「アメリカから来ました一之瀬一哉です。よろしく!」


 ウインクをしながら二本の指を立てて語尾に星でも飛ばしていそうな自己紹介をかましたアメリカ帰りの転校生は、なんというか、とても爽やかであった。

 女子の黄色い歓声に包まれながら空席だったわたしの隣の席に着いた一之瀬くんは、これからよろしくねと言ってわたしにまたウインクをしてみせた。そのときやけに女子の視線が痛かった気がしたのだが、ポジティブなわたしはこのとき彼にウインクでも返した方がいいのだろうかということを一生懸命考えていた。結果、やめた。そもそもわたしウインクできなかった。無駄に爽やかだなあなんていろんなことを考えていたら返事をするのが遅れてしまったので、焦ってこ、こちらこしょよろしく!なんて言ってしまった。噛んだ。







 それから一ヶ月。一之瀬くんとは着実に仲良くなっていた。転校初日に彼がサッカー部に入部するということを聞いたので、あ、そうなんだーわたし去年円堂とか木野さんとかと同じクラスだったよーなんてことを言ったらサッカー部の話を中心に予想外に盛り上がったのである。わたし全然サッカー部知らないけど。聞けば一之瀬くんと木野さんと土門くんはアメリカ時代からの幼なじみらしい。木野さんも帰国子女だったのか…!英語の成績良かったもんね。でも木野さんその他も成績優秀だったなあ。そういえば土門くんって誰?って聞いたら、デカくて細くてくびれてるやつだよ、という返答が返ってきたので、どんな説明だよとか思ったけど土門くんはほんとにデカくて細くてくびれていた。腰つきやばいねセクシーだね!と言ったら一之瀬くんは爆笑していた。

 とまあこんな調子で毎日いろいろな話をしていたら、自然に打ち解けていったのだ。一之瀬くんの印象は転校当時から爽やかボーイのままなのだが、時折授業中に消しピンで勝負しようなどと言い出してくるので実は結構アホなんじゃないかと思ったりもする。だがわたしもノリノリで応戦するのでアホなのはわたしも変わらなかった。







 そんなある日のことだ。掃除当番組がせわしなく教室で箒を振り回して遊んでいる中、わたしは席に座って日誌を書いていた。日直だったのである。うちのクラスの日直制度は隣の席の男女二人ずつで行うなんて可愛らしいものではなく、席順で一人ずつ順番が回ってくる。そして窓際の一番後ろの席の人が日直を終えたら席替えをする。その繰り返しだ。一人でやる分もちろん仕事の量も多いから、この制度にした担任はどういうつもりなんだと憤りを感じる。感じるが、やるしかない。やばい今日の連絡事項ってなんだ。思い出せない。
 すると一之瀬くんがひょっこりとやってきて、わたしの前の席に座り話しかけてきた。ユニフォームに着替えている姿を見ると、どうやらこれから部活のようだ。

「日直?大変だね」
「そうだようちのクラス全部一人でやんなきゃいけないから。一之瀬くんも来週だよ」
「げ、そっか。いろいろわかんないから名字教えてよ」
「……うん」
「……何その間」
「いえ決して面倒とか思ったわけじゃなく」
「思ってたんだろ」

 そう言って一之瀬くんは笑う。わたしはこの軽いやりとりが好きだ。素直に楽しいと思える。

「…あ、でもそうか」
「なにが?」
「俺に日直回ってきたら席替えするから、名字とも席離れちゃうな」

 そうか。そうだ。一之瀬くんは窓際の一番後ろの席だから、一之瀬くんで日直は一巡する。そうなると、こんなふうに話すことも少なくなってしまうんだろうなあ。

「寂しいなあ」
「えっ」
「だって、もうこんなふうに話す機会も減っちゃうし」

 くるくると水色のシャーペンを回しながらそう言った。一之瀬くんは男子からも人気だし、あ、いや変な意味じゃなくて、まだ転校してきてから一ヶ月しか経ってないのに友達も多いし、もっともっとたくさんの人と仲良くなるだろうから、わたしと話をする余裕なんてないんじゃないだろうか。モテ男って大変だなあ。
 一之瀬くんがなにも言わないから、まあそりゃお前となんかもう話さないわな、みたいな雰囲気になってたらどうしよう気まずいと思って顔を上げたら、一之瀬くんの表情が想像してたのとちょっと、いやだいぶ違ったから、吃驚してシャーペンを落とした。どんな表情だったのかというと、口をへの字に曲げて眉をひそめて、すねているように見えたのだ。

「なんでそうなるんだよ」
「へっ」
「なんで俺が名字と話さなくなること前提なんだよ」
「え、いやだって…………うんごめん…」

 なんか謝ってしまった。でもその言い方はつまり、これからも仲良くしてくれるってことかな?だとしたら嬉しいけど。
 わたしの発言は彼の機嫌を損ねてしまったらしく、彼は唇を尖らせてつーんとそっぽを向いてしまった。手間のかかる子だ。いやかわいいんだけどさ…

「えっと、じゃあ、これからもよろしくね一之瀬くん」
「……ん」

 よし、仲直りだ。別に喧嘩してないけど。

 わたしはシャーペンを握り直して日誌のページに目を落とした。そして思い出した。今日の連絡事項の欄をまだ埋めていなかったということを。

「一之瀬くんごめん、今日の連絡事項ってなんかあったっけ?」
「うんあったよ」
「教えてくれる?」

 一之瀬くんの言葉を聞き取りながらペンを走らせようとしたので、わたしは再び日誌に目を落とす。すると一之瀬くんが「俺さ、」と今日の連絡事項とはあまり関係の無さそうな話を始めたので、何事かと思い顔を上げた。

「名字が全然気づいてなさそうだから言うけど」
「うん」
「俺、名字のこと好きだよ」
「うん。……うん?」

 今度は床にシャーペンを落とした。視界の端にちらりと水色が残る。シャーペンって床に落としたら中の芯ぼきぼきに折れるから、できれば落としたくなかったんだけど。
 一之瀬くんは「それが俺からの今日の連絡事項」とかなんとか言っているけど、別に全然上手くない。そしてわたしは、多分相当間抜けな顔をしていたんじゃないかと思う。一之瀬くんがぶはっと吹き出して、じゃあ俺部活行くね、と言って席を立った。何がそんなに楽しいのか嬉しいのか、一之瀬君はものすごい笑顔だった。何故。

 エナメルのスポーツバッグをひっつかんで、足取りも軽やかに一之瀬くんは教室を出て行った。

「……今日の連絡事項……」

 教えてから行ってほしかった。なんて、今考えるべきことではないのは理解している。だけど先程の、今でも鮮やかに蘇るあのワンシーンを思い返すと、顔の熱がおさまらなくてどうにかなりそうなのである。


 早く席替えしたい。



20120730
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