子どもは風の子とはよく言ったものだと、グラウンドを元気に駆け回るサッカー部の面々を見て、わたしは冷たい指先に息を吐きかけてこすり合わせながらぼんやりと思った。気休め程度にしか温まらない指先はすでに寒さにかじかみ始めている。冬の部活は、苦行だ。マネージャーが。わたしは自販機で購入したすでにぬるくなっているペットボトル入りのお茶を両手で転がしながらため息をひとつついた。

 冷たい北風が吹きつけるこの季節でも、当たり前だが運動部は放課後になれば部活動を始める。我々サッカー部も例外なく、今日もグラウンドには円堂の元気な声が響いている。初めはみんなも寒そうに不満を漏らしながら部室からのろのろと出てくるけれど、動き回れば体が次第に温まっていき汗を光らせていく。
 しかしわたしたちマネージャーはそうもいかない。氷水のような冷水で部員のタオルやユニフォームを洗い、かじかむ手でストップウォッチやバインダーを片手に記録を行い、部活が終わるのをじっと耐えている。春奈ちゃんや秋ちゃんと「寒いねえ」「寒いですねえ」「寒いわね……」と1分に一度の間隔でぼやいている気がするけれど、状況は悲しいほどに変わらない。

「みなさんいいですよねえ、わたしたちもサッカーやりに行きます?」

 春奈ちゃんが冗談めかして言うけれど、その表情は寒さにこらえるのに必死で真顔に近い。いつも元気な春奈ちゃんも寒さには弱いみたいだ。今すぐにでも部室のストーブの前に居座ってのんびりしたい。

「そういえば、名前ちゃん上着は?」
「あー…昨日持って帰っちゃったんだよねえ……」
「そりゃ寒いですよ!」

 普段はジャージに着替えるのだが、冬の間の部活は寒さをしのぐために、制服は脱がずに制服の上とスカートの下にジャージを着用するという女子的には画期的、男子曰く非常に残念な格好をしているのだけれど、昨日体育の授業の後持ち帰ったままジャージの上着を持ってくるのを忘れてしまったのだ。よって今のわたしの頼みの綱は制服のカーディガンのみということになる。

「なんかその辺に脱ぎ捨ててある誰かの上着借りたらどうですか?」
「そうしよう!そうする!」

 春奈ちゃんが何人かが動いているうちに暑くなってベンチに脱ぎ捨てていった上着の山を指さした。正直ぱっと見ただけではどれが誰のものかは判別できないけれど、ひときわ大きくて目立つ上着をつかんだ。これは誰のものかすぐわかる。壁山くんだ。
 布面積の大きいほうがより温かいだろうと思い、「壁山くーん!!寒いから上着借りてもいいかなあー!?」とグラウンドにいる壁山くんに呼びかけると、いいッスよー!とその大きな手をぶんぶんと振ってくれた。かわいいなあと思いながらありがたく上着を羽織ろうとした瞬間、突如頭にゴンッと衝撃が走った。「!?」

 何が起きたのかわからなくてジンジンと痛む後頭部に手をやりながら呆然としていると、後ろからあっはは、と爽やかな笑い声が聞こえた。振り向くとドリンクの入ったボトルを手に持った一之瀬が楽しそうに笑っていた。わたしもそこまで馬鹿じゃないので、今しがた後頭部を直撃したのは一之瀬の手にあるボトルで、しかも彼が意図的にそれをわたしの頭にぶつけたのだということをきちんと理解した。

「えっ、何でわたしは今理不尽な暴力を受けたの?」
「そこに頭があったから」
「山みたいに言うな」

 腹立つ。いつの間にか給水をしにベンチに戻っていた一之瀬はタオルで汗を拭いながら秋ちゃんと春奈ちゃんに二人ともお疲れ、と声をかけていた。当たり前のようにわたしに労いの言葉はないらしい。差別だ。
 名字、なんでそんな寒そうな格好してるの?一之瀬はドリンクを一口含んでから言った。どうせ馬鹿にされるんだろうなあと諦めながらジャージの上着を忘れた旨を伝えると、ふーん、とわたしがつかんでいる壁山くんの上着に視線を移した。あれ?何も言ってこないぞ。

 構えていたけれど一之瀬は特に何も言ってこないのでほっと胸をなで下ろしていると、ベンチにボトルを戻した一之瀬がおもむろに着ていた上着を脱ぎだした。特に何も思わずにその様子を眺めていると、一之瀬はその上着をわたしに押し付けた。「ん」……ん?

「ん?」
「着てれば」
「え、でも」
「俺が貸してあげるって言ってんの」

 一之瀬は先程と変わらない笑みを浮かべていて、何か裏があるに違いないと頭の隅で警戒したくせに、有無を言わせないような一之瀬の雰囲気にビビって「あ、うん」と頷いてしまったので、心の中で頭を抱えた。
 何事もなかったかのようにグラウンドに戻って行く一之瀬の背中を見ながら、所在のなくなった壁山くんの大きな上着に思いを馳せた。大きな手をぶんぶんと振っていた壁山くんを思い出し少し申し訳ない気持ちになったので、彼の上着を丁寧にたたんで元の上着の山の一番上に戻した。その様子を春奈ちゃんがにやにや、秋ちゃんがにこにこしながら見てくるのでやりづらいことこの上ない。二人とも何?と尋ねてもろくな答えは返ってこなかった。

 寒かったから遠慮なく一之瀬の上着を羽織った。ほんの微かに甘い香りがする。お菓子でもポケットに突っ込んでるのかなあと思うかたわら、汚したりしたらまた後頭部にボトルが飛んできそうなので、何もしないでじっとしていようとベンチウォームに撤することにした。





「これ洗って返すよ」
「え?別に一瞬羽織っただけなんだからいいよ。ていうかまだ着てれば?」
「え?でももう部活終わったし」
「片づけあるだろ」

 部活が終わって、それでもまだ足りないサッカー馬鹿を豪炎寺が制止するのを横目に一之瀬に話しかければこんな返事が返ってきた。普段、部活後はわたしと秋ちゃんと春奈ちゃんで部室に残り、片づけや掃除や次の日に使うものなどの準備を終えてから部室を閉めて帰る。みんなは先に帰って、鉄塔広場に行って自主練するなり雷雷軒に行ってラーメンを食すなりしているのだ。だから、このジャージは明日返せばいいのか、それとも一之瀬のロッカーに突っ込んでおけばいいのか?借りた手前後者はないなと思ったけれど、どちらにしろ今返さないのなら家に持ち帰って洗ってから返すのに。
 わたしの考えていることを読み取ったかのか、一之瀬は待つからいいよ、と言った。待つ?何を?

「片づけ。持って帰って忘れられても困るし」

 本日自分の上着を忘れている手前、それは絶対にないと言ってもまるで説得力がない。でもまさか一之瀬から待つという言葉が出るとは思わなかった。勝手に押しつけてきたのは一之瀬なんだけれど、それはそれで申し訳ない気がしてくる。
 言葉に詰まっていると、じゃあ後でだなんて言って、一之瀬は土門と共に部室へ着替えに行ってしまった。


 片づけはいつもの倍早く終わった。「そういうことなら早く終わらせないとですね!」とやけに張り切った春奈ちゃんたちのおかげだ。しかも準備はわたしたちがやっておくから名前ちゃん先に帰っていいよ、という秋ちゃんの言葉と、春奈ちゃんに半ば追い出されるようにしてわたしは部室を後にすることになった。謝罪と感謝を述べる隙もなかった。どうしてあの二人はあんなにも楽しそうなのか?考えていると、「お疲れ」というテノールが低い位置から聞こえてきた。
 部室の扉の隣に、スポーツバッグを地面に置いて座っている一之瀬がいた。本当に待ってた。ちょっと驚いている。

「ごめん、待たせて」
「んー?別に」

 ていうかむしろ早かった、と笑って立ち上がった。部活で火照った体は外の冷たい空気に晒されて、すっかり冷えているんだろうな。

「これありがとう」

 きれいに畳んだ上着を差し出すと、一之瀬は小さく頷いてスポーツバッグに押し込んだ。じゃあ帰ろうか。他人事のようにその言葉を聞いていたけれど、それはわたしに向かって紡がれた台詞だった。なんとなく一緒に帰るんだろうなということはわかっていたけれど、実感はしていなかった。辺りはもう暗くなり始めている。





 どうやら家の方向は大体一緒のようで、他愛のない話(カレーに必ずじゃがいもを入れるか否か、授業中に珍しく風丸が居眠りをしていた、などの本当にくだらない話)をしながら、二人並んで歩いていた。空はオレンジと紺色が混じりあったような色合いで、小さく星が瞬き始めている。

「カレーに入れないってことは、シチューにも入れないの?」
「じゃがいもの話掘り返すの?」

 じゃがいもをカレーに入れるとどろどろになるからあまり好きじゃないと言ったのは一之瀬だ。わたしはカレーにはもちろんシチューにもじゃがいもは絶対入れたい派だから、一之瀬の言うことは理解できない。あのホクホクのじゃがいもがおいしいのに。
 シチューには入れるよ、と一之瀬は言った。じゃあなんでカレーには入れないのか、永遠に終わりそうもない議論が始まりそうだったので聞かなかった。だけどカレーには入れてシチューには入れない違いは一体なんなのかは気になるところ。おなかすいてきた。

「名字が今何考えてるか教えてあげようか?」
「え?何?」
「おなかすいてきた」
「…………いや、これだけカレーやじゃがいもの話を展開したら、誰だってそうなるでしょ」

 一之瀬と一緒に帰るのはこれが初めてだけれど、居心地はよかった。そういえば学校を出たときから車道側を歩いていない自分に気づいて、なんだか胸の奥が痛くなったような気がした。人の頭はどつくくせに。そうだ、一之瀬は本当は優しい。 ジャージのズボンを脱いだ足が、冷たい風にすくわれて震えそうになった。

「もう壁山に上着借りるなよ」
「えっ?なんで」

 唐突に一之瀬が話を切り出した。じゃがいもの話は終わりらしい。

「土門でも円堂でも半田でも。豪炎寺はもっとだめ」

 豪炎寺はもっとだめらしい。理由を考えていると、一之瀬は歩みを止めて振り返った。そういえば辺りはもう住宅街だ。

「俺が貸すから」
「それはありがたいけど……でもその度に一之瀬、わたしのこと待つはめになるよ」

 ていうかそんな忘れないよ。そう言えば一之瀬は「待つよ」とはっきり言った。

「なんのために俺がわざわざ待ったと思ってんの?」
「……ジャージ?」
「いや、あながち間違いじゃないけど」

 ゆるく手首がつかまれた。思ったより辺りが静かで、脳に直接一之瀬の声が響くような感覚。暑いのか寒いのか、体感温度が狂ってよくわからなくなってしまった。手首だけが熱い気がする。多分、気のせい。

「一緒に帰る口実になるからって、わからない?」

 一之瀬はきっと、わたしがまた上着を忘れてもきっと今日みたいに貸してくれるだろう。頭はどつかれるかもしれないけれど、多分仕方ないなと呆れながら。みんなが脱ぎ捨てた上着の中から探し出さなくてもいいように、それまではずっと自分が着ていた上着を脱いで、そのまま私に渡してくれるんだ。
 だってわたしは、一之瀬が本当は優しいことを知っている。



「そしたら、毎日ジャージ忘れたほうが、いいのかな」

 馬鹿みたいなわたしの発言に、一之瀬は声を上げて笑った。そうしてくれると助かるな。何がどう助かるのか。わたしもそこまで馬鹿じゃない。
 手首をつかんでいた手が滑るように指先に移動して絡んだ。満足そうに笑う一之瀬の大きな瞳にひとつ光る星が映ったのを、わたしは見た。


20140420
ゆたさんに捧げます。遅くなってしまい申し訳ありませんでした。ご参加ありがとうございました!
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