親友であり幼なじみでもある秋が血相を変えて第一音楽室に飛び込んできたのは放課後の部活の休憩中でのことだった。第一音楽室はわたしが所属する吹奏楽部の活動場所であり、今日も夏の大会に向けてみんなで練習にいそしんでいたところだ。休憩中の和やかな雰囲気の中突如開かれたバアン!!というドアの音と「名前ちゃん!」と叫ばれた自分の名前にどんな緊急事態かと思わず身構えたわたしに、秋は肩で息をしながら震える声でわたしにこう告げたのだ。

「一之瀬くんが…っ一之瀬くんが帰ってきたの!!」

 一之瀬。その名前にわたしは手に持っていたフルートを落としそうになった。実際手を離してしまったのだが友達が上手いことにキャッチしてくれたのだ。そんなことはどうでもいい。
 未だに興奮冷めやらぬ様子の秋はじっとわたしの反応を待っていたのだが、わたしはというとフルートを持ち直しながら「へ?」という間抜けな声を発することしかできなかった。部室にいるみんなも何事かとわたしたちの動向を見守っている。

「一之瀬くんが帰ってきたのよ!生きてるの!今グラウンドに来てるわ、早く!!」

 早くってなにを、と言う前にぐいっと腕をつかまれてそのまま走り出されたので、ああ早くついて来いってことかとどうでもいいことに一人納得しながら必死に足を動かす。秋は大人しそうに見えてかなりの行動力があるから、わたしはいつもそれに驚かされてばかりだ。中学に入学してすぐに円堂くんとサッカー部を立ち上げてしまったし。持ってきてしまったフルートを横目に、部活抜け出しちゃったなあなんてことをうっすらと考えた。







 秋と隣のクラスの土門、今は木戸川清修に通っている西垣、それから一之瀬は、小学校低学年くらいまでアメリカにいたころからのわたしの幼なじみだ。よくみんなでサッカーをして遊んだのを覚えている。と言っても小さいころから鈍臭かったわたしはなかなか上手にボールを蹴ることができなくて、一之瀬に名前は下手だなあと笑われながらもサッカーを教えてもらっていた。みんなわたしから見ればとても上手だったけれど、中でも軍を抜いて上手かったのは一之瀬だった。こういう人のことを天才っていうんだ、と子供ながらに思ったことを覚えている。彼はサッカーを愛し、そしてサッカーも彼を愛していた。大袈裟かもしれないがわたしはそんなふうに思う。将来彼は必ずプロのサッカー選手になるだろう。でもそれまではわたしたちと一緒にこうして遊びながら笑い合っていてほしい。そんなふうに思っていた。

 けれど、一之瀬は死んだ。

 道路に飛び出していった子犬を助けようとして、そのまま車に衝突したのだ。わたしは何が起こっているのかが理解できず、叫ぶこともなくただ呆然と立ち尽くしていた。秋の泣き叫ぶ声だけがずっと頭の中に響いていた。
 一之瀬の手術が終わるまでわたしたちはずっと病院で待っていた。何も言わないわたしを気遣って何度か土門が話しかけてくれたが、なんて返事をしたか覚えていない。わたしは一之瀬が死ぬわけがないと思っていた。しばらくしたらきっといつもの調子で二本指を立ててウインクをしてくれるのだと思っていた。だから病室から一之瀬のお父さんが出てきて、一哉は死んだよ、という言葉を聞いたとき、わたしは初めて声を上げて泣いたのだ。そのときばかりはいもしない神様を恨んだし、神でもない医者を恨んだ。

 今思えば、わたしは一之瀬のことが好きだったんだと思う。その後しばらくして父の仕事の都合でわたしは日本へ戻り、中学で秋と再会し、最近では土門とも再会した。わたしはなんとなくサッカーを避けるようになって、秋がサッカー部のマネージャーをやらないかと誘ってくれたのも断った。今ではわたしも吹奏楽部に入って練習に明け暮れる毎日だ。だけど一之瀬のことを思い出さない日はなかった。一日だってなかったのだ。

 なのに一之瀬が生きているだなんて、一体どういうことだろう。一之瀬が死んだあの日、散々みんなで泣いたというのに。







 走りながら回想をしていたらあっという間にグラウンドが見えてきたが、すでにわたしの息は上がっていて足ももつれそうだった。しかし秋は容赦なかった。ひいひい言いながらグラウンドに足を踏み入れたところで、サッカー部のユニフォームを着た人たちによる小さな人だかりが目に入る。そしてその中心に、一人だけ私服姿の少年がいた。

「い、ち、のせ」

 我ながら今にも死にそうな声だと思ったが言わずにはいられなかった。わたしの声にサッカー部の集団が一斉にこっちを向き、そして中心にいた少年もこちらを見た。目が合って、息が詰まった。

「…名前?」

 一之瀬がわたしの名前を呼んだ。何か言わなければとわたしが口を開いた瞬間、一之瀬が真正面からどん!!と突撃してきたためわたしはそのまま後ろにひっくり返った。頭と背中を強打したのだがそれはそれは痛かった。お前まじふざけんな。
 サッカー部のみなさまも唖然としていて正直恥ずかしい。パンツ見えてないかな。

「名前、俺だよ!一之瀬一哉!!」
「わかったから、ちょ、どいて苦しい」

 ようやく起き上がると一之瀬は満面の笑みでわたしを見つめていた。成長して大人っぽくはなったが、あの頃となにも変わらない一之瀬がそこにいた。
 本当に生きてる、と言うと一之瀬はまた笑った。なんでもあの事故で二度とサッカーができないと宣告された一之瀬は、絶望に打ちひしがれ自分は死んだことにしてほしいとお父さんに頼んだらしい。それから血の滲むようなリハビリを遂げ今ではすっかり復活したというわけだ。それを聞いたわたしは躊躇なく手に持っていたフルートで一之瀬の頭を殴った。馬鹿じゃないの。わたしがどれだけ泣いたと思ってるんだ。

「嘘ついてて本当にごめん。でもまた会えて本当に嬉しいよ」

 感情的になり思わず涙ぐんだが、殴られて同じく涙目になった一之瀬がそっとわたしの涙を拭った。

「でも、足が治ったら名前に言いたいことがあったんだ。だから戻ってきた」

 一之瀬はわたしの手をつかんでそのまま立ち上がらせてくれた。その腕は昔よりたくましくなっていたし、身長はわたしよりも大きくなっていた。

「名前、好きだよ。俺がサッカーをする姿を、君にずっと隣で見ていてほしい」

 サッカー部からどよめきが起こる。土門がヒュー、と口笛を吹いたのが聞こえた。顔に熱が集まるのがわかる。なんの公開処刑だこれは。

「まあ、返事はわかってるからさ。とりあえず久しぶりに俺のサッカー見ていきなよ」

 一之瀬はにっこりと笑って円堂くんに一緒サッカーをしようと持ちかけていた。円堂くんもノリノリでおう!とかなんとか言って早速ボールを蹴り出した。あまりの超展開にみんなは呆気にとられていたが、顔を赤くした風丸くんが咳払いをするとみんなもぞろぞろと練習に戻っていった。
 ていうか、返事はわかってるってなんだ。わたしは思わずその場に座り込んだ。隣で秋がくすくす笑っているのが余計恥ずかしい。足元を見たら上履きで来てしまったことに気づいたがそれどころではなかった。

 ふと顔を上げると小さいころと同じように、楽しそうにサッカーをする一之瀬がいた。それを見てわたしは自然に口元が緩んだ。とりあえず練習が終わったらさっき言いそびれたおかえりを言って、頬にキスでもしてやろうと思う。



20121104
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