑むことがある。世界はそれを知らぬまま、目のない魚ばかりを追い回し、やがて背骨から融解していく俺に閉幕を引き渡すのだろう。退廃する欲望、喪われた煽情。唇の憧憬は永久凍土にねむる。


「はじまりだ」

 広大な敷地面積を誇るこの牢獄で、森に隠れるようにひっそりと咲いている桜がある。
 初めて出会ったのは初等部に上がったばかりの頃、偶然迷いこんだのが切っ掛けだった。中等部に入ってからは、暇を見つけてはここに来るようになった。

「俺は迷わない」

 誰も知らない午前2時、そっと小さなはなびらを食んだ。銀河に泳ぐ魚の群れのように、夜に照らされた桜が舞っている。世界の何よりもうつくしく凛として君臨し続けるそれは、俺にとっては何よりも真実に近いものであった。
 この下で溺れるように死ねたら、と、夜の小さなはなびらを食む。

「俺は間違えない」

 逞しい幹は、触れると僅かに温かい。ざらりとした触感が指先に伝わり、それだけでまるで赦されたかのような心持になる。上向けば天体の真ん中にいるようなパノラマが広がっていた。この透明な瞬きが俺に呼吸を与えてくれる。

「俺は揺らがない」

 俺は昔から、何にだって興味を持てなかった。
 幸い俺は愚鈍でないので、絶対的な自信と、正しい判断力と、類い稀なる才能とやらで、何でも人並み以上にこなしてきた。いや、人が真似できないほど簡単に圧倒的に、下位を突き放してしまう程だった。
 俺はそれを良く理解していたし、そういう俺に価値があるのだとも知っていて、求められる自分像に自らを融解させて型付けするのも自然と身に付けたことだった。終わりのない迷路の中でさえ、迷ったことは一度もない。選択は須く正当性を持ち、また悔恨にはなりえないと知っていた。

「俺は絶対だ」

 けれど何にだって興味を持てなかった。趣味と呼べるものも、友人と呼べるものもリストアップしようとした途端に懐疑心が顔を出す。同じように「天才」「特別」扱いされてきた幼稚舎からの腐れ縁は何人かいるものの、奴らは一定の距離を図っているようだったし、皆どこか別の世界に住んでいるような目をしていた。多分俺もだ。

「………ねえ」

 干渉を嫌って白く線引きをしてきた幼なじみが曖昧な笑みを浮かべている。同室の彼は、夜中に花まみれになって帰ってくる俺に気付いて、後を付けてきたようだった。
 俺はこれまで、面白いと思えることを何一つ見つけられずにいた。自分の人生は、差し出された課題を常に完璧にクリアする機械染みたものなのだろうという予感だけは強くあった。
 俺は何だって出来る。
 俺は人とは違うのだ。
 それは自信であり、事実。
 だって俺には「未知」も「難解」もないのだ、すべてを一瞬で理解してしまうのだ、それらにどうやって興味を持てと?

「でも、花を食べるなんて、異常ですよ」

 それが異常だというなら、きっとこの世界すべてが異常だし、俺の実在そのものもまた異常に違いなかった。俺は無視して、一歩、また一歩と桜の木に近付く。
 それはゆるやかに続く細波を押し分けて沈む行為に似ていた。そうして生命が埋もれていくことと、生き永らえていくこととは、同義ではないのか。

「俺をおかしいと思うか?」

 散っていくはなびらを集めて、集めて、薄いピンク色にただ沈む。
 そういえばこの男は親衛隊のメンバーを食い散らかしているのだと聞いたことがある。俺はどうもそういう気になれない。相手が男だからでも、嫌悪があるわけでもない。ただ人間に興味が持てないのだ。
 桜の下にいる時だけ、胸がじんと痺れ、言い様のない感覚に身体が震えることもある。花が咲いている蜜のような期間は、そのはなびらを舐めながら精を吐き出すこともままあった。コイツは知らないだろうけど。

「そりゃまあ……でも、僕に害がなければ別に」

 困ったように息を吐いた幼馴染みは、チカリと光った携帯に目をやる。そして緊迫した声を上げた。

「ねえ!この桜の木、切られるかもって…」



 それはとても、うつくしかった。
 ここでは誰も知らない蜜の檻が、淑やかに艶やかに夜半にしだれて、まるで世界をゆっくりと崩壊させていくように、まるで女の人の身体を抱くように、柔らかな背徳と孤独を以て降りかかっていた。そこに感嘆など要らなかったし、まして形容など無粋極まりないと思っていた。
 ただ満たされた空っぽだけがそこにある。それがうつくしいのだ。息をするのも惜しいほど。


「今の生徒会が、ここら一帯を潰して新しいジムを建てるって…」

 舌先で踊る桃色が俺の内側を締め上げてゆく。帯のように鎖のように、内臓を圧迫する追憶は、水面下で浸透する恋慕に似ている。
 これが愛しさだというなら、それはきっとかなしさとも読むのだろうけれど、俺は迷ったりしない。望む未来を手に入れるために、振り返ったりしない。
 俺はひとつ鼻を鳴らして、すくと立ち上がった。

「ならば、生徒会をリコールする」
「え、でも、僕たちまだ一年生…」
「関係あるか」

 そうだ、関係ない。
 俺は迷わず、間違えず、揺らいだりしない。
 俺は絶対で、俺に出来ないことなどない。
 それは自信であり、事実だ。
 そういう風に、俺は生まれている。多くのものを引き替えにして。
 何者にも、俺の邪魔はさせない。
 桜が散ってしまうその前に。世界が温度を失う、その前に。


「新しい生徒会長は、この俺だ」

 俺のこの手で、はじまりを鳴らす。



(企画提出)


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