「大変失礼な話を致しますが、昨日あなたは無くしものをされましたね?」

いきなり声をかけてきた駅員を前に、わたしはなんと返事を返していいものか、そう思った。
わたしは電車に乗るためにここに来たのだ。この駅員と話すためではない。
「とりあえず、身に覚えはございませんので。それでは失礼します」
わたしは駅員の顔も見ず早口で答えると、目の前の電車に飛び込んだ。わたしを待っていたかのように、電車の扉は閉まった。

気づけばわたしは、うとうとしていた。夢を見ていたような気がする。丁寧な物腰のくせに、妙に不愉快な駅員の夢。
その夢を思いだそうとしていると、ようやく目が覚めてきた。
がたごと、がたごと。
わたしは電車に乗っている。

さきほどの夢は、わたしの中でぐるぐると回転していた。
ここに夢の中で出てきた駅員がいたらいい、なんて考えはじめる。夢を思い返すうちに、わたしは気づきはじめてしまったのだ。わたしは確かに無くしものをしている、と。しかも確かにそれは、とても大切なものだったように思う。


がたごと、がたごと。
電車の中にはわたし以外、誰もいなかった。乗客も、駅員も、運転手も。
徐々に電車の走るスピードが弱まってくる。

わたしは目を瞑って、そして開けた。
電車が止まった。
必死で握っていた切符が、いつのまにか丸くなっている。今更遅いかもしれないけれど、降りたくない、すこしだけそう思う。

わたしが電車を降りると、ひんやりとした空気が肌に刺さった。雪だ。
真っ白くて、冷たく痛い、でもどこか優しい雪。
何故かあの駅員を思い出した。
優しくてうっとおしい彼に似ているような気がする。そう思うと、わたしの視界はぼやけてしまった。水のような、甘くてしょっぱいものが、頬を伝いはじめる。
「ねぇ駅員さん。わたしはあなたに嘘をつきました」
かすれたみっともない声だった。視界もやっぱりぼやけたまま。
わたしは誰も聞いていないと知っていて、わかっていて、それでもみっともない声を絞り出していた。それは涙と一緒に、流れてゆく。

わたしは。
そう、わたしは。




「命を亡くしました」




がたごと、がたごと。
電車は無人で走り出す。
電車の音が遠くなっていった。
やがてわたしは、優しいだけの雪に埋もれて、静かに消える。

儚く散った朝がまた来る
20110210/海月
『冬の断章』様へ提出


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