勢いだけで言ったものだからその後どうしていいのかまったくわからずぎくしゃくしている俺を、名字の母親はにこにこと微笑みながらリビングに通した。お日さま園にはほとんど子どもしかいないし、その中のわずかな大人である父さんや瞳子さん以外の大人とあまり関わることがないので、きちんとした礼儀ができるかどうか、変に緊張していた。「ゆっくり座ってて、お茶入れてくるね」と言い残してキッチンへと向かった名字の母親の背中にお礼を言いつつ見送ったあと、さっきまで後ろをついてきていたくせに部屋に入らずドアの近くで躊躇している名字に小声で話しかけた。

「おい、何してんだよ」
「いやー……まさか南雲くんがあんな返事するとは思わないじゃないですか…心の準備が全くできてない」
「心の準備も何も、ここお前んちだろ。そんなもん俺のほうができてねーよ」

 名字はドアの後ろに隠れてしまった。どうやら柄にもなく緊張しているらしい。俺はどうしてこうなったのかと心の中で溜め息をつく。本当にどうしてこうなった。でもなんだからしくない名字の姿を見たら、こうしないといけないような気がしたのだ。気持ちとは裏腹に体は正直だった。
 落ち着かないまま俺は名字家のソファに腰掛けた。きれいな家だ。棚に飾ってある写真立てには小さいころの名字や、楽しそうに笑う名字の母親と恐らく父親だろう人物の写真がたくさん飾られていた。温かい一般家庭の図。
 俺は、というかお日さま園の子どもたちは親がいないから、他人の家庭内に入ることにちょっとした違和感を覚える。昔はなんで自分には両親がいないんだろうと周りに立てついたこともあったけれど、今はそんなことは思わないし、お日さま園での暮らしに満足している。成長するにつれて、自分に親がいないのは仕方のないことだったのだと思うようになった。どうにもならない事実。

「お待たせ。紅茶でよかった?」
「あ、……どうも」

 テーブルにグラスに入ったアイスティーとミルクとガムシロップ、そして皿に入ったお菓子が置かれた。氷がカランと涼しげな音を立てる。名字の母親はお盆をテーブルの脇に置いて俺の向かい側に座る。こうして向き合うとなんだか改めて緊張するし、一体何を話したらいいものなのかますますわからない。とりあえず俺はアイスティーにミルクを入れることにした。
 チラリと名字の母親を見る。名字の葬式の日に見た名字の母親はひどく泣いていて、今にも壊れそうだと思った。けれど今は平常どおりに振る舞っているように見える。ニコニコと浮かべた人懐こそうな笑顔は名字のものとよく似ていた。

「こんなものしかなくてごめんなさいね」
「あ、いやその、お構いなく」
「名前から南雲くんの話よく聞いてたの。だから会ってみたかったのよ」
「え、」

 そんなの初耳だった。何話してんだ。何か変なことを言われてやしないかと少し身構えたが、名字の母親はそんな俺を見てくすりと笑った。

「優しくってお人よしなんだって言ってたよ。名前がお世話になりました」
「い、いえ」
「聞いてたとおりねえ」

 何をどう見て「聞いてたとおり」だと思ったのかはわからないけれど、俺は本当にそんなことはないんだとかぶりを振った。だって、名字が死んだのは仕方なかったことだと思っていたんだから。薄情者。少し複雑な気持ちになりながらアイスティーを一口飲んだ。
 リビングの奥に和室があるのに気づいて、少しだけ開いた襖の隙間から仏壇が見えた。思わず手を止める。あの笑顔の名字の遺影が静かに佇んでいた。そんな俺に気づいたのか、名字の母親が口を開く。

「本当に突然いなくなるんだから、参っちゃった。家も急に静かになるし」

 そう言って悲しそうに微笑んだ。言葉が見つからない俺は握ったままのグラスに目を落とす。親が子どもを失くすって、一体どんな気持ちなんだろう。子どもが親を失くすのと、どっちが辛いんだろうな。いや、比べることじゃないか。「でもね、」名字の母親の言葉に顔を上げる。

「でも、いつまでも悲しんでたらいけないなあって思ってるのよ。あの子は楽しいことが好きだったし、悲しくて暗い雰囲気は似合わないって。それに、名前が私たちの子で本当によかったって思ってるの。あの子と一緒に過ごせて本当に幸せだったし、いつまでも名前は私たちの子だっていうのは変わらないから。あの子と過ごした時間は絶対に忘れない」

 忘れない。その響きは俺の心の中にストンと落ちるように入ってきた。 
 名字の死は、いつかきっと仕方のなかったことだと忘れられていくだろう。かわいそうだった、まだ若いのに、そうやって言われるのも最初だけで。人は自分の道だけ見て進んでいくから。時間は流れるものだから。そう思っていた。
 けれどそれって、あんまりじゃないかと思う。難しいことはわからないけれど、忘れられることって、多分相当、悲しい。

「あっ、ごめんね!べらべらしゃべっちゃって」

 名字の母親は恥ずかしそうに笑った。名字が今でも生きていて、成長して大人になったら、こんなふうになるんだろうかと漠然と思い描いた。今よりは少し落ち着いて、それなりに大人に見えるようになるんだろうか。いや、あれは少し落ち着いてくれないと困る。

 これは同情かもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺と名字はただのクラスメイトという関係だけ。協力するだけ、放っておけないだけ。でもそれでもいいと思えるのは、きっと名字がそんな難しくてくだらないことを気にするような奴じゃないと思ったから。理屈じゃない。名字は、南雲くん難しくて何言ってるかわかんないよ。そう言って笑うんだと思う。

「……名字のそれも、母親譲りなんですね」

 よくしゃべるところ。

 そう言えば名字の母親は泣きそうな笑いを浮かべた。グラスの氷は、いつの間にか小さくなっていた。





 いつの間にか名字は家の外にいた。外はもう暗くなりかけている。俺が声をかける前に名字は「お、南雲くん!どうでしたか名字家は」といつもの調子で話しかけてきた。本当にこいつは黙ることを知らない。

「おー、お前の部屋汚かったな」
「み、見たの?女の子の部屋に勝手に入ったの!?うわー南雲くんサイテー!ヘンタイ!」
「冗談だっつの」

 デコピンをお見舞いしてやる。「暴力で解決しようとする……ジャイアン……」とブツブツつぶやいていたのでもう一度くらわせようとしたら大人しくなった。名字を黙らせる方法を会得した。
 俺と名字の母親との会話を、おそらく名字は聞いていた。本当のところはわからないし聞かなかった。お前はあんな母親がいて本当に幸せだよ。380円の幸せなんか、それに比べたらゴミみたいなものだ。素直に羨ましいと思う。

「…俺も忘れねーよ」
「え?何を?」
「こっちの話」

 ていうか、幽霊になってまで俺の前に現れるんだから、忘れたくても忘れられないって話だ。


 誰か一人でも忘れないでいてくれたら、それはきっと救いになるんじゃないかと、俺は思う。


20140425
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -