夏と羊と神様とわたし | ナノ


 雷門を出発した時点では、豪炎寺の代わりにディフェンスに土門を入れて染岡のワントップで試合に臨む作戦だったのだけれど、わたしがメイド服に気をとられている間に、どういうわけかメイド喫茶信者・目金欠流先生がスタメンになっていた。かなりやる気に溢れていたから、そのやる気に円堂は賭けるらしい。侮れないメイドパワー。

「借りてきた猫みたいに大人しいな」

 そう言って珍獣でも見るかのような視線を不躾にぶつけてくるのは、松葉杖をベンチに立てかけて包帯の巻かれた足を投げだすように座っている豪炎寺だった。わたしは未だに自分の格好がじわじわと恥ずかしく、「お、おう…」と無愛想な返事をする。

「み、見るな…殺してくれ……」
「目に入る」
「あー、あーーそうだ、あれあの、夕香ちゃんが着たら絶対かわいいよね!!」
「……試合始まるぞ」

 重度のシスター・コンプレックスを患う豪炎寺に、この問いかけは不要だったらしい。


 前半は、言葉通りあっという間に終わってしまった。
 まるで未知の生命体に遭遇したかのようなみんなの反応がおもしろかった。秋葉名戸の選手たちの独特なノリにみんなはたじろぐばかりで、なかなか攻撃を仕掛けられないし、相手もボールをひたすらキープしたまま全く攻めてこようとしない。どちらが優勢かもわからず、両チーム無得点のまま、無情にも前半終了の合図が鳴る。

「ねえ、せっかく召使いの格好してるんだからさ、もうちょっと敬ってよ」

 松野がニヤニヤしながらドリンクボトルの中身を仰いだ。完全にからかっていくスタンスでいる。召使いって。せめてメイドと言ってほしい。

「いや、仕えたくなるようなご主人じゃないとちょっと……」
「ほら、早く染岡に渡してあげたら?」

 松野は猫みたいな帽子の耳の部分をいじりながら、わたしの手の中にあるドリンクのボトルを顎で示した。黒のサインペンで書かれた雑な名前。染岡のものだった。
 楽しそうに笑う松野の意図をここでようやく理解して、わたしははっと顔を上げる。松野が親指をぐっと立てたのを見て、わたしも同じように親指を立てて返した。グッドラック、幸運を祈る。そしてわたしは染岡を呼び止めて、ボトルを突き出した。「お待たせしました、ピンクのときめきミルクティーでございます!……ぶっ!!」

 言った後、思い切り吹き出したのはわたしと松野だけじゃない。耳まで真っ赤にして、地を這うような低い声で染岡が「てめえら、いい度胸じゃねーか…」と言って指の関節をゴキンと軽快に鳴らした。悪いけど全然怖くない。

「あっひゃっひゃ!!腹いてえ!」
「よしお前ら全員そこ並べ、1人残らずぶっ飛ばしてやる」
「俺も!?笑ってしかねーじゃん!」
「笑ってんじゃねーか!!」

 遠慮の欠片もなく大爆笑する松野にとばっちりを受ける半田、肩を震わす円堂に風丸に春奈ちゃん。わたしは安定の隠れ場所となった壁山くんの陰に避難した。
 なんて緊張感のない光景だろうか。間もなく夏未女王さまの雷が落ちて、わたしたち平民は大目玉をくらって彼女に平伏した。女王さまの仰っしゃることは、絶対の絶対だからね。


 後半開始の笛が鳴ると同時に、秋葉名戸の選手たちは先ほどとは打って変わって、突然猛攻撃を仕掛けてきた。まさかこんなに動けると思ってなかった。失礼ながらにそう思う。

「後半のために体力温存してたんですかねえ」
「そうかもねえ」

 松野がフェイクボールという技に引っかかった。いつの間にか、ボールがスイカにすり替えられている。

「……スイカも温存してたんだねえ」
「そうみたいですねえ」

 あのスイカは、おそらく秋葉名戸の監督が貪るように食べていたうちのひとつだろう。春奈ちゃんとのんびり会話をしていると、夏未ちゃんがのんきなものね、とため息をついた。

 急に動き出した秋葉名戸に焦った雷門は慌ててディフェンスを固めるけれど、次の奇想天外な必殺技に、みんなはなすすべなく点を奪われてしまうことになる。
 1人がもう1人の足をつかみ、まるでバットのようにそれを振り回す。振り回されたほうの顔面に直撃したボールは、そのままきれいに雷門のゴールへと吸い込まれた。完璧なホームラン!

「……」
「……」

 信じ難い光景に、ベンチから声を上げるものは誰もいなかった。あれは顔がかなり痛いだろうに、よくやるものだ。わたしはバットになった選手を気の毒に思った。

 さすがに点を奪われては、こちらも攻めていくしか道がない。染岡が力強いドリブルで、ほぼ全員がディフェンスに回った秋葉名戸を次々と抜いていく。ゴールが目前に迫ったころ、ゴール前にいた3人の目がきらりと怪しく光った。
 3人は横方向に反復横跳びをするかのように、一斉に素早く動き出した。もわもわと土煙が上がる。見ているだけで咳き込んでしまいそう。
 土煙のせいで完全にゴールが見えなくなってしまった。けれど、染岡はお構いなしにドラゴンクラッシュを放つ。青い龍が土煙の中に呑み込まれていった。

「やった!……あれっ?」

 春奈ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。
 だんだんと土煙が晴れてきて、視界がクリアになる。相手のゴールキーパーは堂々と仁王立ちしていて、ボールはゴールを大きく逸れたところに転がっていた。みんなの頭の上に、一斉にクエスチョンマークが立ち並ぶ。一体どうやってシュートを弾いたのか?
 その後は何回も同じことが起こった。土煙が上がる、シュートを打つ、土煙が晴れたらボールが転がっているの繰り返し。明らかに何かがおかしい。残り時間も迫ってきていて、こんなところで足止めをくらわされている場合ではなかった。
 隣に座っている豪炎寺の拳がぐっと握られているのが目に入る。失礼を承知で言うけれど、こんなふざけたチームに負けるとなれば、豪炎寺も浮かばれないだろう。

「シュートを打ってはいけません!」

 今、まさにシュートを打つ体勢に入っていた染岡を、目金の甲高い声が止めた。一体どこから目金の声がするんだろう?姿が見当たらない。
 土煙がゆっくりと晴れていく。そしてわたしたちは、より信じがたいものを目にすることになった。

 秋葉名戸の選手たちが、渾身の力を込めてゴールポストを左右にずらしていたのだった。目金は、そのうちの1人のズボンを懸命に引っ張ってそれを阻止していた。驚きで声が出ない。
 「シュートが入らなかったわけはこれか!」豪炎寺が納得したように声を上げた。そりゃあこんなの入るわけない!これはアウトなのか、セーフなのか?確実にアウトの領域に踏み込んでいると思うのだけれど、審判の笛は鳴らない。限りなく黒に近いグレーゾーン。サッカー協会は、ただちに試合中にゴールポストを動かしてはいけないというルールを定めるべきだと思った。
 ゴール付近では、目金が果敢に口論を繰り広げていた。ある戦隊もののアニメに出てくるヒーローの技を模して使ったというのが、秋葉名戸側の弁明だった。それは悪役に対してヒーローが使っただけであって、こういう正々堂々とした勝負の場では、決して使ってはいけない類のものである。わたしはふと隣の豪炎寺を見た。雷門のヒーローは負傷中。

「正々堂々と悪に挑む、それがヒーローでしょう!」

 そう啖呵をきって、目金はかつてない勢いでボールを奪い、どんどん相手を抜いていく。「やるじゃないの、目金くん!」と夏未ちゃんから声が上がったほどだ。女王さまに褒めていただくなんて、なんて幸せな奴。
 まだ懲りずにゴールをずらそうとする秋葉名戸を前に、目金は染岡にボールを渡し、ドラゴンクラッシュを打つように言う。僕に考えがあります、という目金の言葉に、染岡は頷いた。

 青い龍が唸りを上げたそのとき。鈍い音を立てて、目金が龍に頭から突っ込んだ。それがヘディングだということに気づいたのがちょっと遅れた。目金の捨て身のヘディングで染岡のシュートが軌道修正され、ボールはずらされたゴールポストに見事に入っていったのである。染岡のドラゴンクラッシュを頭で受けるだなんて、まともじゃない。下手したら死ぬんじゃないだろうかと本気で思った。
 ふらふらになった目金は担架で運ばれることになり、ベンチへと戻ってきた目金のトレードマークである眼鏡はバリバリに割れていた。秋ちゃんが慌てて救急箱からガーゼやら湿布やらを取り出している横で、わたしは目金のおでこをじっと観察していた。たんこぶができている。

「目金成長したね…帝国との試合で逃げ出したのが嘘みたいに今日は勇敢だよ!」
「……名字さん、いつまでも過去のことを引きずるのは良くない。人は前に進むものなんです」

 目金はばつの悪そうな顔をして眼鏡をくいっと上げた。割れた眼鏡が危ないから、早くその歪んだフレームは外したほうがいい。


 目金が体を張ってくれたおかげで、秋葉名戸も反省したらしい。それ以来卑怯な技は封印して、あちらも全力で挑んできた。それでも、ようやくまともにシュートが打てると気合の入った染岡は強かった。試合終了直前、見事にドラゴンクラッシュを決めてみせて、準決勝は2対1の雷門の勝利で幕を閉じた。


 


「えっ優勝したらアメリカ!?」

 すっかり秋葉名戸学園の人たちと仲良くなっている目金が、フットボールフロンティアで優勝するとアメリカ遠征の権利が与えられるということを教えてくれた。そんなことは全くもって知らなかったわたしは、豪華な特典にただ驚くばかり。おいしいハンバーガーが食べたいなあと、わたしは遠く離れたアメリカに思いを馳せる(アメリカが世界のどのあたりなのか、世界地図を見なくては曖昧な位置しかわからないけれど)。
 そしてアメリカと言えば、秋ちゃんと土門が小さい頃に育った国でもある。生粋の帰国子女で、2人とも英語はペラペラなのだ。何度秋ちゃんに英語の課題を教えてもらったかわからない。

「じゃあ優勝できたら、秋ちゃんと土門はアメリカにいる友達にも会いに行けるんだね」
「うん……そうね」

 わかるかわからないかくらいのギリギリの機微、だけど、わたしにはわかった。秋ちゃんにアメリカにいたころのことを聞くと、最後にいつも少しだけ悲しそうな顔をする。なんだかあまり深く聞いてはいけないような気がして、わたしはいつも一歩手前で話を切り上げることにしている。秋ちゃんが悲しいとわたしも悲しいし、わたしは秋ちゃんの花のような笑顔が見たいのだ。
 救急箱やストップウォッチ、記録ノートなどが入ったボストンバッグを持ち上げて、わたしはよし、と声を出した。これがなかなか重いんだ。

「片づけも終わったし、わたしたちも着替えよっか」
「メイド服なんて着ることももうないんだなあと思うと、ちょっとさみしいわね」
「あ、最後に4人で記念撮影しましょうよ!」

 嫌がる夏未ちゃんを強引に引っ張ってきて、カメラを宍戸くんに押し付けて可愛らしくポーズを決めてみせる春奈ちゃんが実は一番侮れないんだと、わたしは思う。


20131130
20141121 加筆修正
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