夏と羊と神様とわたし | ナノ


 看板片手に学校中を駆け回ったはいいものの、すれ違う人々のつれない返事や態度に少しだけめげそうになっていたらいつの間にか下校時刻が近づいていた。部室に置いていた荷物を取りに戻るとそこはもぬけの空で、ひっそりさびしい空間が漂う。ああ、全然使わないからホワイトボードが埃をかぶっている。掃除しないと、そう思ったけれど下校のチャイムに急かされて、わたしは急いで着替えを済ませて学校を出た。
 今日は鉄塔広場かなあと円堂の練習する姿を思い浮かべながらペダルを漕ぐ。稲妻KFCの子どもたちの練習がない日には、円堂は鉄塔広場で、昔雷門中サッカー部の監督をしていたという今は亡き円堂のおじいちゃんが残したノートに書かれている練習メニューに励んでいる。作戦や必殺技の極意などが書かれていて、ものすごく貴重かつ重要なノート。円堂のおじいちゃんは芸術的センスがずば抜けていてわたしには何が書いてあるのか全然わからないけれど、孫である円堂はおじいちゃんの血を受け継いだのか解読できるみたいだった。

 日が傾いていく。オレンジの夕焼け空を見て思い浮かんだのは、昼休みに飲んだオレンジジュース、円堂のヘアバンド。宍戸くんのもじゃもじゃ頭、陸上部のユニフォーム。それから、夕陽のまぶしい光を背にした豪炎寺。

「前を見て運転したほうがいいぞ」
「うおおっ!?!?」

 突然かけられた声に驚いて女子らしかぬ声を上げ、急ブレーキをかけたわたしを相変わらず愛想のない表情で見つめているのは、たった今し方思い浮かべていた豪炎寺だった。よそ見運転をしていたわたしも悪いけれど、驚くから急に声をかけないでほしい。
 道のど真ん中に突っ立ってわたしの通行妨害をしている豪炎寺に「こんなところで何してんの?」と尋ねたら、別に。と味気ない答えが返ってきた。本当に道に突っ立ってただけだったのだろうか?変なの。

「わたしはこれから円堂の練習の様子見に行くところ!」
「(……聞いてないのにしゃべってきたな)」
「豪炎寺も行く?鉄塔広場から見る夕日、すごくきれいなんだよ」
「……それならもう行った」
「えっ、なんだそうなの?じゃあ円堂にも会った?」
「……ああ」

 いまいち歯切れの悪い返事。何かあったのかな?と首を傾げていたら豪炎寺が何事もなかったかのようにわたしの横を通り抜けていこうとするので、咄嗟にどこ行くの?という疑問が口をついて出た。「家に帰る」ああ、そう。


 


「……というわけで、染岡にトイレの場所教えてもらってなんとか事なきを得たんだよね。あのときは焦ったなー!そうそう、そのあとに円堂と秋ちゃんと3人でサッカー部作ろうってなってね、部室の掃除から始めたんだけどものっっすごい汚くて!わたしの部屋より汚いの」
「……」
「でも掃除って楽しいよね。わたし雑巾がけ競争の速さプロ級なんだけど、今度教室掃除のとき豪炎寺に勝負挑むね!あ、それかあれでもいいよ、あのー、箒逆さまにして柄を手のひらにのせてバランスうまく保つやつ。あれでどっちが長く持てるか競争しようよ」
「……」
「前東くんと白熱の戦いを繰り広げてたらいきなり円堂に声かけられて、吃驚してバランス崩して箒がそのまま染岡の頭にスコーン!って当たっちゃってね…一緒になってやってたくせに東くん薄情者だから助けてくれなくって、それはもうひどい目に遭った……」
「…お前、」
「え?何?」
「鉄塔広場に行くんじゃなかったのか」

 豪炎寺が心底疲れた、みたいな表情をしてわたしを見る。転校初日だし、やっぱりいろいろと疲れたんだろう。早く帰って休んだほうがいいんじゃないかな。

「どうせなら豪炎寺と一緒に帰ろうかと思って。豪炎寺大丈夫?疲れてる?後ろ乗ってく?」
「遠慮する。まだ死にたくないからな」
「どういう意味だよ」

 豪炎寺は用心深い。
 歩いているうちに「お前本当に家はこの方向なのか?」と疑われたけれど、間違ってもストーカーじゃないのでそんな心配はしないでほしい。失礼しちゃうわ、と眉をひそめていたら、通りすぎる予定だった稲妻病院に向かって豪炎寺が真っすぐ足を進めていくのでわたしは驚いて追いかけた。えっ、豪炎寺どうしたの?風邪?怪我したの?と聞いても豪炎寺は無言でさっさと歩いて行ってしまう。さっき家に帰るって言ったのは豪炎寺なのに。

 受付も済ませずに病室棟へ向かう豪炎寺を見て、誰かのお見舞いなんだろうかと思い至った。そうだとすれば全く無関係なわたしがここにいるべきではないし、声だけかけて立ち去ろうかと考えていたとき、豪炎寺がある病室の前で足を止めた。表札には豪炎寺夕香、と書いてある。
 豪炎寺がドアを開ける。立ち尽くしていたら、あっさり「入れよ」との許可が出た。少しだけ考えてから、わたしは頷いて静かに病室に足を踏み入れる。

 病室の窓際にひとつだけ置いてあるベッドに、小さな女の子がひっそりと横たわっていた。

「夕香っていうんだ。俺の妹だ」

 ベッドの近くの丸椅子に腰かけた豪炎寺が低い声で呟いた。わたしは黙って豪炎寺の言葉に耳を傾ける。
 去年のフットボールフロンティアの決勝戦の日。木戸川清修中の選手として出場する豪炎寺の応援に行く途中、夕香ちゃんは交通事故に遭ったそうだ。試合の直前に夕香ちゃんの事故を知らされた豪炎寺はすぐに病院に向かったから、試合には出なかった。結果は木戸川清修の負け、そして夕香ちゃんは眠り続けたまま。豪炎寺のお父さんがこの病院に勤めているから、その都合で豪炎寺は雷門に転校してきたらしい。

「俺がサッカーをしていたせいで夕香は事故に遭った」

 だから俺は、夕香が目覚めるまでサッカーはやらないと決めた。
 そう告げた豪炎寺の背中からは、今彼がどんな表情をしているのかはわからない。開いた窓から小さな風が入り込んで、カーテンがゆらゆら揺れている。

 それは違うよ、と思った。


「わたし、1人っ子なんだ」
「……?ああ」
「お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しくてさー、優しくてゲームとか一緒にやってくれる頼りになるお兄ちゃんとか、洋服の貸し借りとかして一緒に買いもの行ってくれるお姉ちゃんとか」
「……そうか」
「夕香ちゃん羨ましいなあ。こんな優しくてサッカー上手くて妹思いなお兄ちゃんなんだから、きっと夕香ちゃんも豪炎寺のこと大好きなんだろうね」
「……」
「だから多分、大好きなお兄ちゃんが自分のせいでサッカーやめちゃったなんて知ったら、悲しいんじゃないかな。好きなこと我慢して、辛そうな顔して、そういうの知ったら多分、悲しいと思う、の、だよ」

 だんだん自分が何を言っているのかよくわからなくなってしまって、語尾がおかしくなりキャラが迷子になった。関係のないわたしが口を挟むことじゃないのはわかっているのに、ああやってしまったなと苦い気持ちになる。ごめん、と謝ると、豪炎寺はただ首を横に振った。
 
 もうすぐ日が沈む。窓の外を見て、わたしは鞄を持ち直した。

「わたし帰るね」
「ああ。悪かったな、付き合わせて」
「えっ!?いやむしろこっちこそごめん…また改めてお見舞いくるね」

 また明日ね、と豪炎寺の背中に声をかけて、わたしはくるりと踵を返す。何も考えずに豪炎寺の後ろをついてきただけだから、迷わずに出口にたどり着けるだろうかと思案していたら、言おうと思っていたことを思い出してわたしは思わず「あっ」と声を上げた。

「夕香ちゃんの目元、豪炎寺にそっくりだね」

 ドアに手をかけながらそんなことを言ったら、豪炎寺は病室に入ってから初めてこちらを振り向いた。困ったように笑っていた。


20121023
20140608 加筆修正
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