夏と羊と神様とわたし | ナノ
「監督になってください、お願いします!」
「仕事の邪魔だ」
お願いします、の“し”と“ま”の間あたり。つまり最後まで言い終えていないうちからばっさりと切り捨てられて、足蹴にされているというのにここまであっさり断られると逆に清々しいものを感じる。
円堂はぐっと言葉を詰まらせたあと、素直にすみませんと謝ってから、もう一度強い眼差しで雷々軒の店主のおじさんに目を向けた。
監督不在のチームは、フットボールフロンティアへの参加は認められない――冬海先生がいなくなって一息ついたと思ったら、また新たな課題が増えてしまった我が雷門サッカー部は、夏未お嬢さまの命を受けて新監督の捜索を行うことになった。そこでやってきたのは、中途半端な時間のためか、店内は空いている様子の雷々軒。残念なことに、今日はラーメンを食べにきたわけではない。店主であるおじさんに、監督になってもらうべくお願いをしにきたのだ。
なぜ雷々軒のおじさんなのかというと、円堂のおじいちゃんやイナズマイレブンのこと、それから秘伝書のことを知っていた彼なら、サッカーにも精通していて良いアドバイスをくれるのではないかと踏んだから。以前は顧問として冬海先生がいたけれど、彼が監督としてチームを指導したことなんて一度もなかったし、むしろ部活にもろくに顔を出さなかったんだから、それに比べたら誰でもいいという気も最初はしていたのだけれど。次は決勝戦で、尚且つ相手はあの帝国学園…ということを考えると、きちんとした監督という存在が、雷門サッカー部には必要だったのである。むしろ、今まで監督がいないも同然の状態でよくやってきたものだ。
そうと決まれば話は早かった。けれど、意気込んで考えなしに全員で来てしまったものだから、当然邪魔扱いされる。壁山くんに前に立たれてしまって全く前が見えないわたしは、仕方なしに少し離れた席に勝手に座って様子を見守ることにした。
「あの、俺のじいちゃん知ってるんですよね?秘伝書のことも知ってた。だったらサッカーも詳しいんじゃないですか!?」
「あるいは、円堂のおじいさんとサッカーをやっていたんじゃないですか?」
わたしと同様に、勝手にカウンター席に座っている土門が鋭く口をはさんだ。さすがにお客でもないのにカウンター席に座る勇気は、わたしにはない。
土門の言葉を受けて、おじさんの頬がピクリと動いたのがわかった。ビンゴ。
「あのとき俺の言ったことを忘れたのか?イナズマイレブンは災いをもたらすと言っただろう。恐ろしいことになるだけだ」
おじさんは今日もねぎを刻んでいる。リズミカルな包丁とまな板のぶつかる音。一定のテンポで合わさるそれは、聞いていてとても爽快だったりする。
それじゃあ、この前はなぜ秘伝書の場所を教えてくれたんだろう?そのおかげで、みんなは校長室に忍び込んで勝手に金庫を開けようとするという大犯罪を犯しかけたんだから。
サングラスの奥の瞳は見えない。けれどより一層、声に凄味が増した気がする。ただでさえ、大きな体とサングラスの下に走る左目の傷のせいで重厚な威圧感を醸し出しているのに、そんな腹の底から出したような低い声で話されたらおっかなくて仕方ない。
「注文しないなら出ていけ」
確かに、営業妨害と言われても仕方のない人数で押しかけている。わたしがポケットの中に無造作に突っ込まれた小銭を取り出して、いくらあるのかを数えていたところ、円堂が息巻いてラーメンを注文した。学校からそのまま手ぶらのユニフォーム姿で来たのに、財布を持ってきていたなんて、円堂ってばなんて用意周到なんだろう。感心していたら、結局財布なんて持っていなかったみたいで、円堂もろとも、みんな店から追い出された。ちゃんちゃん。
「で、いくらあったんだ?」
「220円、ちょうど!」
店の扉を容赦なく閉めたあと、わたしの手のひらの上で鈍く光る小銭を眺めて、おじさんはまいど、と言って再び厨房に立った。おじさんはわたしがお金を数えているのをしっかりと見ていたみたい。うーん、目ざとい。数分後には220円の焼きたての餃子が運ばれてくることだろう。この店で220円のメニューはこの餃子だけだ。
「よかったな、金あって」
「えっ」
「ポケットん中に小銭入ってるなんて、オッサンみてーだな、嬢ちゃん」
突然話しかけられてびっくりした。通路を挟んだ反対側のテーブル席に座って新聞を広げていたおじさんが、こちらを見ておかしそうに笑っている。オッサンにオッサンって言われた…なんて考えていたら、このおじさんをどこかで見たことがある気がして、わたしはまじまじと見つめ返してしまった。そして思い出す。前にも雷々軒で新聞を広げていた、あの怖い顔のおじさんだ。
「で、あいつは説得できそうか?」
「いやあ、わたしには無理じゃないですかね……おじさん頑固そうだし」
今までのわたしたちのやりとりを聞いていたのか、怖いおじさんはなんだかおもしろがっている。そうかい、と笑いながら新聞のページをめくった。平日のこの時間にこんなところにいるなんて、一体何をしている人なんだろう。
水を飲もうとコップに口をつけた途端に、怖いおじさんが「イナズマイレブンか。いいチームだったよなあ」と呟くものだから、わたしは水を飲むのを断念せざるをえなくなった。
「えっおじさんも知ってるんですか!?」
「まあな」
「おじさんも、円堂のおじいちゃんと一緒にサッカーやってたんですか?」
「俺はやっちゃいねーよ。そういやあの坊主、ゴットハンドが使えるんだってな」
「いやだからなんで!?」
ただのサッカーファンだよ。おじさんはそう言うけれど、絶対それだけじゃない。とわたしは思う。それ以上何も言おうとしないおじさんにやきもきしていたら、テーブルに熱々の餃子が5つのったお皿が置かれた。パリパリの羽が食欲をそそる。
わたしはしゃべるのをやめて一旦餃子に手をつけることにした。どちらかというと猫舌なほうだけれど、熱々のうちに食べるほうがおいしいということはわかっているつもり。ラー油は少なめだ。
「これ食ったらとっとと帰れ。さっきも言ったが、あんまりイナズマイレブンに関わるな。悪いことしかな」
「ウアアアあっつ!!」
「……」
「あ、あ、熱かったー…!すみません、今何か言いました?」
「なんでもない」
舌がヒリヒリ痛い。火傷をしたかもしれない。水を飲んで一呼吸落ち着かせて、今度はきちんと冷ましてから口に含んだ。口の中で弾けるようなジューシーな肉汁に、とても幸せな気持ちになる。
3つ目の餃子を飲み込んだところで、はて、本当にこのまま何もせずに帰ってもいいものだろうかと考える。せっかくわたしだけ残ったのに、説得も試みずに手ぶらで帰ったらみんなに怒られるだろうか。特に壁山くんには、自分だけ餃子を食べてきてずるいと言われるかもしれない。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「あの、監督になってほしいんですけど」
「ならん」
あえなく撃沈。わかってはいたけれど、壁は高い。わたしは舌を巻いた。
「でも円堂は、多分きっとしつこいですよ。懲りずにまたここに来ると思うし、なんだったら勝負しろとか言い出すかも」
「……そりゃ面倒だな」
「彼、タフなんです」
わたしが説得するまでもないのかも、そんな気がしてきた。円堂なら、“なんだか大丈夫”な気がするからね。
餃子を全て飲み込んで、ちょうどよくお腹がふくれたところで、わたしはカウンターに220円を置いてごちそうさまでしたと声をかけた。店主のおじさんはまいど、としか言わなかったし、怖いおじさんはなんだか笑っていた。舌がヒリヒリして痛い。
円堂に誘われて、もう一度雷々軒へ行くことになったのは翌日の放課後のこと。あの頑として聞き入れないような揺るぎない体勢を崩すことができるのか、自信はなかったけれど、とにかく頼み込んでみようと張り切って学校を後にした。手にはしっかりとお財布を握って。
道中、円堂から、昨日わたしが餃子を食べている間に河川敷へ戻って練習をしていたみんなのところへ、鬼道がやってきたという話を聞いた。冬海先生や土門のことを謝りにきたらしい。
「やっぱり鬼道も、卑怯な手で勝つことは望んでないんだ。だから俺、絶対、正々堂々帝国と戦いたい」
そう言う円堂の目はとても真剣で、静かな闘志を秘めていた。良い勝負ができたらいいなあと、思う。でもそう思えば思うほど、漠然とした不安が胸を焦がす。
――冬海先生の策略が失敗に終わった今、果たしてこのまま何事もなく、無事に試合を行えるんだろうか。
「円堂守、だな」
突然声をかけられる。
わたしたちの行く道をふさぐようにして目の前に現れたのは、タートルネックのニットにジャケットを羽織っただけのラフな格好をしたおじさんだった。昨日見た、怖い顔が印象的な彼である。自然とあっという声が漏れた。
「あ、おじさん」
「よう嬢ちゃん、また会ったな」
「知り合いなのか?」
円堂がわたしとおじさんとを見比べて不思議そうに聞いてきた。昨日、雷々軒で少し話したけれど、知り合いというほどでもない気がするし、でも全く知らないわけでもない。どう説明しようか、うーんと唸っていると、おじさんはポケットからある手帳を取り出して、それをこちらに見せるようにくるりと向けた。
「俺はこういうもんだ」
「へっ…刑事さん!?」
「えええええ」
円堂よりも大きい声で驚いたのはわたしだった。開かれた手帳にはおじさんの写真と、下半分には厳かなデザインの警察エンブレム。正真正銘の警察手帳。けれど、ドラマや漫画でしか見たことのないせいか、あんまり現実感がわいてこない。
け、刑事さんだったんですか、と呟くと、彼はいたずらっぽく笑ってみせた。顔が怖いとか、いろいろ思っていたことを少し後ろめたく思いながら、写真の下の名前を見る。鬼瓦さん。強そうな名前。
「お前さんに話がある。ちょっとついてきてくれるか」
彼は円堂に用事があるらしいけれど、「嬢ちゃんも一緒に来たらいい」という言葉を受けて、わたしも2人についていくことにした。昨日からずっと何かいろいろ知っていそうな彼には興味を抱いていたので、願ったり叶ったりである。
鉄塔広場の近くまでくると、円堂を真ん中にはさんでわたしたちはベンチに腰かけた。まだ夕焼けの時間には早い鉄塔広場は人通りが少なくて、ゆったりとした空気が流れている。
「……あいつが監督になることを拒否するのは、理由があるんだよ」
のどかな光景にはおよそ似つかわしくない暗い声で、鬼瓦刑事は話し始めた。
イナズマイレブンの悲劇――それは、今から40年前の出来事。伝説のチームと謳われた雷門中サッカー部が突然終わりを告げて、長い間雷門中にサッカー部が存在していなかった理由だった。
40年前のフットボールフロンティアで、雷門は帝国と決勝戦を争う予定だった。当時の帝国学園は、大会初出場ながら決勝にまで進んできた新星で、このふたつのチームがぶつかる決勝戦は大きな話題となっていた。けれど――
あまりにも不幸な結末。
会場へと向かう雷門サッカー部を乗せたバスがブレーキ事故を起こし、選手全員が怪我を負ってしまった。
這ってでも試合に行こうとしたけれど、雷門中は試合を放棄するという内容の謎の電話が会場に入ったことにより、雷門中は不戦敗。帝国は優勝。
それ以来、帝国は40年間無敗を誇っている。
「俺は、何故そんな電話が入ったのか。その電話の裏には何があるのか。……それを調べるために刑事になったんだ」
そして、雷々軒のおじさんは、円堂のおじいちゃんが率いるイナズマイレブンのキーパーを務めた選手だったそうだ。それを聞いて、わたしは1人納得する。もうあんなことが起こらないように、関わらないように、おじさんはみんなのことを心配してくれていたのだ。わたしは胸が詰まる思いで、おじさんの顔を思い出す。
円堂は「ありがとう刑事さん!」と言うが早いか、あっという間に駆け出していった。向かう先はわかっている。わたしは心の中でおじさんにもう一度、円堂はしつこいですよ、と呟いた。
「嬢ちゃんは行かなくていいのか?」
そんな円堂にひとしきり笑っていた刑事さんがこちらに向き直った。円堂がいなくなって、ベンチの真ん中にはぽっかり1人分のスペースが空いている。わたしは静かにかぶりを振った。
「わたしが行かなくても、きっと上手くいきます。ああいう円堂見てると、なんか大丈夫だなって気になっちゃうんですよねー」
「わかる気がするな」
わかってもらえると思っていた。
わたしはぼんやりと空を仰いで、刑事さんの話をゆっくりと思い返していた。イナズマイレブンの悲劇――帝国と、バスのブレーキ事故と、冬海先生のこと。きっと単なる偶然なんかではないのだろう。
「……全部帝国の学園長のせいなんですか?」
「俺はそう踏んでいる。未然には防げたらしいが、雷門の教師がやらかしたこの前のことも調べてある。……俺は、これで終わるとは到底思っちゃいない」
なんて穏やかじゃないんだろう。わたしはため息をつきたくなった。現実離れしているとさえ思う。
刑事さんはわたしの頭に手を置いてから立ち上がって告げる。
「俺たち警察も尽力を上げるから、お前らはサッカーに打ち込んでいればいい。……ただ、気をつけろよ」
頷きながら、一体具体的にどう気をつけたらいいかなんて、まるでわかっていなかったんだけれど。
20140118
20141204 加筆修正