夏と羊と神様とわたし | ナノ


 華奢な目金には少し大きかっただろうか、と思いながらユニフォームを拾い上げる。砂埃を払いながら木の陰に立っている人物を振り返れば、そこにいたのはやっぱり豪炎寺だった。豪炎寺はわたしの手の中にあるエースナンバーをじっと見つめている。

「あっやっぱり豪炎寺」
「……」
「あっちからじゃあんまり見えなかったけど、なんかツンツン頭の人がいるなって思ってたんだ。多分豪炎寺だろうなーって」
「……」
「試合応援に来てくれたの?それとも、」

 わたしが言葉を区切ると、豪炎寺は視線をユニフォームからわたしに映した。無表情とはどこか違う真剣な表情。ちょっと目つきは悪いけれど、鋭く強い瞳だ。それはあの日、まこちゃんを助けに河川敷に飛び込む前に見せたそれとよく似ていた。
 わたしは無意識のうちに夕陽に照らされた豪炎寺の背中を思い浮かべる。すっかり目に焼き付いてしまった彼の姿を、わたしはきっと忘れることができない。

「名字」
「ん?」
「それを、貸してくれ」

 初めて名前で呼ばれたなあ、と取り留めもないことを考える。何も言わずにユニフォームを差し出すと、豪炎寺も何も言わずに受け取った。そこに余計なやりとりは必要なかった。
 ユニフォームをつかんだまま動かずにじっとわたしを見つめる豪炎寺に、わたしは着替えないの?と首をかしげる。

「お前は人の着替えを見るのが趣味なのか?」
「……はっ!?」
「冗談だ」

 真顔で言うな。
 全然キャラじゃない豪炎寺の冗談に一瞬うろたえてしまったのは少し悔しいけれど、だんだんとおかしくなってきた。頑張ってねとだけ告げて、わたしは急いでベンチに戻った。


 帝国の得点表示が20点に変わるのを横目にベンチまで戻ると、「あれ?ユニフォームは?」と手ぶらのわたしを見て秋ちゃんが不思議そうな顔をする。大丈夫だよ、とまるで答えになっていないわたしの返事に秋ちゃんはますます首を傾げていたけれど、突然周囲がざわめきに包まれたことに気がつきはっとした表情になった。
 誰だ、あいつ?そんな声が方々から聞こえてくる。周囲の視線の先を追えば、着替えを終えた豪炎寺が颯爽とグラウンドに向かって歩いてくるのが見えた。秋ちゃんも春奈ちゃんも、そして円堂もみんなもただただ目を丸くしている。ゴーグルマントくんだけは笑っていたけれど。

 試合中のグラウンドにやって来た豪炎寺を見て、冬海先生は慌てて「彼はうちのサッカー部じゃありません!」と止めに入る。待ち構えていた豪炎寺の登場に気分を良くしたゴーグルマントくんが許可すると、審判も選手交代を認めた。

「遅すぎるぜ、お前!」

 嬉しそうに駆け寄る円堂がよろけると、豪炎寺がそれを支えながら少し困ったように笑った。仕方ない、だってヒーローは遅れて登場するものだから。
 豪炎寺を見て、みんなも満身創痍ながらだんだんと立ち上がっていく。大丈夫だ、まだやれる。そう言っているように見えたし、その顔には期待とやる気が混じりあった笑顔が浮かんでいた。


 試合が再開する。すぐにボールが奪われ、帝国がデスゾーンの体制に入る。それと同時に、豪炎寺は今いる場所とは逆の、帝国ゴールに向かって走り出した。
 デスゾーンが放たれる。凄まじいボールは円堂へと真っ直ぐに向かっていく。円堂はボールを睨みつけて、勢いよく右手を突き出した。

 輝く大きな手のひらのオーラ。吸い込まれるように、ボールが円堂の手に収まっていく様子が、まるでスローモーションのように感じられた。わたしは息を呑む。円堂のおじいちゃんの芸術的ノート、その中にあった、わたしが唯一読めたあの文字が脳裏に浮かぶ。ゴットハンド。
 円堂がついに帝国のシュートを止めてみせた。日々の練習の成果が実ったのだ。わたしたちは飛び上がって喜んだ。円堂がニカッと歯を見せて笑う。

「行け、豪炎寺!!」

 円堂はつかんだボールをそのまま帝国ゴールをめざして走る豪炎寺に向かって投げる。それを受け取った豪炎寺は自身でボールを高く上げ、回転をしながら叩き込むように炎をまとったボールを蹴った。オレンジ色に燃え上がる炎が強く目に残る。豪炎寺のファイアトルネードというシュートは、力強くゴールに突き刺さった。

 雷門が1点を取り返した。

 ややあって大きな歓声が沸き上がる。わたしも興奮して、秋ちゃんと春奈ちゃんと一緒に手を取り合って雷門の初得点を喜んだ。やっぱり豪炎寺はヒーローなのかもしれない。初ゴールと豪炎寺の登場で2倍に嬉しくて舞い上がっていたら、膝をベンチの角に強打して痛みに悶絶することになった。

「たった今帝国学園から試合放棄の申し出があり、ゲームはここで終了!」

 膝を抱えてうずくまっていると審判からそんな声がかかり、思わず間抜けな声を上げる。既に帝国は撤退し始めていて、また大きな唸り声を響かせながら軍艦が去っていく。暴れるだけ暴れて帰っていき、まるで嵐のような人たちだったなあと他人事のように思う。
 得点的には惨敗だけれど、試合放棄となればこれは実質雷門の勝利になるらしい。弾けるような笑顔を浮かべてベンチへと戻ってくるみんなに、わたしも笑わずにはいられなかった。わたしが秋ちゃんに氷をもらって膝を冷やしているのを見て「なんでお前が怪我してんだよ」と呆れたように笑う半田に頭を小突かれたけれど、ちっとも痛くなかった。


 


 勝利の興奮冷めやらぬわたしたちは、すっかり陽の傾いたグラウンドの中心に集まっていた。膝はもうあまり痛くないけれど、ぶつけたところはうっすらと青痣になり始めている。

「これで新星雷門サッカー部の誕生だ!豪炎寺、これからも一緒にやって行こうぜ!」

 円堂がそこまで言ったところで、豪炎寺は突如ユニフォームを脱ぎ出し円堂に投げ渡した。さっきわたしに人の着替えを見るのは悪趣味だみたいなことを言っておいて、自分は大勢の人がいる前で服を脱ぎ出すとは……ぽかんとしているわたしたちに向かって、豪炎寺は「今回限りだ」と言ってくるりと背中を向けた。ヒーローは多くを語らない。円堂は豪炎寺の背中を見つめながら、笑ってお礼を言った。

「さあみんな、見ろよこの1点!この1点が雷門の始まりさ。この1点が、俺たちの始まりだ!」

 円堂の掲げた声に同調するように、それぞれが声を上げる。わたしたちも同じように声を上げて笑い合った。廃部は免れたし、みんなはこれからもサッカーができる。それがすごく嬉しいし、みんなが嬉しそうにしているのがわたしも嬉しかった。今回の始まりは、今までの始まりとは違う全く新しい始まりだ。

 やっぱり、“なんだか大丈夫”だったね。そう言えば、秋ちゃんは目を細めて笑った。


20130123
20140623 加筆修正
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