冬休みの課題図書として指定された本一覧の中から一番薄くて簡単そうだからという理由で選んだ本を、三学期が始まってしばらくしたころに図書室から延滞通知が来てまだ返していないことに気づいた。あんたまだ返してなかったの、と友人に呆れた顔をされたけれど、課題は冬休み最終日に無事に終わらせていたしこれくらいたいした問題ではないと思うのだ。

 昼休みに借りた本を返しに行こうとお弁当を早めに食べ終えて席を立った。体育館や校庭にバスケやらサッカーやらをしに行く男子が大勢いるため、昼休みの教室は女子の割合が7割を占めることになる。男子はごはんを食べたあとにあんなに運動をしてお腹痛くならないのかな。
 教室の真ん中のほうでは少し派手な女の子たちのグループが鏡をのぞき込みながらお化粧直しをしている。窓際の隅っこに座っているわたしたちの仲良しグループは、今は昨日の夜のテレビドラマの話をしている。なんでも人気のイケメン俳優が出演しているらしいのだけれど、その演技が下手くそなんだそうだ。かっこいいともてはやしていてもこういう面で辛口な友人に笑いながらわたしは教室を出た。

 図書室へ向かう廊下に差し掛かると、途端に辺りは静寂に包まれた。遠くのほうでざわめきがぼんやりと聞こえる。廊下では窓から差し込んだ日差しを受けて宙を舞う埃がきらきらしていた。
 図書室の重たいドアを開けるとそこには誰もいなかった。図書当番の男の子が眠そうにカウンターに座っているだけだ。その男の子に本のバーコードを読みとってもらい、元の場所に返しにいく。場所は全く覚えていなかったがなんとかなるだろう。







 そしてうろつくこと五分。如何せんこの学校の図書室は広く、わたしは未だにたどり着けないでいた。面倒くさがって流しながら見ていたのがいけなかったのかもしれない。今きたところをちょっと戻ってみようか、と踵を返したとき、突然

「手前の右から二番目の棚の一段目」

 という声が背後から聞こえた。驚いて振り向くと、座って本を読んでいる同じクラスの涼野くんがいた。
 涼野くんは読んでいる本から視線を上げることもしなかったので、今し方発せられた声は彼のものではなかったのかと首を傾げていると、彼は顔を上げずにもう一度「手前の右から二番目の棚の一段目」と口を開いた。
 慌てて言われたとおりの棚を見ると、確かに同じ本のシリーズが所狭しと並べられていた。少し背伸びをして本を元の場所にしまい、再び振り返ると彼はやはり本を読んでいた。しかもとても分厚くて難しそうなものだったので思わず顔をしかめた。

「涼野くんありがとう。すごいね、なんでわかったの?」
「毎日ここに来ているからね」

 だから自然に覚えたんだ、という涼野くんはその分厚い本をぱたんと閉じた。本の上に置かれた手を見て、きれいな手だなあと思った。男の子なのに。涼野くんって何部だっけ。サッカー部か。確か隣のクラスの南雲くんと幼なじみだってみんながさわいでたなあ。仲はあまり良くないらしいけれど。

「えっ読み終わったの?」
「昨日の夜から読み始めたんだけどなかなか面白かったよ。まさか君も読むのかい?」

 まさかってなんだよ。読まないけど。驚いた顔をする涼野くんに慌てて首を振って、こんなに厚い本を昨晩から読み始めてもう読み終えるなんてとてもすごいと思った。わたしなんて実をいうとさっき返した本はぱらぱらとしか読んでいなくて、課題のレポートはあとがきと裏表紙のあらすじを見て適当に書いただけなのに。

 と、ここまで話しておいてなんだがぶっちゃけわたしは涼野くんと話したことが過去に数回ほどしかない。話したと言っても席が近くなってプリントを回すときにちょっと言葉を交わしたりだとか、ぶつかって謝っただとかその程度である。ちなみにぶつかったのは友達と話していて爆笑していたら涼野くんがいたことに気づかずにドンッとやってしまったからだ。
 涼野くんはその眉目秀麗さから女の子から絶大な人気を誇っているのにも関わらず、騒がれるのが嫌なのか黄色い歓声が上がると眉間に皺を寄せて不機嫌にしているし、大抵はひとりでいることが多い。だからわたしは涼野くんにぶつかるわうるさいわで、本もまともに読まない馬鹿女とでも思われているんじゃないかと思っていたから、こうして普通に会話をしてくれていることに少し驚いている。

 涼野くんは本を返しにカウンターまで歩いていき、やる気のなさそうな図書当番の男子に手続きをしてもらったあと、手に持っていたもう一冊の本の貸し出し手続きもしてもらっていた。涼野くんは本をたくさん読むから難しい言葉も知っているんだろうな。

「今度はなんの本?」
「哲学の本だよ」

 わたしの反応を見て涼野くんはくすりと笑って、慈しむように本の表紙を撫でた。本が好きなんだな。本なんて全然読まないし、開いたところですぐに眠くなってしまうようなわたしには未知の感覚なのだろうけれど、わたしは涼野くんのその指と優しい顔がとても好きだと思った。涼野くんのファンの女の子たちは涼野くんのこんな顔きっと知らないんじゃないかな。そう思うとなんだか優越感を感じた。

「涼野くん、すごく優しい顔で笑うね」

 冷たい人だなんて思ってて申し訳ないと思った。突然なにを言い出すんだと顔を歪めることもなく涼野くんは少しだけ笑った。きれいな顔の人が笑うとそれだけでものすごい破壊力を持つことがわかった。高貴な美術品でも見ている気分だ。人のことをものに例えるのは失礼かもしれないけれど、思わずどきっとしてしまった。これじゃ騒ぎたくなる女の子の気持ちもわかる。
 涼野くんは静かな館内を見回して、それから微かに微笑みながら口を開いた。

「君もね」
「え?」
「ころころ表情が変わって、いつも見ていて飽きないよ」

 涼野くんはわたしを真っすぐ見据えている。わたしはなんとなく目をそらせずにいた。

「君がプリントを回すとききちんと体ごと後ろに向けてくれることだとか、とても楽しそうに笑うことだとか、ごめんなさいがきちんと言える人だということも」

 わたしは驚いて涼野くんを見つめた。涼野くんは微笑んだままだ。

「いつも見ているから知っているんだ」

 もうすぐ昼休みが終わるから教室に戻ろうか、と涼野くんは何事もなかったかのように本を抱え直して図書室を出て行こうとしているが、わたしは俄然パニック状態である。なんだか涼野くんにとってはすごくナチュラルに事が運んでいるが、どう考えてもおかしい。なんか今絶対聞き捨てならないこと言った。

「す、涼野くんちょっと待って!」
「ん?」
「え、いやあの、今のどういう意味…?」

 聞いてから少し後悔した。どういう意味もなにも、ただ単にいつも騒がしいから視界に入ってしまうだけのことかもしれないのに。期待をしているというニュアンスが含まれた問いかけに恥ずかしくなった。けれど。

「自分で考えてみなよ」

 いつも見ているから。そう言った涼野くんの表情は、愛おしそうに本を撫でたときの、あの優しい表情だったのだ。まるで大切なものを見るときのようなあの柔らかな表情でわたしを見るものだから、わたし自身がなんだか涼野くんに大切にされているような錯覚に陥ってしまったのだ。自分でも馬鹿だなあと思うし、自惚れているのかもしれないとも思う。でも心の奥底には、勘違いではないと根拠もない確信を抱いているわたしがいるのだ。
 わたしは顔の熱が上昇していくのがわかって涼野くんを早く教室に戻ろうと急かした。顔を見られたくなくて下を向きながら歩いているけれど、涼野くんにはばれているんだろう。またくすりと笑っているから。きっとこれからはわたしが涼野くんのことをいつも見てしまうんだろうなあと、そう遠くない未来を予想して心拍数が上がった。



20130127 企画ラララ様提出
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