夏と羊と神様とわたし | ナノ


 耳をつんざくような悲鳴が聞こえたのは、円堂がアップに戻って、わたしと秋ちゃんもベンチに戻りドリンクの準備をしていたときのことだった。
 突然の断末魔の叫びに、殺人鬼でも現れたかと思った。反射的に体がビクリと揺れる。咄嗟にグラウンド中央を見やると、そこには仰向けになって倒れている宍戸くんの姿があった。彼を地面に張り付けるかのように、体すれすれのところに太い釘のようなものが何本も突き刺さっている。まるで昆虫標本みたい。それを見て背筋が凍ったけれど、起こしてくれた壁山くんに抱きついて泣いている宍戸くんが無傷なのを確認して、わたしたちはほっと胸をなで下ろした。

「これが落ちてきたんだ」

 染岡が拾い上げた太い釘のようなものの正体は、鈍い銀色をした丈夫なボルトだった。壁山くんが強く蹴りあげたボールがスタジアムの天井に当たって、それからボルトの雨が降ってきたらしい。こんなものがあの高さから落ちてきて、頭に当たりでもしたらあっという間にぺちゃんこになっていただろう。ぞわりとした。
 わたしは天井を見上げながら、これが帝国の学園長が仕掛けた罠なのだろうかと考えていた。もちろんこれだけでも十分物騒な話なのだけれど、それでもなんとなく、これだけじゃないような気がしてならなかった。バスのブレーキ事故が起きるような細工をするくらいだから、もっと危険な方法をとられてもおかしくはない。それこそ、根こそぎ命を奪っていくような。

 染岡の手のひらの上の太いボルトに目をやる。――これは一体、なんのボルトなんだろう?

「皆さん、そろそろ選手入場の時間です。準備してください」

 春奈ちゃんの声で、沈みかけていた思考が引き戻された。春奈ちゃんはいつもどおりマネージャー業をこなそうと一生懸命だけれど、あまり笑えていない。無理もなかった。
 みんなが幸せになれるような、そんな良い方法はないんだろうか。そんなのは都合の良すぎる考えだろうか。わたしがいくら考えたところで、どうにかなるわけじゃないんだけれど。


 選手入場が終わり、両チームの選手がグラウンド中央に整列した。みんなの顔には緊張が走っている。

「…本当に大丈夫かしら」
「いくら探しても何も見つからなかったもんね……」
「名字さん、仕事をサボってそんなことをしていたんですか?」
「いやいやいや!これも重要な」

 仕事のうちだよ。

 目金に反論しようと出たわたしの言葉は、突然の轟音によってかき消された。



 何が起きたのか、理解をするのにひどく時間がかかった。完全なるキャパオーバー。激しい砂埃と、グラウンドに突き刺さる無数の鉄骨。それだけが目の前に広がる光景のすべて。
 激しい轟音の後に訪れた静寂に、耳が痛かった。

 観客席から悲鳴が上がって、ようやく思考が働くようになった。そして気づいた。鉄骨が突き刺さっているのは、雷門側のグラウンドだということにだ。
 秋ちゃんの口から悲鳴が上がったのと、わたしが走り出そうとしたのと、どちらが速かったか。まだ1歩足を踏み出しただけなのに、かなり強い力で後ろに引き戻されて、ベンチに尻もちをつくはめになった。

「馬鹿野郎、危ないから迂闊に近づくな」

 おっかないドスの効いた声。響木監督だった。それからなんとなく立ち上がることもできないまま、わたしは呆けたようにベンチに座り込んでいた。
 嘘だ、と思った。嘘でなければならないと思った。こんなこと、こんな、ねえ嘘でしょ?一体自分でも誰に聞いているのかわからない。

 土煙がうっすらと晴れていく。ようやく現れたそこには――

「――――!!」

 声にならない声が出た。
 雷門のみんなは、鉄骨の突き刺さるグラウンド中央から離れたところに、全員がしっかりと立っていたのだ。驚愕に立ち尽くしてはいたけれど、誰1人巻き込まれた様子はない。力が抜けていくのを感じた。
 安堵から歓喜の悲鳴が至るところから上がる。秋ちゃんたちもみんな、涙を浮かべながら抱き合っていた。

「よ、よ、よ……よかったあああ!もう絶対死んだかと思った!!うわーん!!」
「離せ」

 今にも泣き出しそうになりながら、思わず目の前にいる響木監督に後ろから抱きついた。手が前に回りきらないほど大きな体が、今は泣きそうなくらいの安心感をもたらしてくれる。ものすごく拒否されているけれど突き放されないあたり、響木監督も心底ほっとしているんだと思った。
 場は一時騒然となり、鉄骨がむき出しに突き刺さった状態のグラウンドで試合を行うわけにはいかないので、整備のための時間が設けられることになった。帝国学園に手配された優秀な工事関係者の方々のおかげで、整備の間にこの場を離れていた鬼道や円堂たちが戻ってくるころには、すっかりきれいなサッカーグラウンドに戻っていた。

「試合は予定通り行われることになった。……影山は警察に連れて行かれたよ。だからお前らは安心して、帝国にぶつかっていけ」

 響木監督の説明によれば、帝国の学園長に手配された工事関係者が、天板のボルトを緩めるように指示されていたことが明らかになったらしい。帝国の学園長が、帝国まで捜査に来ていた鬼瓦刑事たちに連れていかれて、無事に一件落着したようだ。
 影山という人は本当にとんでもない奴だったなあと、今だから呆れたようなため息が出せた。――残る問題は、あとひとつだけ。

 わたしと秋ちゃんは目配せし合って、そして春奈ちゃんに目を向けた。正々堂々と勝負をするために、鬼道が帝国の学園長に背いて一生懸命独自で捜査をしていたことを知って、春奈ちゃんの表情に変化が出たように思う。
 もう一度秋ちゃんに視線を戻したら、秋ちゃんは真剣な表情で頷いたので、わたしも頷き返した。今度こそ、どうか上手くいきますように。


 


 ようやく決勝戦が始まった。
 試合開始早々、豪炎寺と染岡がドラゴントルネードを打ち込んだけれど、帝国のゴールキーパーである源田に難なく阻まれてしまった。さすがは王者帝国。ちょっとやそっとじゃ体勢は崩れない。

「さすがですね。あの源田から点を取るのはかなり難しいですよ」
「私は彼より優秀なキーパーを知ってるわ」

 夏未ちゃんからこんな言葉が聞ける日がくるなんて思ってもいなかった。夏未ちゃんも、きっと円堂に惹きつけられてやまないひとりなんだろう。わたしも円堂がいなかったら、こんなにサッカーの世界を魅力的に思うことはなかった。

 鬼道からパスを受け取った選手が、素早く必殺シュートを繰り出す。わたしの素人目でも、円堂ならあれくらいはきっと止められるだろうと判断できた。
 ――でも、円堂は弾きそこなった。
 拳に弾かれたボールはそのまま後ろのゴールへ飛んでいく。すれすれのところで、ゴールポストにぶつかったボールはぼとりと地面に落ちた。息をのむ。

「あっ…ぶ、あぶな……!」
「ま、全く何をしているんですか円堂くんは!」

 肝が冷えるとは正にこのこと。隣から夏未ちゃんが安堵のため息をもらしたのが聞こえた。
 防ぎきれなかったことが予想外だったのはみんなも本人も同じで、円堂は驚いたように自分の拳を見つめている。
 そして次の帝国のコーナーキックでも、佐久間がヘディングで決めようとしたシュートを正面から受け止められたはずなのに、円堂はキャッチし切れずに取りこぼしてしまった。慌ててボールを抱え込む。間一髪!

 どうもおかしいな、と思った。どうしてこんな極端に円堂の動きが悪くなったのか?――思い当たる節なら、ひとつだけあるのだけれど。

 グラウンドに意識を戻せば、鬼道がぐんぐんと雷門ゴールに迫ってきていて、今まさにシュートを打とうとしていたところ。そこに、まるで電光石火のように豪炎寺がスライディングで飛び出してきた。いつの間に前線まで駆け上がってきていたんだろう。豪炎寺の全力のシュートブロックに、さすがの鬼道も白旗を上げる。こぼれ玉が帝国の選手に渡った。
 しかし帝国の選手は攻め込まずに、一旦ボールを外に出した。一瞬疑問に思ったけれど、足を少し引きずってひょこひょことラインの外へ出ていく鬼道の背中を見て納得する。おそらく今ので足を痛めたのだ。

「すみません、私行ってきます!」

 言うが早いか、春奈ちゃんが救急箱を片手に飛び出していった。夏未ちゃんがビックリしたように春奈ちゃんを目で追う。
 きっと、春奈ちゃんも無意識の行動だったに違いない。少しぎこちないながらも鬼道の足首を手当てしている様子がここからも伺えて、わたしはほっとして成り行きを見守った。


 鬼道が試合に戻ったあと、雷門はここぞとばかりに攻め込むけれど、源田のパワーシールドという防壁になすすべもない。源田が拳で地面を割るように叩きつけると、たちまちできあがる衝撃波の鉄壁。
 すると、じっと試合の流れを見ていた鬼道がついに動き出した。

 高らかに鳴り響く鬼道の指笛。
 地面から5匹のペンギンがボールをまとうように一斉に飛び出し、鬼道が蹴り出したボールを佐久間ともう一人の選手が同時に力強く、ゴールへ向かって蹴り出した。――皇帝ペンギン2号。というのが、この技の名前らしい。
 ペンギンが飛べないなんて嘘だったのだ。粉々に砕け散った黄金色の手のひらがぱらぱらと落ちるさまを、わたしたちは呆気にとられて見ていた。信じられない!あんなにかわいいペンギンが、殺人的な破壊力とスピードをもって、神様の手のひらを打ち破ってしまった。

 帝国が1点先取。ここで前半が終了した。


「――どうしたんだよ円堂?」

 ベンチに戻ってきて、風丸が開口一番に円堂の不調を心配する言葉をかけた。円堂はなにか思いつめたような顔をして、俺にもわからない、と力なく答える。項垂れる円堂に、みんなの表情が曇りがちだった。

「今のあなたには、私をサッカーに惹きつけた輝きがなくてよ」
「……影山に何か言われたのか?」

 響木監督の言葉にも、円堂は首を横に振る。それは嘘だった。円堂はやっぱり、春奈ちゃんと鬼道のことでまだ迷いがあるのだ。ああは言っても、きっと心のどこかでは踏ん切りがついていないんだろうと思う。雷門が勝てば、鬼道の努力が報われない。2人は離ればなれ――とても、難しい問題だった。どうするのがいいのかなんて答えがないのだから。
 ふと豪炎寺と目が合う。何故かかなり怖い顔をしていたので、わたしは慌てて目をそらした。


20141219
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