夏と羊と神様とわたし | ナノ


 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。晴れて雷門中学の生徒となったみなさんには、多くの期待や不安が詰まった学校生活が待っています。夢と希望を持って、多くのことに挑戦し、3年間を充実したものにしていってください、うんたらかんたら。

 現在校長先生のありがたいお話を聞いているところなのだけれど、わたしの意識は既にログアウトしかけていた。入学式というのは初めて入る教室や知らない顔ぶれに緊張するのが醍醐味というもので、式典自体は別段楽しいものじゃない。校長先生には申し訳ないけれど非常に退屈だ。さっきは景色を楽しみながら登校するだなんて余裕はなかったけれど、外は快晴で、入学の時期にふさわしく桜が咲き誇っている。暖かい日差しのもとでのんびりお花見でもして過ごしたい。なんて思っていたら眠気が襲ってきた。あくびをかみ殺す。目じりに溜まった涙を手で拭っていると、隣から小さな声が聞こえてきた。

「なあ、お前さっき自転車で事故ってたやつだろ?大丈夫かよ」

 ひそひそと話しかけてきたのはわたしの隣に座っていた男の子だった。どうやらこの男の子も暇を持て余しているみたいだけれど、話しかけてきた内容が内容だったので思わず目を見張る。確かに事故だったし、下手すれば殺人未遂だ。途端に物騒になる。「な、なぜそれを…」と尋ねれば、「窓から見てた」という秋ちゃんと同じ答えが返ってきた。極めつけは次の一言。「窓開いてたからすげー音聞こえてきたぜ」

「窓!?開いてた!?」
「ちょっ馬鹿!静かにしろよ」

 思わず声を荒げて注意される。秋ちゃんはそんなこと言ってなかったのに!大勢の人に醜態を晒してしまった事実を再確認してわたしは頭を抱えた。男の子には「まあでもすごかったぜ、お前のハンドル捌き」と意味がわからないフォローしてもらった。
 お前名前なんていうんだ?と聞かれたので答えると、彼は「俺半田真一。よろしくな」と言って笑った。不意に周りが一斉に拍手をし始めたので慌てて前を向くと、話を終えた校長先生が壇上から下りているところだった。半分以上も話を聞いていなかったことに反省の思いを込めて申し訳程度に手を叩いた。


 


 入学式とホームルームを終えて今日はもう帰るだけとなり、そろそろ膀胱に限界を感じたわたしは速やかに教室から廊下に出た。トイレなんて適当に歩いていればすぐ見つかるだろうとたかをくくっていたのだけれど、人生そう上手くはいかない。雷門中の敷地面積に溜め息が出る。非常にまずい。入学初日から第三の失態を犯すことはどうしても避けたい(第一は寝坊、第二は自転車事故)。
 切羽詰まっていたわたしは人に聞いてみればいいのでは、という考えにたどり着き、何も考えずにたった今偶然にすれ違ったピンクの頭の人に声をかけた。

「あの、すいません…お手洗いってどこにあるかわかりますか?」
「あ?」

 ピンクの人が振り向いて、思わずわたしは彼に声をかけたことを後悔した。失礼を承知で言うけれど、顔が超怖くて、その声は不機嫌だと言わんばかりに刺々しいものだったからだ。秋ちゃんについてきてもらったらよかったと、わたしはあの花のような笑顔を思い出す。
 頭上から感じる威圧的な視線を受けながら、わたしはこの状況をどう打破するか考えることにした。高確率でお前が漏らそうと俺の知ったことじゃねーんだよ、とお叱りを受けると思うので、その際には謝って誰か別の人にトイレの場所を尋ねよう。逃げ足は速いほうだしきっと大丈夫なはず。けれど次の瞬間、わたしの対策は実行する必要がなくなる。

「この廊下を真っ直ぐ行ったところの突き当たりにあるぜ」
「えっ」

 顔を上げる。ピンクの人はトイレがある方向を示すようにまっすぐ向こうを指差していて、間抜けな声を上げたわたしを不思議そうに見ていた。ものすごく親切な人だった。顔が怖いなんて思ったことを直ちに謝罪したい。いや、謝罪したら顔が怖いなんて思ったことがばれてしまう。人を見かけで判断するなんて、わたしはなんてひどいことをしてしまったんだろう。よくよく見たら、目つきは鋭いけれど目元の泣きぼくろがとてもセクシーだ。

「ありがとうございます!!行ってきます!!」
「お、おう」

 迫りくる尿意にはこれ以上逃れられないと思ったので、わたしは頭を下げてこの場を去らせていただいた。いい人だったなあ。気持ちが行き急いで名前を聞くのを忘れてしまったことが心残り。今度会ったらまた改めてお礼を言いたい。

 早足でトイレへ向かい用を足し、ハンドタオルで手を拭きながらトイレから出ると見知った顔の2人が男子トイレの前で話し込んでいた。円堂と秋ちゃんだ。
 「あ、名前ちゃん」秋ちゃんがわたしに気づくと、円堂もぶんぶん手を振ってくれた。なんで男子トイレの前にいるんだろう?どうでもいいことを考えていると名前ちゃんにも聞いてほしい話があるの!と秋ちゃんがちょっと興奮した様子で言った。秋ちゃんが聞いてほしい話があると言うなら喜んで。

「実はさ、さっき職員室にサッカー部の入部届出しに行ったんだけど……雷門中にサッカー部はないって言われちまってさ」
「えっないの?サッカー部が?」
「前はあったんだけどなくなっちゃったんだって。それでね、一から作ってみようって話になったの」

 偶然先生と円堂のやりとりを見ていたサッカー好きの秋ちゃんが、トイレに入ろうとしていた円堂に声をかけたところでそんな話になったらしい。サッカー部がない学校って相当珍しくないだろうか。一から作ってみるということは、部員を募集したり用具をそろえたりするところから始めることになるんだろうなという漠然とした想像をした。

「秋ちゃんサッカーが好きなんだ」
「うん!アメリカにいたころは幼なじみの子たちとよく遊んでたの」
「アッ、アメリカ!?秋ちゃんアメリカにいたの!?」
「へえー!すっげーな!」

 あまりにもさらりと言うので受け流しそうになった。秋ちゃんは帰国子女だった。生まれてから一度も日本から出たことのないわたしにとってその響きはどこか遠くに感じる。かっこいいなあ、今度英語しゃべってもらおう!と関係のないところで野望を燃やしていると、昔の話だけどね、と秋ちゃんは小さく笑った。あれ?
 見逃してしまいそうなくらいの小さな変化。伏せられた長いまつ毛が悲しそうに揺れる一瞬。そしてすぐに花が笑う。

「それでね、もし名前ちゃんがよければなんだけど、一緒にサッカー部入らない?」
「えっ!?わたし運動全然できないんだけど…」
「あ、ごめんね、言ってなかったよね。サッカー部にはマネージャーとして入部するつもりなの。雑用は多いかもしれないけど、部員みんなをサポートする大事な役割だよ」

 名前ちゃんと一緒だったらきっと楽しいと思うんだ。そう言ってにこにこ笑う秋ちゃんの誘いを誰が断るというんだろう!なんか楽しそうだしいいよ!とわたしが二つ返事で了承すると、じゃあ改めてよろしくな!と円堂が笑った。この2人といるとわたしの口元も自然に緩む。
 そうと決まれば早速先生に相談に行こうと言う秋ちゃんにストップをかけて、円堂はトイレに入って行った。あ、そうだったごめんね…と苦笑いする秋ちゃんに、わたしは声を上げて笑った。


20120921
20140608 加筆修正
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