夏休みが始まるということに浮かれて失念していたが、7月の期末考査で一教科でも赤点をとった者は夏休み最初の一週間はみっちり補習が行われる。失念していた。中学に上がって算数から数学へと名前を変えた数字の魔物は、こちらの勉強時間という装備を持ってしても倒せなかった。ていうかその辺の草村に出現するレベルじゃなくて、魔王の城のダンジョンで出てくる中ボスくらい手ごわかった。まあそのつまり、赤点をとってしまったということだ。やってしまった。

 数学の補習は容赦なく一時間目から始まる。夏休みに入ったというのにいつも通りに早起きをしなくてはならないのは苦痛だ。自業自得なのだが、ウキウキ夏休み計画がパアになった気分である。
 学校までの道のりをのろのろと歩く。照りつける日差しにわたしのメンタルは既にブレイクしていた。ものすごく暑い。日焼け止めを塗り忘れてしまったことに気づいてわたしの中のなけなしのやる気が消滅した。帰りたい、暑い、のどが渇いた。

 ミニタオルで汗を拭い、大した効果もないがそのままぱたぱたと扇いでいると、前方に見慣れた後ろ姿を見つけた。いつもの明らかに規定のものでない制服ではなくジャージ姿であることから、これから部活があることが窺える。
 剣城、と声をかけると振り向いた彼は少し驚いた顔をした。相変わらず目つきの悪い奴である。

「おはよう。部活?」
「ああ」
「大変だねーこのクソ暑い中!死ぬよ!」

 こんな暑い中サッカーをするだなんてわたしには到底考えられなかった。どれだけ気をつけても熱中症になると思う。
 このまま剣城の横を歩いてもいいものかと考えたけれども、さして嫌そうな顔もされず、しかも向こうから話し始めたのでお構いなくそのまま歩くことにした。

「なんでお前は夏休みに入ったのに制服で学校行くんだ?」

 あ、うんそうだよねそうなるよね。剣城の口ぶりからして剣城は赤点なんてものはとっていないようだ。不良のくせに頭いいんだよなこいつ。わたしは適当にごまかそうと思ったが、剣城はあ、補習か、とつぶやいた。わかってるなら聞くな。

「ちゃんと勉強してりゃ解けるだろ」
「……剣城ちゃんと勉強したんだね。えらいね」

 剣城のいい子っぷりに笑いそうになったが、笑ったら彼の機嫌を損ねてしまうことは確実なので必死に耐える。剣城はうるせえよ、と言って照れていた。かわいいな。

「わたしだって勉強しなかったわけじゃないよ。苦手なの数学」
「まだ簡単なのしか習ってねえだろ」
「う、うるさいな。剣城数学得意なの?」
「…まあ」
「じゃあ今度のテストのときは勉強教えてよ」

 剣城は気が向いたらな、と適当にごまかしたが、きちんと頼めばきっと彼は教えてくれるだろう。そういう奴だ。入学したばっかりの頃はなにがあったのか知らないがずいぶん突っ張っていたが、今は角がとれて少し丸くなった。

 それにしても暑い。少しふらつく程度には暑い。
 あまりの暑さに目を細めていると、剣城が鞄の中からスポーツ飲料を取り出した。途端に今まで忘れていたのどの渇きが増した気がする。そのまま剣城がペットボトルの蓋を開けてごくりとのどを鳴らして飲む一連の様子を見ていたが、なんだかCMを見ている気分だった。上下する喉仏と光る汗が少し色っぽい。

「剣城、ひと口」
「は?」

 わたしが手を差し出して催促すると、剣城は驚いて一歩引いた。そんなに驚かなくてもいいだろう。自販機までまだ道のりはあるし、ひと口くらいなら恵んでくれてもいいと思う。
 という主張をしたら、剣城は目線を行ったり来たりさせて何を戸惑っているのかなかなかそれを渡してくれない。いい加減痺れを切らしたわたしは半ば強引に剣城の手からペットボトルを奪った。冷たくておいしい。あ、なんか結構飲んじゃった。

 怒られるかな、と思って剣城の様子を伺うと、なんということだ。あの剣城が顔を赤くしているではないか。

「……剣城、ありがとう。ごめん結構飲んじゃった」
「……いや、別に…」

 これはあれだろうか。剣城はわたしと間接キスをしたことに照れていると捉えていいのだろうか。こんなに純情な反応が返ってくるとは思っていなかったのでこっちが恥ずかしい。自分の女子らしかぬ行動に頭を打ちつけたくなった。

「…剣城、照れてる?」
「んなわけねえだろ!馬鹿かお前」

 頭をひっぱたかれた。とても痛い。しかしその顔は真っ赤なので、怒っていても全然怖くなかった。むしろかわいい。なんだか殴られたのにも関わらず嬉しくなってしまって口元が緩んだ。ちなみに弁解しておくとわたしはドエムではない。

 しばらくして学校に着いた。剣城はサッカー棟に、わたしは校舎に向かうのでそこで別れたが、またね、と言えば剣城はああ、と返してくれた。明日もこの時間に登校したらまた会えるかもしれない。わたしは緩む口元を抑えながら教室へと向かった。あんなに重かった足取りは、いつの間にか軽くなっていた。



20120916
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