試験終了のチャイムが鳴ると、教室中からペンを置く音に混じって安堵、疲労、絶望、満足等様々な思いが含まれた溜め息が聞こえてくる。しばらくの試験続きに俺も少しげんなりしていたから、軽く肩を回しながらため息をついた。試験期間中は部活もなかったから、早く思い切り体を動かしたい気分だ。
 後ろから背中を軽く叩かれて振り向けば、同じく疲れたような顔をした茂人がやっと終わったね、と伸びをしていた。それに頷いて、それから項垂れる。英語やべえ。

「でも採点期間終われば夏休みだね。晴矢英語どうだった?」
「聞くな、察しろ」
「最近わりと真面目に授業出てたし、テストも出来たのかなって」
「……まあ、そんな上手くいかねーよ」
「自業自得だけどね。でもほら、これから楽しいことが待ってるし」
「あー、夏休みな」
「いやそうじゃなくて」
「は?お前夏休み楽しみじゃねーの?」
「いや夏休みは楽しみだよ。そうじゃなくて、晴矢今日夏祭り行くんじゃないの?1年生の可愛い子とさ」

 少し驚いて目を見張るけれど、茂人は特に何の変化もない声色と表情で机の上のペンやら消しゴムやらをしまっていた。特に誰にも伝えてはいないのに、なんでこいつは知ってるんだろう。噂ってすげーな。
 俺も茂人と同様にペンケースをしまいながら、あー、ともおー、ともつかない曖昧かつ間延びた声で返事をする。それを茂人は肯定と受け取ったらしく、楽しんできてね。夕飯はいらないの?なんて聞いてきた。俺はそれには何も答えずに、酷使し続けてぼんやりする脳みそを休ませるために机に突っ伏した。

 テストはなかなかに大変だったし、前日ぎりぎりまでに詰め込めるだけ詰め込んだ数式やら単語やらが一斉に頭の外へ飛び立っていくのを感じながら、俺は思っていた。きっとこの脳みその疲れは、勉強からくるだけのものじゃない。わかっていた。
 昨日の、下校時刻を少し過ぎてガランとした図書室。そこで言われたことを思い出す。

 そして俺は静かに目を閉じた。





「あら?こんな時間にここで会うのは珍しいわねえ」

 人気のない図書室を訪れたのは昨日の放課後、それも下校時刻を少し過ぎたころだった。重い扉を開くと、蛍光灯の明るい光が目を刺してくる。思わず目を細めれば、図書室のカウンターで穏やかに笑っているその人がいた。

「あー……教科書、忘れて」
「教科書?もしかして勉強してたの?」

 驚いたように目を見開くその人に別にいいじゃないすか、と言うと、くつくつと喉の奥を鳴らしてからかうように笑われた。なんだかバツの悪い気分になる。

 俺が図書室で授業をサボっているとたまにふらりとやってくる司書の先生、の名前は知らない。おそらく、五十代半ば。穏やかそうな印象を受ける目もとの笑い皺がなんとなく好きだった。非常勤とは言え仮にも学校に勤める身であるのに、授業をサボる俺に対してそれはもう寛容な態度で、咎められたことは一度もない。俺が言うのもなんだけれど、一体それでいいのだろうか。

「最近ちょっとは真面目になったみたいねえ」
「……別に、そんなことないっすけど」
「誰の影響かしら?好きな子でもできた?」

 なんだこれデジャヴ?何だってみんなしてそういう方向に話を進めたがるのだろうか。俺が当たり前に授業を受けて勉強することがとても珍しいらしい。…まあ、珍しいか。ヒロトの含み笑いが思い浮かぶ。
 俺が眉をひそめたのを見ると、その人は瞳に優しい光を宿してゆっくりとした口調で話し始めた。

「からかってるわけじゃないのよ。ただ、なんとなく雰囲気が変わったなあと思ったの。もちろん、良い方向に」
「変わった?」
「ええ。柔らかくなった」

 いまいちよくわからなかった。

「別に、ただ真面目に授業受けろって言われただけで」
「そんなの、先生や友達に何度も言われてるんでしょう?」
「……そいつはやりたくてもやりたいことができないかわいそうな奴だから。俺はやるべきなんだろうなって…」
「……それだけなの?」
「は?」

「かわいそうって、本当にそれだけ?」


 それだけだよ。

 即答できなかった。思わず目を見開いてしまう。その人は相変わらずカウンター越しに穏やかな笑みを携えて俺を見ている。窓の外を見ると、もうすぐ陽が落ちようとしていた。


 名字名前、俺のクラスメイト。数週間前事故で死んだ。それはどうあがいても揺るぎない事実で、仕方のないことだった。時は戻らないし、いずれはみんなから忘れられていく。元気で明るくてよくしゃべって破天荒、空気の読めない、それでいて気の毒で、かわいそうな奴。俺は同情する。まだこんなに若いのに、あいつは呆気なく死んでしまった。
 だからせめて幽霊となって出てきたあいつに、できることはしてあげた方がいいんじゃないかと思った。それだけだと思っていたけれど、

 どういうわけだか、名字の顔が見たくなった。



 いろんな思いがどっと押し寄せてきて頭の中がくしゃくしゃに丸められた紙みたいになった。覚えているのは、去り際に「教科書取りにきたんじゃないの?」と言われて、そのことを忘れていたことに気づいて慌てて取りに戻ったことと、蛍光灯の白い光がまぶしかったことくらい。





「……おい、何が貸し切りの特等席だよ」


 呆れて言えば、フェンスをつかんでぼんやりと空を仰いでいた名字がものすごい勢いで振り向いた。吃驚したように目を丸くして、ついでに口もぽっかり開けている。ひどいアホ面だ。
 辺りはすっかり暗くなっていて、正直屋上まで上がってくるのに文字通り肝を試した気分になった。できれば夜の学校になんか二度と来たくない。名字が貸し切りの特等席と豪語していたここからは花火は何も見えなくて、ドンという音と微かに光る空が遠くに見えるだけだった。吃驚した、そんなことだろうとは思っていたけど、マジで全然見えねえ。

「え、あれ……?な、南雲くん?」
「こんなんだったら俺んちからのほうがまだ見えたっつーの」
「え?なんでここにいるの?もしかして幽霊?」
「それはお前だろ」

 そう、こいつは幽霊だ。透けてもいないし足もある、飯も食う変な幽霊。今まで幽霊なんて見たこともなかったし今だって名字以外の奴は見えていないというのに、なんでこいつは俺の前に現れたんだろう。

「かわい子ちゃんとのお祭りは!?」
「断った」
「え、ええ!?ヒエエ南雲くん一体何人の男子を敵に回したの……?ていうか何故……気でもふれた……?」
「別に、そんな話したこともない奴と人混みの中出かけんの疲れるだろ」

 勿体ない、なんで、と何故か名字が残念がっている。それよりも、ここから花火が全く見えないことについての説明をしろと思った。よく考えたら方向的に見える可能性は低かっただろうし、もしここが特等席なんてものなら今頃うちの生徒で溢れ返っていたかもしれない。

「いや確かに特等席は話を盛ったけど!ちょっとは見えるって聞いたんだよ、わたしだってこんなに見えないと思ってなかった」

 見たかったなあともう一度空を仰ぐ。空には星が浮かんでいるだけで、花は咲かない。ドンという音がかすかに耳に届く。そろそろ花火も終わる時間だろうか。
 俺は手に持っていたコンビニのビニール袋を名字に向かって突き出した。名字は不思議そうな顔を浮かべながら袋の中をのぞき込んで、そしてものすごい勢いで顔を上げた。思わずビクッとなる。

「な、なぐ、なぐ、」
「殴る?」
「違うよ!!南雲くん!」
「なんだよ」
「南雲くんこれ!なんで!?」

 袋の中身は、さっきコンビニで買った手持ち花火のセット。数本の花火と線香花火しか入ってない、すげー小さいやつ。学校で花火なんかしてるのがバレたらさすがに怒られるかと思ったからこれにしておいた。

「どうせ祭りの花火なんて見えねーと思ったから買ってきた」
「うわーうわーうわー!すごいよ南雲くん、さすがやることもイケメン!」
「うっせ、早くやるぞ」

 袋の底のほうからマッチを探り当てて引っ張り出しながら、花火セットの袋をあけて花火用のロウソクを取り出して火をつけた。
 名字が嬉々として花火に火をつける。途端に勢いよく輝く火が吹き出して、ふおー!とかいう変な歓声が上がった。

「南雲くんこれ!すごい!」
「落ち着け、よく見たらそんなすごくねー」
「すごいって!」

 本当に楽しそうにはしゃぐ名字を見てるとなんだか自然と口元がゆるみ始めて、慌てて俺も花火に火をつけた。昔風介と両手に花火を持って、よく緑川を追いかけ回したっけか。子供のころの夏がふと思い起こされる。


 もともとの量が少ないから10分と経たずに花火がなくなって、最後の線香花火に火をつけた。パチパチと弾くような小さな音を出して、優しく光っている。線香花火ってどうしてこうしんみりするんだろう。自然と会話も少なくなって、ただぼんやりと線香花火を見つめていた。

「ほんと、いい思い出ができたなあ」
「大袈裟だな」
「違うよ、本当に!すっごくすっごく嬉しいし楽しかった。ありがとう南雲くん、大好き!」
「は、」

 しばらく目を白黒させたけれど、名字はニコニコと満足げに笑いながら線香花火を見ている。時間差でぶわりと顔が熱くなるのがわかって、思い切り顔を背けた。馬鹿じゃねーの、くそ。今が夜でよかった。

 最後は音も立てずに、線香花火がぽたりと地面に落ちた。


 片付けをしている間に、「南雲くんは明日から部活?」と名字が聞いてきた。おー、と頷くと、また楽しそうに笑った。「じゃあ、窓から観戦してようかなあ」
 夏休みまであとわずか。俺はごちゃごちゃだった頭の中がいつの間にかやけにすっきりしているのを感じて、思わず苦笑いをうかべた。


20140915
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