夏と羊と神様とわたし | ナノ


 豪炎寺を乗せて稲妻病院へと向かうタクシーが見えなくなると、どこからともなくふう、と息を吐く音が聞こえた。それには残念だとか不安だとか、きっとそんな気持ちが含まれている。
 少しの沈黙が訪れた。一体大人数で何を校門に集まっているのかという他の生徒の視線を感じ始めたころ、土門が長い腕を頭の後ろに組んでから口を開いた。

「せっかく新しい必殺技ができたのにな」
「ああ、イナズマ1号だろ?」
「イナズマ1号?」

 いつの間に円堂と豪炎寺は新しい必殺技の練習をしていたのだろう。昨日の試合で唐突に始まった2人の快進撃に、いたく驚いたのをわたしは思い出していた。激しい電撃のようなシュートには、イナズマ1号というぴったりな名前があったらしい。
 円堂は楽しそうに笑って、タクシーの見えなくなった方向に向き直った。円堂のおじいちゃんのノートにイナズマ1号について書かれたページがあったのを見つけて、練習こそしてはいないものの、あのときあのタイミングで、豪炎寺とならやれると思ったらしい。事前の打ち合わせもなしに一発で成功させてみせた2人の抜群のコンビネーションに末恐ろしいものを感じながら、これは近いうちに2号も出てくるに違いないと思った。

「豪炎寺がいれば準決勝でも使えたのにな……」
「豪炎寺がいなくたってお前らなら大丈夫だろ?いざとなったら俺が出るしさ」

 項垂れる円堂に、土門は励ましの言葉をかけた。お前らなら、大丈夫。――ああ、まただ。
 わたしは土門のその言葉に、覚えのある違和感が胸に去来するのを確かに感じていた。これは初めてのことじゃない。つい最近にも、土門に対して、この燻ぶるような違和感を抱いたことがある。あれは、いつのことだったっけ。

「……ん?どした?」
「ううん。なんでもない」

 無意識に土門の顔を凝視していたみたいで、土門が不思議そうにわたしを見たので、わたしは慌てて首を横に振った。


 


 豪炎寺なしの準決勝をどう戦うか、ミーティングを行うためにわたしたちは部室に集まった。
 本日、尾刈斗中と秋葉名戸学園という学校の準々決勝が行われていて、雷門はその勝ち上がったどちらかのチームと対戦をすることになる。春奈ちゃんはちょうど今その試合の結果を聞きに行ってくれていて、春奈ちゃんが残してくれた調査メモを秋ちゃんが読み上げた。

「学力優秀だが少々マニアックな生徒が集まった学校で、フットボールフロンティア出場校の中で最弱との呼び声が高いチーム……――な、何これ!」
「どうしたの?」

 メモを読んでいる途中で、秋ちゃんが珍しく慌てた様子を見せた。怒ったような困ったような、そして恥ずかしそうな、いろんな感情の入り交じった表情をして、秋ちゃんは息継ぎもせず一息に読み上げた。「尾刈斗中との試合前もメイド喫茶に入り浸っていた、ですって!」

「メ、メイド喫茶ですと!?」

 それにいち早く反応したのが目金だった。ガタンと椅子を鳴らして立ち上がり、興奮ぎみに人差し指で眼鏡を上げている。それとはとても対照的に、夏未ちゃんは何それ、と興味なさげにつぶやいた。目の据わっている彼女の言いたいことが、手にとるようにわかる。

「メイド喫茶って、お帰りなさいませご主人様っていうアレ?」
「なんですか名字さん、そのぞんざいな説明は?」

 目金がきっと目を吊り上げる。さっきからなんで目金はこの話題に食い気味なんだろうと思っていたら、目金欠流先生の高尚なメイド喫茶解説が始まってしまった。

「いいですか、メイド喫茶というものは、いわゆるコスプレ系飲食店の一種です。メイドに扮したウェイトレスが、客を邸宅の主人に見立てて使用人のように振る舞い、接客する。名字さんが言ったのは、一般の店で使用されるいらっしゃいませにあたる業務挨拶が、メイド喫茶風にアレンジされた定型文句です。最近ではメイドの他にもかなり様々な種類のコスプレ喫茶が点在していますが、やはりメイドがコスプレ喫茶の原点であり頂点であると僕は考えます。最近では海外にもどんどん展開されていますから、これは日本の立派なサブカルチャーのひとつと言えるでしょう」

 長い。そして長い。
 わたしがうんざりしながら顔を上げると、みんなは目金のメイド喫茶論なんて聞いちゃいなかった。仕方なしでも聞いていたのはわたしだけだったらしい、なんだか裏切られた気分だ。

 最弱と言われているわりに準々決勝まで勝ち残っているのが気になるけれど、大事な試合前にもメイド喫茶に入り浸るようなチームに、尾刈斗中は負けないのではないか。これがみんなが話している内容だった。一理ある。
 秋葉名戸学園のことはよく知らないけれど、あの不気味な尾刈斗中のことは記憶に新しい。またあそこと試合をするのか、と思うと、ぶるりと悪寒が走る。ものすごく嫌だ。嫌だけれど、仕方ない。

「大変です!」

 そんな声とともに、部室のドアがバタンと大きな音を立てて開かれた。春奈ちゃんが息を切らして、深刻そうな顔をして立っている。おかえり、と呑気に声をかけようとしたけれど思いとどまった。

「今準々決勝の結果が入ってきたんですけど、尾刈斗中が……!」


 負けたらしい。
 一瞬静まり返った室内が、全員の驚きの声で途端に騒がしくなった。

「最弱チームじゃなかったのかよ?」
「でも、僕らもついこの前までは最弱だったんですし…」
「メイド喫茶に行きつつ、ものすごい特訓してるのかも」
「どんなんだよ」

 憶測の会話が飛び交う。わたしは尾刈斗中が負けたという事実に驚きながらも、もう彼らとは戦わなくて済むという事実に場違いな安堵を覚えていた。
 すると先程から立ち上がったままの目金の力強い声が響く。こんなに生き生きとした目金を、わたしは初めて見た。

「これは行ってみるしかないようですね、メイド喫茶に!」
「はあ?」
「秋葉名戸学園とやらがあの強豪尾刈戸中を破ったのにはきっと訳がある。僕はその訳がメイド喫茶にあると見ました。行きましょう、円堂くん!」
「目金が行きたいだけじゃん」
「名字さん、人聞きが悪いですよ。これは試合を有利に進めるための情報収集なのです!」

 試合のためだなんて言われたら、円堂だって行く気になってしまうじゃないか。
 案の定俄然行く気になった、単純な我らがキャプテン・円堂守を止められる者は誰もいなかった。わたしたちマネージャーは一歩引いたところで盛り上がるその様子を眺めつつ、早速出かけようとするみんなの背中を見送った。わたしは目金のような高尚なメイド喫茶信者が増えぬことを、ただ祈っていた。


 


 その日のうちに帰ってきた円堂たちは、揃いも揃ってなんだか気の抜けた顔をしてした。目金以外は。わたしはメイド喫茶信者が増えていないことにほっと胸をなで下ろしている。

 みんなの報告によると、秋葉名戸のチームはいわゆるオタクと呼ばれる人たちの集まりで、メイド喫茶に存在していた隠し部屋に入り浸ってゲームをしていたり漫画を描いていたり、サッカーをしている気配なんてまるでなかったそうだ。確かに話を聞く限り、あんまり体力もなさそうだと思うのは偏見だろうか?目金は、共通の趣味を語り合える相手が見つかってとても嬉しそうにしていた。
 それから報告の中に、染岡がメイド喫茶で“ピンクのときめきミルクティー”を注文していたという証言が土門からこっそりと上げられ、2人で大爆笑していたら染岡に見つかった。その後どうなったかは、察してほしい。

 とにかく、秋葉名戸がそんな感じなので、みんなも練習にあんまり身が入らないみたいだった。なんか、勝てるんじゃね?っていう雰囲気。
 わたしも実際目にしたわけではないから何とも言えないけれど、油断だけは禁物だと思うのだ。どうにもこうにも緊張感のないこの空気は、致し方ないものがあるけれど。


To:豪炎寺
Sub:染岡が
本文:メイド喫茶でピンクのときめき
ミルクティー飲んだんだって 爆笑


From:豪炎寺
Sub:Re:染岡が
本文:練習しろ


 


「おかえりなさいませ!」

 色で例えるなら、可愛らしいピンク色。そんな声色でわたしたちを迎え入れてくれたのは、可愛らしいメイド服に身を包んだメイドさんたちだった。

 準決勝当日。秋葉名戸学園は都会のビル街の中にある学校で、開放的なグラウンドからはむき出しのコンクリートジャングルがのぞいていた。
 グラウンドに着いた途端、唐突にわたしたちマネージャーに突きつけられたのは、彼女たちが着ているようなメイド服だった。フリルのあしらわれたエプロンドレス、胸元の赤いリボンに、レースのヘッドドレス。1人1人微妙にデザインが違って、かなり凝った作りになっている。けれど、冷静に衣装を分析している場合ではなかった。

「マネージャーはメイド服の着用をお願いします」

 語尾にはハートマーク。世の一部の男性たちが、こぞってメイド喫茶に通いつめる理由がちょっとだけわかった気がした。

「……これを私に着ろと?」
「我が校における試合では、マネージャーはすべてメイド服を着用ということになっています」
「誰がそんな決まりを作ったのよ!」
「店長、いえ監督が!」

 メイドさんが指をさしたのは、まるまると太ったお腹を抱えるように座って、むしゃむしゃと無言でスイカを頬張っている男性だった。サッカー部の監督の傍ら、円堂たちが行ったメイド喫茶の店長を務めているらしいけれど、どっちが本業かわかったもんじゃない。

「私、メイド服って一度着てみたかったんです!」
「私も!かわいいわよね」

 楽しそうにはしゃぐ春奈ちゃんと秋ちゃんの隣で、わたしはかなり困惑しながら、無理やり押し付けられたメイド服を眺めていた。とても可愛らしいんだけれど、わたしはどちらかと言うとこれを着ている春奈ちゃんたちを見て、カワイイと称賛しながら楽しみたい。写メも撮りたい。
 夏未ちゃんは絶対に着ない、という意志を固めたのか、不機嫌そうに腕を組んでいる。わたしは高貴な女王さまを思い浮かべた。女王さまに仕えるのがわたしたち平民の役目であるのに、女王さまに召し使いの装いをさせるなんてなんてこと!――でも、夏未ちゃんは絶対に似合うと思うし、きっとそれはわたしの眼福になる。

「更衣室はこちらです」
「さ、名前先輩、夏未先輩、行きますよ!」
「大丈夫よ、きっと楽しいから!」

 秋ちゃんのなんの説得力もない言葉に軽く眩暈を覚えながら、わたしと夏未ちゃんは身ぐるみを剥がされるかのごとく強引に着替えさせられた。わたしだって女の子だから、かわいい服を着たら嬉しくだってなるものだと思っていたけれど、これはなかなか恥ずかしいものがあった。苦笑いを浮かべる。
 こそこそと隠れるようにして更衣室から出ると、秋葉名戸の選手のみなさんによる、雷門のメイドたちの撮影会が行われていた。瞬くカメラのフラッシュの眩しさったらない。夏未ちゃんの目が完全に据わっている。
 3人の分焼き増ししてくれませんか?と頼んでみると、親指をぐっと立てて快くオーケーをしてくれた後に、とても自然な流れで写真を撮られた。なんて鮮やかな手つきだろう、思わず感動してしまう。

「わあ、みなさん似合ってますね!」
「ギャアアア少林くん!!」

 半田あたりに気づかれないうちに着替えてしまおうと忍び足で更衣室に向かっていると、アップを終えたのか陰から急に少林くんが現れて、わたしは驚いて声を上げた。

「名字先輩かわいいですね!」
「ありがとう少林くん…少林くんのほうがかわいいよ……」

 いい子だ。少林くんの純真無垢な可愛らしさにキュンときてその頭をなでていると、「少林、何やってんだ?」と言って、トイレにでも行っていたのか、廊下の角から最悪のタイミングで半田が登場した。なんということだろう。

「うっ、」
「うわ、びっくりした。誰かと思った」
「こ、殺してくれ……いっそ殺せ……」
「名字先輩似合ってますよねえ」

 少林くん、もういい。わたしは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。恥ずか死ぬとはこのことだ。半田の視線が痛かった。
 いっそのこと、お前似合わねーなあと馬鹿にしてくれたらいい。それはそれで腹が立つかもしれないけれど、この服を脱ぐきっかけになるならそれでもよかった。

「うん、悪くないんじゃね?」

 何を満足そうな顔をしているのか、半田の頭を殴りたくなった。顔から火が出そう。ジャージが恋しい。


20130704
20141121 加筆修正
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