夏と羊と神様とわたし | ナノ


 雷門中サッカー部がフットボールフロンティア地区大会優勝を果たしたというニュースは瞬く間に町中を駆け巡り、商店街の入り口にはちょっと大げさなおめでとう弾幕が掲げられたり、新聞の記事にされたり、練習中のギャラリーが以前より増えたり、すれ違う人たちに応援とねぎらいの言葉をかけてもらったりすることが増えた。
 響木監督の計らいであの伝説のイナズマイレブンと試合をしてもらったり(その正体は、なんと今も稲妻町に住んでいる響木監督の同級生のおじさんたちだった!)、その上必殺技を伝授してもらったり、来たる全国大会に向けて、みんなは着々と力をつけ始めている。どことなくわくわくした空気が伝わってくるので、わたしもマネージャー業に精が出るというものだ。

「よし、じゃあ行くか」

 部室に全員集合したのを確認して、円堂を先頭に順に部室から出て行く。今日は久しぶりに学校のグラウンドで練習をする日だ。わたしはドリンクの粉やらバインダーやらが入ったボストンバッグを肩にかけた。

「名字先輩、今日は私が持ちますよ!」
「えっいいよいいよー、そんなに重くないんだから」
「そんなことないよ、結構重たいでしょ。私が持つよ」
「いやいや大丈夫だって!わたしこう見えて力持ちだからね、任せて!」
「そうそう、名前って結構ゴリラだし、任せとけばいいよ」
「おいこらちょっと待て」

 秋ちゃんと春奈ちゃんとわたしの間で不毛な譲り合いが始まろうとしたそのときに、聞き捨てならない発言が飛び出した。松野である。こいつはもっと女子に対する態度を改めたほうがいいだろと思ったのだけれど、さっと秋ちゃんの持っていたボールの入ったバッグを受け取って歩き出しているのを見たらぐっと言葉に詰まった。悔しいがそれは男子としてあるべき正しい姿だ。しかしわたしは不当なゴリラ扱いをされているので釈然としない(結構ゴリラって何??)。
 バッグで後ろからどついてやろうかと企んでいたら、急に肩がすっと軽くなって、わたしの陰謀はあっさりと阻止された。鮮やかな手つきで、風丸がわたしの持っていた荷物を持ってくれていたのである。

「本当だ、結構重いなこれ」
「え、わ、いいよ風丸、わたし持つよ」
「別にいいよ」

 さすがに風丸はゴリラとか言わない。わたしは風丸の気遣いに感謝しながら、急に手ぶらになってしまったので持て余した両手をジャージのポケットに突っ込んだ。

 グラウンド横をぞろぞろと移動していると、ランニングしている陸上部の団体に出くわした。その中に、ふときらきらした金色の髪が目に入ったかと思うと、それがものすごい勢いでこちらに向かってやってくるので、わたしは内心笑いながら思わず身構えた。

「風丸さん!お久しぶりです!」
「宮坂、久しぶりだな」
「名前先輩、何風丸さんに荷物持たせてるんですか!?」
「わ、わあ宮坂くん、久しぶりだね!元気してた?わたしはめっちゃ元気でした!」
「聞いてないです」

 宮坂くんの視線から逃れようと適当に口を開いたらバッサリと切り捨てられた。風丸に向ける笑顔はまさしくエンジェルなのに、今はちょっと拗ねたようにわたしを睨んでいる。全然怖くないよ、なんて言ったら、普段はまんまるな瞳を三角にして、きっともっと怒られてしまうんだろうな。

「練習、頑張ってるか?」
「はい!風丸さんも練習ですか?うちにはいつ戻るんですか?」

 ……ん?
 一瞬だけ思考回路が停止して、それからややあって、宮坂くんがやだなー!と笑いながら続けた。

「サッカー部、助っ人だって言ってたじゃないですか!」

 それを聞いてわたしはまばたきをみっつ。……あれ、そうだったんだっけ?
 口を開こうとしたら、風丸の悪い、という声にそれは掻き消された。

「俺、ちょっと宮坂と話してから行くから、先に行っててくれ」
「あ…うん」
「…荷物、持ってやれなくてごめん」

 風丸が眉を八の字に下げて、肩にかけていたバッグを所在なさげに見つめた。別にグラウンドはすぐそこなんだからそんなことは全然問題ないのだけれど、風丸の様子がちょっとおかしい。何がおかしいのかって、うまくは言えないんだけれど、なんとなくそういう雰囲気。
 バッグを受け取って立ち去る風丸と宮坂くんの背中を見届けてから、わたしはみんなの列に戻る。ふと宮坂くんの右の手首に、以前わたしがあげたヘアゴムが通されているのを見つけて、もしかして練習中は使ってくれているんだろうかと思うと、口角が上がってしまうのだった。


 


 風丸がなかなか戻ってこないので栗松くんが陸上部のグラウンドまで様子を見に行ったけれど、その後すぐに2人で戻ってきた。2人とも浮かない顔をしている。……なんで栗松くんまで?
 一体何があったのか、聞けないまますぐに練習が再開された。先日イナズマイレブンのOBであるおじさんたちに伝授をしてもらった、豪炎寺と風丸2人の必殺技・炎の風見鶏の完成度を上げるための練習を引き続き行うことになったのだけれど、昨日までの練習で2人はほぼ完璧にこの技をものにしていたので、あとは仕上げるだけといった具合だろう。
 炎の翼を大きく広げて、風のように速くゴールまで突き進む大きな鳥の姿。ここ数日で見慣れたものになっていたのだけれど、それはゴールに吸い込まれることなく、軌道をそれてゴール上方へと飛んで行ってしまった。

「もう1回だ!」

 響木監督の指示のもと、何度も何度も繰り返されるけれど、一向にゴールに入らない。――なぜ?この前まであんなにうまくいっていたのに。
 雲行きが怪しくなり、みんなの心配そうな視線が2人に集まる。息を切らした風丸の背中を見て、わたしは宮坂くんの顔を思い浮かべた。……忘れていた。そういえば風丸は助っ人としてサッカー部に来てくれたんだということをだ。多分あの後宮坂くんや陸上部の仲間たちに、いつ戻ってくるのかを改めて問われたんじゃないかと思う。それに揺れ動いているから、プレイに迷いが出てしまっているんだろう。豪炎寺も理解しているのか、さらりと「案外わかりやすい奴だな」と事もなげに言ってみせた。
 うーん、とわたしは唸って眉をひそめた。なんだか宮坂くんに悪いことをしてしまったなあ、という気持ちと、風丸が陸上部に戻ることになったら、ちょっとさびしいけれど風丸の決めたことならわたしたちは背中を押してあげるべきなんだろうなあ、という気持ちがひしめき合って、それが溜め息となって出て行った。


 


 翌日の早朝のこと。まだ少しだけ冷たい空気が、眠くて仕方なかったまぶたを少しずつ開く手伝いをしてくれるのを感じながら、わたしはぼんやりと学校までの道を歩いていた。明日からの全国大会に向けて、今日は朝から練習がある。眠いだなんて言っていられないのだけれど、寝坊しなかっただけでも快挙だった。
 ふと見覚えのある後姿を前方に見つけて、わたしは自転車を押す手を止める。宮坂くんだ。

 陸上部も朝練があるのだろうか、宮坂くんはジャージを着ている。まだほんのりと暗い時間の道でも、いつだって彼の長い髪はきらきらしている。きれいだな、と思いながら、背中からも伺えるほどの落ち込んだ様子に、どう声をかけようか一瞬ためらった。けれど考えるよりもすぐ行動に移してしまうわたしは(考えなしとも言う)、気がついたら小さくなった背中に「宮坂くん」と声をかけていた。

「おはよう。宮坂くんも朝練?」
「……」
「サッカー部もなんだー。わたし早起き苦手だからもう辛くて辛くて、立ったまま寝そうだよ」
「……」
「でも朝の空気って気持ちいいね。早起きは三文の徳だね!」
「……の…せいです」
「え?」
「先輩の、せいです」

 ようやく発せられた声が少し震えていた。わたしが思わず歩みを止めると、宮坂くんも立ち止まった。先程から彼はずっとうつむいたままだ。

「名字先輩が、名字先輩が風丸さんをサッカー部に誘ったりなんかするから。だから風丸さんが、サッカー部に行っちゃったんです。僕、僕は風丸さんに憧れて、風丸さんみたいに走れるようになりたいって、そう思って陸上部に入ったのに。もう、戻ってきて、くれない」

 涙まじりの声が、小さいのにやけに辺りに響いた。わたしは自転車のハンドルを握り締めたまま動けなかった。なんて言葉を発したらいちばんいいのかがわからなくて、手に力を込めたまま、うつむく宮坂くんをずっと見つめていた。

「……ごめん」

 きっとおそらく、30秒だって経っていないのに、やけに長く感じる沈黙を破ったのはわたしの情けない声だった。静けさが耳に痛い。

「……っ、」

 宮坂くんは声にならない声を上げて、ずっと握り締めていた何かをこちらに投げつけた。咄嗟に反応がとれず驚いて目を見開けば、小さくて軽い何かが、わたしの胸あたりに当たって、音もなく地面に落ちる。
 ヘアゴムだった。
 宮坂くん、と名前を呼ぶ前に、彼は後ろを向いて走り出してしまった。次期陸上部のエーススプリンターにわたしが叶うはずもなく、自転車に乗る気にもなれず、わたしはただひたすらその場に立ち尽くしていた。

 いくら風丸の意志とはいえ、宮坂くんの憧れてやまない人をわたしたちは奪ってしまったも同然なのか、と思うと、申し訳ない気持ちしかなかった。いつだって彼は風丸を見ていたし、風丸の風を切る背中をひたむきに追いかけていた。それはわたしもわかっていたのに。嫌われてしまっただろうか、いや、嫌われてしまっただろうな。そう思うと悲しかった。

 ぽつりと地面に落ちたヘアゴムを拾い上げながら、風丸はなんていい後輩をもったんだろう、と思わずにはいられず、ますます胸が痛くなるのだった。


20150511
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